2018.12.04

手のひらの器 〜加賀の大聖寺伊万里焼〜

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大聖寺伊万里の茶碗

私は割合に多くの仕事をしてきた。その内の変わった仕事の一つが、古美術商づきの鑑定人である。
私の学問の糸道をつけてくださった師はよくこう言ったものだった。冗談か本気かは定かではないのだが、「古美術商として一流だと通用するぐらいの力量がないといかん」と。いわゆる目を養え、広い時代の知識を入れろ、モノの奥に人間を見ろ、ということを集約してこう言ったのだと思う。しかし冗談は言う相手を選ばねばならない。

その後、大学組織を飛び出して師の大名跡を継がなかった不肖の私は、本当に古美術の鑑定人をはじめてしまったのである。古美術商の依頼をうけて、仕入れていいか、仕入れてはいけないかを判断する仕事。つまり、真贋鑑定である。

偽物というのは、偽物が本物になろうとするのだからとにかくウルサイのである。自己主張がバラエティー番組に出てくるひな壇芸人以上に激しい。本物はこうだろう、という要素をてんこ盛りにしてくる。ほかに書画の類であれば、全然関係ない絵に飛び入りで筆跡を似せた銘とそっくりの落款を打って偽物を作り上げてしまう。
しかもこれを古美術商、いやガラクタ屋が自ら率先してすることもあるのだから実に困ってしまう。

古美術鑑定でまず一番多くあたるのが「伊万里焼」である。
これほどまでに大人気な器もなかなかない。とにかく焼き物はイマリイマリなのである。それゆえに伊万里で一攫千金を狙おうとする輩も少なくないという世界なのである。

「ニセモノの大聖寺つかまされたから、タダであげますよ」と、「ニセモノ」を呉れた人もいる。ニセモノだから呉れるなどとは随分と失礼な話だが、畢竟、それは大聖寺伊万里を伊万里のニセモノと思うから価値がわからないのである。最初から「大聖寺伊万里」とみれば、その素晴らしい価値でその器を楽しむことができるのに。

大聖寺とは、今の石川県で焼かれた伊万里焼のことである。
伊万里は九州ではないのか?やっぱりニセモノじゃないか、と思うかもしれないが、ちょっと話を聞いてほしい。話せばわかる。
もともと慶応年間に加賀藩の支藩である大聖寺藩というとても小さい藩が、なんとか産業を起こさねばならないという中で生まれたのが大聖寺伊万里である。藩の秘策が「器」なのであった。大聖寺藩が京焼の名工と名高かった永楽和全を連れてきて、作陶を開始したことにこの大聖寺伊万里は始まる。もっとも、藩お抱えの窯(藩窯)だった時期はそんなに長くはないのだけれど。

ちなみに江戸時代当時から伊万里は非常によく売れた。東インド会社のVOCのイニシャルの入った伊万里焼が、東インド会社からオーダーされるほど海外評価も高かったし、イギリスの貴族の屋敷に飾ってある伊万里焼きは相当な名品である。日本のみならず世界の憧れの逸品だったのである。それがゆえに伊万里ブランドがあれば売れるというので、いい加減な作陶も少なくはなかった。それが当時の伊万里の状況であった。

加賀の陶工たちは思った。やはり売れるもん作らねばいかんよね。そう思うのは当然の流れである。この大聖寺の作陶はその名の通り、伊万里焼をお手本に作陶をはじめるのである。ちなみに真似ではない。パクリと呼ぶことなかれ。和歌の世界でいう「本歌取り」。今でいうインスパイアとかオマージュといってほしい。大聖寺伊万里の美しさを、その一言で片付けるにはあまりに惜しいのだ。

大聖寺伊万里が古美術の伊万里焼き市場のニセモノとして結果的に食い込んでいったのは、その実力ゆえである。元禄伊万里という江戸初期・元禄時代の伊万里焼の黄金期があるのだが、その中の上手(じょうて)の素晴らしい伊万里焼の作を大聖寺伊万里は多く本歌取りした。中国の明代の器も研究し、さらに伊万里写しに相応しくするための土の配合まで大聖寺伊万里は行なっている。この勉強熱心な彼らの大聖寺伊万里は、古美術商の業界では「本物以上に本物らしい」と、いわれる。もちろん、本物とは伊万里のことである。別に大聖寺伊万里は伊万里焼と偽って売っていたわけでもないからニセモノではない。この言葉をむしろ好意的にとるならば、「伊万里に勝っている」という意味でとらえてしかるべきだろう。

話はまあ、わかったと。
それで大聖寺伊万里はどんな器なのか、をご覧いただきたい。

※我が家の器より。この花の横にいるのは猫とか犬っぽくみえるが、獅子である。獅子のつもりなのである。大聖寺伊万里は、伊万里焼に比べて青色の発色が非常に淡くソフトなのも見分ける特徴である。この画像ではわかりにくいが、陶土が大聖寺伊万里はクリーム色がかっている。もし伊万里なら地の色は青みがかかる。

こうしたキラキラーとしたのを金襴手(きんらんで)という。この金襴手の名工として名高かったのが、大聖寺藩がヘッドハンティングしてきた永楽和全である。

※我が家ではもっぱら、フルーツを入れるのに活躍中

※鳳凰。目がちょっとエロい。むっつりスケベにちがいない。

※中国の明代(1368-1644)末期の宮廷御用達の窯(官窯)である景徳鎮で焼かれた器に「五良太甫」の銘が書かれることが多い。ちなみにこれも大聖寺伊万里。作っていた本人たちは意味は理解せずに「青の染付のときには、これ書くのが作陶の常識なんだよね?」と思っていたフシがある。別に景徳鎮のニセモノをつくっているわけではないが、これを明代の景徳鎮として市場に出回らせている人間もいて、また大聖寺伊万里は不当にニセモノの汚名を着せられてしまうのである。

すごく、細かい手仕事で精密。かつ風格がある。
これが本物以上に本物らしいといわれる所以である。

ちなみに伊万里焼と大聖寺伊万里の見分け方は簡単である。
染料とかで見分けることもできるが、器を持ってみてそのお尻を触るのである。いわゆる高台(こうだい)といわれる部分である。
この高台の部分が触って丸ければ伊万里、斜めに切ってあって細さを感じればそれは大聖寺伊万里である。

※高台の土見せの部分が鋭角。見てもわかるし、触れば絶対にわかる。

こんなに明らかに違う。なのにガラクタ古美術商の「元禄伊万里ダヨ」(伊万里焼き界のレジェンド)という口車に引っかかっておきながら、大聖寺伊万里のせいにするのはいかがなものであろうか。

残念なことに、この大聖寺伊万里を伊万里に美容整形させられてしまっている器を何度か手にしたことがある。
この特徴的な高台は、鋭角だと大聖寺と見抜かれるというので、ヤスリでわざわざ丸くする輩がいるのである。大聖寺と伊万里との市場価格は雲泥の差だからだ。可哀想に。器に罪はない。
しかし、そこまで小賢しいことをしてもちゃんと見分けることができる。高台を触ったときに、ヤスリかけしてあるので高台が真っ平らになってしまっているのだ。おや、伊万里かな、と思って触って裏の高台が平らだったら、それである。

私は、器というのは使ってこそ意味があると思っている。割ってしまうかもしれない。そういうこともある。作っている側だって、最初から割れないと思って作ってはいないのである。
人は死ぬし、器は割れるものだ。
割れるからこそ大事に使って、かえって長持ちするのである。
見た目的にも美しいし、使い勝手もよいし、手にしやすい価格の大聖寺伊万里。
加賀文化のもう一つの誇るべき民衆文化の精華だと思っている。

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。

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