2020.02.13

番茶と梅干と泉鏡花

梅干し

歴史を研究していてよかったことが幾つかある。その一つが、手紙を堂々と盗み読みできることだ。その人の意外な人となりが、手紙のふと息を抜いた瞬間に漏れでてくる。

これと同じで、文豪の愛した食べ物を同時代の人の随筆を寄せ集めてみると、意外な素顔が見えたりするのである。

文豪の食卓 第一回 泉鏡花

泉鏡花
泉鏡花

RIFFはOPENSAUCEのメディアなのだけれど、このOPENSAUCEというのは金沢に会社がある。そういうことなら、まず第一回目は金沢に因んだ「泉鏡花」が相応しいだろう。

尾崎紅葉という師匠

泉鏡花、本名は泉鏡太郎という。

どうして鏡という珍しい字が名前に入っているのかは分からないが、父親が加賀藩御細工師の系譜の彫金職人だったこととそう無関係ではないだろう。

師匠は『金色夜叉』で有名な尾崎紅葉。

尾崎紅葉
尾崎紅葉

鏡花は18歳の時にこの尾崎紅葉の門下に入っている。

この尾崎紅葉という人も結構な食い気のある人だった。
好物が色々あったようだが、浅草の梅園の汁粉や漬物や くさやなどが好きだった。食べ物の傾向があまり見えてこない。

そういえば帰幽した水木しげるもこの梅園を愛したらしい。確か好きだったのはそこの豆かんだったと記憶している。

実は私はそこの斜め前の三味線屋さんで昔、下働きをしていたのだというどうでもいいことを書き連ねてみた。

さて、師匠の尾崎紅葉の話に戻るが、一寸この人も変わった性向の持ち主で、漬物に関してはやたらと口煩い人だったという。人の家に行って漬物を所望した癖に、塩っぱすぎだの、漬けすぎだのと口辛く批評をする。
当時はできあいではなくて漬物は家で漬けるものだったから、泣かされるのはその家の奥さんだった。

尾崎紅葉を死してなお敬愛しつづけた泉鏡花は、もしかすると紅葉の漬物への性向も受け継いだ節がある。

鏡花の許されざる結婚

漬物の話の前に、まずは泉鏡花の妻の話をしなくてはいけない。
鏡花の妻、芸名を桃太郎、本名は伊藤すずといった。元は神楽坂芸者である。
出会いは尾崎紅葉一門の新年会である。鏡花は一目みて桃太郎を見染め、同棲するような間柄になっていった。あら、鏡花先生おモテになること。

ところが師匠の尾崎紅葉はこれを許さない。許さないどころか、『金色夜叉』の貫一の如き執拗さで、とことん妨害しようとする。終いには師匠をとるのか、芸者をとるのかどっちかだとまで言い出す始末であった。
かといって、師匠を切りますと言える鏡花ではなく、泣く泣く別れた、、、ふりをした。

この辺りの経緯が作品にいかされたのが鏡花の『婦系図』である。

紅葉の日記には「彼(鏡花のこと)秘して實を吐かず怒り歸る」とあり、もしかすると内緒でコソコソと付き合っていたのが許せなかったのかもしれない。
或いは、愛弟子の鏡花がとられるという嫉妬もなかったとは言い切れない。

鏡花を育てあげ、面倒を見続けた紅葉には隠れて同棲をしていたのが裏切り行為に思われ、許せなくなっただけで、芸者だからいかんというわけでは無かったように私には思われる。

紅葉は別に堅物な人間ではない。なにしろ紅葉本人だって神楽坂の芸者を愛人にしていたぐらいなのだから。

また、紅葉は芸者に漬物の漬け方が判るわけがない、という理由で反対したともいうし、反対した紅葉の真相は分からない。

結局、紅葉に遠慮して生前には結婚はしなかったが、師の死後すぐに二人は結婚する。その夫婦仲は、終生、睦まじいものだったという。

鏡花の梅

瓶の梅干し

泉家には誰もが褒め称える名物が二つあった。
ひとつは番茶で、もうひとつは梅干しである。

番茶を煎るのも、梅干も、全てはすず夫人がやった。

この番茶には弟子筋がちゃんといて、水上瀧太郎、小島政二郎のところにはこの小島政二郎をして「天下一品」と評せしめた、すず夫人の番茶の焙じ方が直伝されたらしい。

そしてもう一つの泉鏡花がこよなく愛した名物の梅干しは、梅の実を修善寺の旅館から粒を選んで取り寄せたものという。

そして取り寄せた実は土用干しの時にすず夫人みずからが二階の物干し台でつきっきりで、団扇であおぎ続けながら干した。

なぜこんな面倒なことをするのかというと、それは鏡花が潔癖症であったためだろう。

鏡花という人は羊羹を食べるときには角のところだけを持って食べて、最後は触っていた角の部分は棄ててしまう。

食べ物も全部煮沸しないとダメで、貰い物の菓子でさえもアルコールランプで炙らないとダメなような人だった。

そんな鏡花が、蠅や虫のたかった梅など食べられるわけがない。

おそらく、そういう理由からすず夫人はつききりで、団扇であおいで虫がつかないようにしたのだろう。

これを干し終わると今度は漬け込むのだが、泉家の梅干しは十年、二十年と漬け込むらしい。

泉鏡花の死後、妻のすずの養女になった泉名月氏が、養母のすずから聞いた話として、このことを雑誌に寄せた随筆にのこしている。

鏡花は、この番茶に塩を少々入れたものを飲み、この梅干しを毎朝一粒食べるのを日課とした。この愛妻すずの梅干を一粒いただくと、その日一日、災難に遭わないと語っていたそうである。

尾崎紅葉が生きていて、この梅干しを味わったら、くやしながらも二人の結婚を認めたのではあるまいか。

参考図書

Photo by テトラグラフ写真室

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。