人生においてパートナーの存在がどれだけ重要であるか?
私はその理由を数多の経験から、少なからず知っているつもりだ。
人は生まれた時から一人では何もできない存在であり、ゆえに常日頃からそう思っていれば、誰かに教えを請うたり、他人の手を借りるという行動も、羞恥心など微塵も感じずに相手をリスペクトできるものである。
今回はその「パートナー」についての話をしたい。
今から15年ほど前、私はアイデアを実現するにあたり、一緒に会社を作る仲間を探していた。
わざわざ会社を作ってまでやりたいことの内容は、おおよそ決まっていたので、どんな仲間が欲しいのかというイメージはあった。
ここでいう「仲間」は、経営者と雇用者という関係ではなく、ともに同じ釜のメシを食い、それが失敗しようが、これからやろうとしている考えを正しく共有し、互いの能力を補完し合える、一蓮托生の関係を本音で楽しんでくれる仲間のことである。
成功なんてのは万に一つの可能性だし、始める前から成功したときのことなどを真剣に考えても、あまり意味はない。
して、ある日。
たまたま個人で運営しているインターネットライブガイドというポータルサイトを発見した。
当時私はインターネット放送というものを某商社の予算で試験的に起ち上げて運営していた。
この頃はネットで観る動画すらまだ珍しい時代。
それのポータルを個人でやっていることに興味を持った私は、さっそく連絡をとった。
何度かメールをやりとりして、概ね意気投合した私達はリアルに会う約束をし、互いのアイデアを話し合った。
気が合うと早いもので、数日後には一緒に会社を作る話になっていた。
その彼が、知人でフリーの天才プログラマーがいるので、一度会ってみてほしいという話になり、新宿のT-ZONE(今はもうないパソコンショップ)のカフェで落ち合った。
私は彼に会ったこともなければ、容姿についても一切の情報はなかったのだが、カフェに行くと、満席の店内で紙袋を持ち、ゴジラのトレーナーにトレンチコートを着て、驚くほど痩せた、不自由な頭髪の異様な男が目に飛び込んできた。
おそらくコイツだな?
という勘が働いた。
「かまたさんですか?」
ビンゴだった。
その時点で既に合格だったのだが、せっかくなので名刺交換をして、彼のやってきたことや野望の話を聞いた。
名刺には個人的活動の屋号として
「ソフトスタジオかまた」
と書いてあった。聞くと、彼の夢はビル・ゲイツになることだという。
私には「ソフトスタジオかまた」が「マイクロソフト」のように成功するイメージがまったく湧かず、正直な意見を彼に伝えた。
「いつからハゲてんのか知らないけれど、おそらくマイクロソフトのようになるのは無理だから、俺と一緒に会社を作りませんか?」
そういうと、彼は一瞬考えたあとに、不満気な顔をするでもなく、
「正面からハゲといわれたのも初めてですが、夢を無理といわれたのも初めてです。一緒にやります」
と答えた。こうして3人で会社を始めることになったのだ。
全然いい話に聞こえないかもしれないが、それは我々にとって血判を押すぐらいの出来事だった。
こうして、アイデアと技術さえあればどうにかなるという思想の仲間が集まった。
とはいえ、何も考えていなかったわけでもなく、なにしろ時代はインターネットである。
我々のように実績のない若者でも、何かできそうな気配だけは感じていた。
3人の中で、会社経営経験者はつたないながらも私しかいなかったので、社長業や資金調達などの面倒な部分は私が担当し、あとは皆でアイデアを出し合い、しばらく家にも帰らず、風呂は作業場近くの銭湯で済まし、コンビニで食料と少年ジャンプと漫画ゴラクとゴルゴ13を買い、紫煙まみれの部屋で髭ボーボーになりながら、もくもくとモノ作りに励む日々が続いた。
私にはプログラミングのスキルもなければ覚える気もさらさらないので、クリエイティブ面でアイデアを出すこと、デザインすること、ユーザインターフェイスを作ること、そしてマーケティングを考えることを主にやっていた。
しばらくして仲間の弟で3Dクリエイターが入社し、その直後に昔の仕事仲間だった女性グラフィックデザイナーが入社した。
見事に得意分野の違う仲間が集まり、お互いを尊敬し合える、とてもバランスのよいチームが出来上がっていった。
そうして1年が過ぎ、我々が作り上げたのが日本初の3Dオンラインゲームと、世界初の着メロサービスだった。
事業は予想以上に成功し、それはそれは楽しい日々の連続だった。
私はあのときの仲間に心から感謝をしている。
当時は意識こそしていなかったが、二十代最後の頃に出会い、かけがえのない時間と苦楽を分かち合った仲間は、もしや家族と一緒にいる時間よりも長かったのかもしれない。
会社で出会い、プライベートでもパートナー関係となり、新しい家族を得た者もいる。
あの仲間たちは「世界を変える」などということは口に出したこともなければ、おそらく考えたことすらない。
皆、仕事は好きだったが、仲間との充実した時間が何よりも大切で、自分達の小さな世界をより良く楽しくしていこう、ぐらいの気持ちだった。
結果論だが、それができれば、世界は少しだけ変わる。
私は一人で何かをするよりも、小さくても組織で質の高い仕事をすることが好きだ。
それを実現するにはまず素晴らしいパートナーを得ることだ。
その第1歩がクリアできなければ、人々の心を動かすような「コト」は起こせないと思っている。
それがベンチャーというものではないだろうか。
『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。