2018.11.11

おならの話

レオナルド・ダ・ヴィンチの肖像

風呂に入りながら、ふと「おなら」について考えてみた。

おならの原理等はよくわからないので、おならの「音」について考察することにした。
日本人は、例えば飲み物を飲むときの「ゴクゴク」とか「フワフワしたぬいぐるみ」などの音や状態を「文字や言葉」で表現するオノマトペ能力に長けた民族であることは、誰もが知る事実である。

では「おなら」はどのように表現するのか? 私の研究では「サ行」と「ハ行」に分類される。

先ずは音を伴わなずにその場に強烈な存在感だけを残すものの代表格として「すかしっ屁」がある。
これをオノマトペで表すとした場合、恐らく「スー」又は「スッ」であろう。
紛うことなきサ行である。

サ行の中でも「サー」でも「シー」でもないだろうし「セ」は論外であるし「ソ」の音が出た場合には大変興味深い事例である。

以上の理由から、サ行の中でも「おなら」に関して使えるのは「ス」のみであることが確認できる。

そうなると「おなら」を表現する上での大本命は「ハ行」という事になる。
子どもに「おならの音ってどんな音?」と聞いてみた場合、我が国の歴史に於いて恐らく最も多い回答が「プ〜」とか「ブ〜」、もしくは「ブッ」や「プッ」ではないだろうか。
この「プ〜」という音色は比較的高音であり、何故高い音がするのかと言えば、それは肛門の状態×空気の量+スピードである。
すなわち、トランペットと同様の原理と言える。
「ピ〜」も高音のレアケースとして存在する。
半濁音の場合は「プ」と「ピ」しか恐らく存在しないし、おならとしてまだ可愛げがあるのだが、濁音になった途端に、状況は一変する。
ハ行全てに可能性が出てくるのだ。

例をあげて検証してみよう。
「バッ!」これは想像するに、大変な状況である。
朝からお腹がゆるく、満員電車に揺られ、あと少しで目的の駅だというのに既に土俵際の状態で、やむなくひとつ前の駅でドアが開くのと同時にダッシュして駅のトイレに駆け込み、座った瞬間に「実」と一緒に出た屁の音が、恐らく「バッ!」である。

次に「ビビビ」であるが、これも普通では居られない状況である事が想像できる。

上司や取引先が出席する重要な会議中、いやプレゼン中かもしれないが、我慢に我慢を重ね、恐らく肛門で腹話術ができるぐらいのコントロールで屁を我慢している状況だろう。

このような場合に、人はどうやって対処するのか?

それは「少しずつ屁を出す」というテクニックを駆使するのである。

「それでは、お手元の資料、3ページ目をご覧くだ(ビッ)さい。我々の調査ではインバウンドによる経済(ビッ)効果は100億円と見込ま(ビッ)れ・・・」 というような状況であり、かなり切羽詰っているだろうし、仕事に身が入らないどころか、実も一緒に出てしまう可能性すら否定できない。

こう書くと「ブ」に関しては「バ」と「ビ」に比べ、概ね平和で健康状態も良好な印象を受ける。
「べ」に関しては、私は経験が無い。恐らく国内事例でも聞いたことが無い。
もしかしたら海外での事例はあるのではないだろうか?
なのでググッてみたところ、やはりあった。
カナダではおならの音を「ベッ!」と表現するそうだ。
ちなみにフランスでは「プクッ!」だそうだ。 要するに、カナダ人になるか、カナダに移住でもしない限り「ベッ!」という屁の音は意識しない筈である。

最後に「ボ」である。

これは既に大物の予感がする。
「ボ」の持つ音の響きが、太い。

したがって、屁の音も太く低いものであろう事が容易に予測できる。
イメージとしては、未知との遭遇の母艦が発する「レ・ミ・ド・ド・ソ」の低い「ド」と同じぐらいの迫力がある筈である。
これが同じ音階で「ボ・ボ・ボ・ボ・ボ」だとしたら、楽器の音色で比喩するとチューバ以外には考えられない。
これが出た日には、肛門なんか開きっぱなしで、もう全部出ちゃっているだろう。
まったく恐ろしい限りである。

おならについては以上であるが、私が経験した中で非常に稀なケースを紹介しておこう。
ある日、自宅のソファに座って何気なく屁をした時の音が、YMOのTECHNOPOLISのイントロで流れるヴォコーダーの音色の「TOKIO(ト・キ・オ)」と聞こえたのだ。

誰に言っても信用してもらえないし、狙って出来るものでも再現出来るものでもないので、私の大切な思い出として心にしまっておく。
https://youtu.be/Y2lOyCxRp5s

『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。