2021.02.23

モルジブの旨いガリ

これは2008年から2013年まで ニュー・サイエンス社発行「季刊・四季の味」に『銭屋の勝手口』として連載された銭屋主人・髙木慎一朗による随筆の一編です。連載では料理人である筆者の目と体験を通して日本料理の世界と人、美味しいものなどについてが綴られています。今回はNo.58 2009年9月7日発売号に掲載されたものを出版社の許諾を得て掲載いたしました。 


色々な理由をでっちあげて、たまに海外に出かけるのですが、行った先でも気になるのは食べ物ばかり。その土地の食材や料理には凄く惹かれますが、いわゆる観光にはほとんど興味はありませんでした。

学生時代にパリに旅行した時も、何せ一週間も滞在したにもかかわらずエッフェル塔にも行かなけりゃ、ルーブル美術館すら玄関前まで。

そんなことよりも、朝御飯を食べながら「昼は何をたべようか」「夜は何処で食べようか」って考えていた始末です。これは旅行先がNYでも上海でも同じことでした。

今までがずっとこんな調子ですから、私は自分のことを、南の島でのリゾートなどとはおおよそ無縁の男だと思っていました。ところが、そんな私にもご縁があって、南の島のリゾートアイランドに一週間行ってしまったのです。

それもモルジブ。どうしてこうなったのか、理由は今年の二月にまでさかのぼります。

雪も消え、ほんの少しずつ暖かくなってきた金沢の冬の終わりのことです。ウチのカウンターに外国人二人組のお客様がご来店になりました。普段通り、私がカウンターに立って料理をご用意させていただいていたのですが、そのお客様と話してみると、これがまた日本料理のみならず各国の料理全般に随分と詳しい方々だったのでビックリしました。そしてよくよく話を聞いていると、なんとその二人組のお客様は、世界で展開しているシックスセンスリゾート&スパのオーナーだったのです。

シックスセンスリゾートは、数あるリゾートの中でも最も環境保護を意識し、実践しているグループと認識しています。再利用可能な食器やボトル類、天然素材にこだわった建築材やリネン類の使用、そして自家農園での有機野菜生産や自家発電など、リゾートには疎い私には驚かされる話題がいっぱいのラグジュアリーリゾートなのです。またどの国にあるのかは忘れましたが、パラグライダーでチェックインできたりするホテルも持っているようです。

カウンター越しに、そのお客様から、環境を優先的に考える理念や具体的なホスピタリティの話を聞いていると、何故だかだんだん興味がわいてきて、最後には「よし、一度行ってくるか」と、あっけなく決めてしまったのです。

ところが、いざ決めたものの、一週間も店を空けることはなかなか難しいもので、行くと決めてから半年たってようやく実現したのです。

成田からの直行便でモルジブのマレ空港に到着したのは夜の更けた頃でした。迎えのクルーザーで暗闇の夜の海を進むわけですが、初めて来た国で知人もいない状況では、いくらホテルスタッフが案内してくれているとはいえ、「一体どこに連れて行かれるやら」というどこか不安な気分にならずにいられません。連れがいればまだしもですが、大体がモルジブに、一人で来ているやつはそうそういませんよね。

そんな時に、やはり一人で来ていたオランダ人男性とクルーザーの中で話すことができ、随分嬉しかったものです。そして、色々話しているうちに共通の知人がいることが分り、一瞬にして気分が大いに盛り上がってしまいました。全く単純なものですね。

シックスセンスのSonevagiliに到着して、ヴィラに荷物を置いたころにはもう二十二時を過ぎていました。とりあえず楽な服に着がえ、一杯やろうと思って向かったのが水上コテージにあるBARです。すでに、船上で話していたオランダ人がカウンターで飲んでいました。

「この島に来たら、まずはこれだよ」とモヒートを勧めてくるので、

「じゃあ俺も」と注文して、まずは乾杯です。

モヒートはラムをベースにして、ライムやミントを入れたカクテルのことで、ハバナにいた頃のヘミングウェイがボデギータというBARで愛飲していたことでも有名です。私も到る所でしばしば頂きますが、さっぱりとした口当たりが夏にぴったりの一杯です。

乾杯して一口飲んだら、これが結構甘いんです。というより、かなり甘い。確かに、モヒートの基本的なレシピでは、砂糖を少々入れますが、これほど甘いのは初めてでした。ちょっと我慢して飲み干してお代わりをお願いして、いったいどれくらい砂糖を入れるんだろうと注視していたら、スプーンに山盛り一杯。

そしてもう一杯入れようとしているので「ストップ!」と声を掛けて「ここにいる間に私は何度もモヒートをオーダーすると思うけど、私にだけはそれ以上砂糖を入れないでほしい」とお願いしました。おかげで、二杯目以降、そして滞在中ずっと程よい加減のモヒートを楽しんでいました。

その後、何杯かワインを飲んだ後、適度な酔い加減で気分よくヴィラに戻って、そのまま一瞬にして眠ってしまったようです。

そして翌朝、目を覚まして窓の外を見てビックリ!まさに絵葉書のような景色が目の前に広がっているではありませんか。

この上ない鮮やかなブルーの滝、目にも眩しい白い砂浜。そしてヴィラの足もとには透きとおった海、泳いでいる魚たちも丸見えです。

何もしないまま、そんな景色をいったい何時間眺めていたことでしょう。持ってきたiPodをヴィラのオーディオセットに繋いで、アトランダムに流れる好きな音楽を聞きながら、ぼーっと何もしないまま何時間も過ごすなんて、金沢にいたらまずあり得ないことです。

まるでセレブ気取りの優雅な気分で「あ、もしかして、こんな時間を過ごしたくて、皆はここに来るんだなぁ……」と思いつくのにそんなに時間はかかりませんでした。

ただ、そんな時間もやはり不相応だったようで、そう長くも続くものではありませんでした。

滞在二日目の夕方には、すっかり景色を満喫し尽くした気分になってしまい。お腹もすいていないのに、レストラン周辺に出没する私がいました。とりあえず席についてシャンパンをいただいているうちに、総料理長が挨拶に出てきてくれて、色々と料理の話を伺っていたのですが、「ウチにもスシシェフがいるから。ぜひ食べてみて感想を聞かせてほしい」と言われ。夕食を総料理長と一緒にすることになりました。

まず紹介します、と現れたスシシェフは、かなりごっつい感じのスリランカ人。名前は忘れましたが、大阪で寿司を覚えたと言っていました。年のころは二十代後半、日本語を流暢にそして丁寧に話すのが印象的な男でした。

彼は「料理で気がついたことがあったら、何でも教えてほしい」と何度も私に念を押して、厨房に去って行きました。

緊張した面持ちでスシシェフが持ってきたのは、何種類かの巻き寿司と五種類の握り寿司でした。見た目は違和感なく、きれいな包丁仕事であることは一目でわかりました。握り寿司のネタになっている魚の名前を尋ねたのですが、五種類すべて聞いたこともない地魚でした。

いくら料理人とはいえ、見たことも聞いたこともない魚を、しかも生で食べる機会というのはなかなか無いもので、かなりスリリングな気分にさせてくれました。

「さあ、どうぞ、美味しいぞ!」と言わんばかりに私の顔を見つめるスシシェフに促されて、まずは一貫、つまんで食べてみました。

正直言って、想像していたほど美味しくないわけではなく、意外と違和感なく食べることができました。続けて一通り食べてみましたが、なかなかどうして、それなりにイケる寿司でした。これくらいのものなら十分じゃないって、正直思ったものです。

そもそも日本から幾千里もはなれた孤島で、日本と同じ寿司を求めることが間違いです。私はモルジブにはモルジブ流の寿司があってよいと思うのです。これはモルジブに限らず、そして世界中で人気を博している寿司に限らず、ありとあらゆる料理に関して、同じことが言えると思います。そうしてオリジナルの形にこだわらず、地域の文化や嗜好に合ったスタイルに変わっていくことで、定着していくのも一つの流れではないかと思うのです。

そして、握り寿司と巻き寿司をすべて頂いた後、皿の縁に盛り付けてあったガリをつまんで食べてみたら、これがビックリ。どう考えても「すごく美味しいガリ」なのです。

明らかに既製品ではなく、自分で仕込んだものでしたが、それにしても驚きました。初夏に旬を迎える新生姜をつかって丁寧に仕込まれたガリが美味しくないわけありませんが、ここはモルジブです。日本ではありません。日本でも、これほど良い加減に仕上がったガリにはそうそうお目にかかれるものではありません。

早速、スシシェフを呼んで、このガリをどこで習ったのか聞いてみたところ、聞いたこともない名前の寿司屋を教えてくれました。その店では、お願いしたらどんな仕事でも教えてくれて、実際にやらせてくれたそうです。とはいうものの、一度や二度教えてもらって身につくほど料理は簡単ではないはず。スシシェフの人知れぬ努力を、無言のうちに感じました。

何となく決めたモルジブ行きでしたが、すごく良い出会いだったと思います。日本からはるか離れた南の島で、きちんとガリを仕込んでいる寿司職人がいるなんて、ホント嬉しいですよね。彼には機会があったら、ぜひウチに食べに来てよって話しました。そして世界中に日本料理を大いに広めていってほしいものです。

四季の味No.58

石川県金沢市「日本料理 銭屋」の二代目主人。
株式会社OPENSAUCE取締役