2019.08.29

寿司の「一貫」しない単位のハナシ

金沢の寿司

OPENSAUCEのある金沢に毎月十日ばかり滞在するのだけれど、その間、必ず寿司を食べにいく。むしろ金沢での主食は寿司。
お前、プロフィールで1ヶ月に1回しか食事しないと書いてあるじゃないかと思うかもしれないが、あれは過去の話。今は1日1食生活になっている。

古典的王道の寿司の名店もあれば、非常にクリエイティブで寿司の概念を覆してくれる名店など、金沢は独自のスシ文化を築いている。

ふと通りがかりの寿司屋に、ノールックでふらりと入ってみる。運がいいのか、基本的な水準が高いのか、今のところハズレなし。しかもお安いのも魅力だ。

さて、先日のこと。
私がぶらりと寿司屋に入って、おまかせで一通り握って貰ったあと、マグロやら何やらを一貫づつ追加で握ってもらった。

しかし、私の思う一貫ではなかったのだ。

一貫ちょうだい、へい、そして寿司がいわば2つポンと置かれるものを想像していた。ところがこの店、一貫とは1つ、なのである。

他のも頼んでみたが、やはり一貫は1つ。
ふうん、金沢ではそうやってカウントするのかと思って翌日は他の寿司屋に行ってみたが、今度は一貫というと2つ出てくる。

「一貫って2つ?」

「そりゃ、そうですよ」

そこで翌日にまた例の一貫1つの店に行って聞いてみた

「一貫って1つ?」

「1つですよ」

消費税が8%や10%が混在しはじめるが如く、一貫も1つや2つやと定まらない。まさに一貫が一貫していないのである。 

 

寿司の単位 一貫とはなにか??

寿司が一貫2つでないのはけしからん、などということは決してない。

実は寿司の単位の「一貫」というのは割と新しい単位で、バブルの最末期・平成3年(1991)頃から流布しはじめた極めて新しい言葉なのである。

もともとは寿司の数え方は単純明快。「1ツ」とか「一箇(いっこ)」である。

江戸時代の生活を知る上での百科事典的な『守貞漫稿』でも寿司の単位は「1ツ」で出てくるし、他のでも「貫」と表記されている古い文献は見たことがない。

大正9年(1920)の志賀直哉の出世作『小僧の神様』という短編がある。スシを奢ってあげました、おごられました、という話なのだけれど、「四銭あれば一つは食えるが、一つ下さいとは云はれまいし」と小僧がスシ食べたいなあと思ってるシーンでも矢張り単位は「1つ」となっている。

その後の文学作品でもスシを「貫」と数えるのを遠藤周作、吉行淳之介あたりの時代の小説やエッセイでも見た記憶が全くない。

なぜ、一貫なのか?

この志賀直哉の『小僧の神様』でもそうなのだけれど、スシは大体、4銭だの5銭だの6銭ぐらいの価格だった。明治・大正は十銭のことを「一貫」と呼んでいて、一つじゃなくて一貫分(2つ)頂戴、というので一貫で2つと呼ばれたということから貫が使われるようになったという説がある。

いや、これは絶対にウソである。
もしそうなら、昭和期に入ってからスシの単位が「貫」になっていないといけない。ところが、やはり昭和に入っても依然としてスシの単位は「つ」や「個」なのだ。

稀代のスシマニア・永瀬牙之輔という人物が昭和5年(1930)に書いた『すし通』という幻の本でも、やはりスシは「◯つ」とツでカウントしている。

北大路魯山人が戦後の昭和27年(1952)に書いた『握り寿司の名人』というエッセイの中でも、魯山人は寿司を数えるときに「◯ツ」や「個」を用いている。
戦後7年経った時点でも寿司の単位は1つ、2つだったのだ。

どうも寿司における「貫」という言葉は、時代的背景を含めて考えてみると昭和の終わり頃に登場した数々の造語の類である可能性がかなり高い。
あるいは元々はごく一部でしか使われていなかった用語がメディアの風に乗せられて「スシでは貫というのが通なんだ」「貫が正しいんだ」と、あたかも伝統のような顔をして拡散されていった新常識の1つだったのだろう。


しかし、貫などたかだか3、40年の歴史しかない無根拠な付け焼き刃ゆえに安定しなかったものと思われる。貫で1つの寿司が出てくるのは日本語の乱れではない。元からこんな単位では数えていなかったから定着しなかったのだ。

今更、一貫と頼んだからといって誰も「ツウだね」なんて思わない。
貫と頼んで1つか2つか判らなくなるのだから、いっそのこと単位を「ツ」に戻してしまった方がいいんじゃあるまいか。
今まで一貫しなかった寿司一貫の単位問題も、それで一巻の終わりになるのである。

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。