2018.12.11

お箸の国の人ですもの 〜中国・日本のお箸の置き方。縦か横か〜

皿と箸

先日、ちょっとお高価い中華料理屋に行ったときに思い出した。
箸が縦に置かれている。
そうだ、中国は箸を縦に置くんだった。

日本は箸を、横に、一番手前側に置く。

料理と自分との間に聖なる結界を設けてナンチャラララというのが箸を横に置くことになった起源ではない。

横に置いてあることに、意味や精神性を付加したのだ。

歴史的にみれば中国の古いものが伝わって、そのまま残った結果なのである。
箸は隋代に日本に伝わったというが、今の箸はそのあとの唐代の頃のスタイルとみていい。

日本は、中国が失った古い文化をたくさん残している。
箸の横置きもそうだし、箸という語も中国で使っていた古語である。
現代中国では箸を筷子(クァイツィ)という。

さて中国の唐代の壁画に描かれている食事風景をみたことがあるのだけれど、箸は横に置かれていた。

今から1000年以上前、7世紀から10世紀まで中国にあった唐代の頃には箸は今の日本のように横に置かれていたのだ。

唐の次には五代という時代がやってくる。

その五代のあとの宋代の絵画史料をみると、箸は縦に置かれている。

五代時代に、きっとヒントがあるはずだ。

 
 
このあいだに一体、なにがあったのよ、中国。

五代時代は、五代十国ともよばれる。ざっくりいうと、王朝が交代しまくりのカオスな時代なのである。

大帝国の唐に黄巣の乱という反乱が起こって、唐はものすごい弱体化してしまった。

黄巣軍側の幹部だった朱全忠が唐に味方して、なんとか反乱を鎮圧して唐が続くのだけれど、もはやそんな弱っちい皇帝はお飾りなのである。

やがて朱全忠は皇帝位を「合法的」に奪って後梁という国を建国した。

そこからカオスな時代が幕を開ける。

朱全忠の失政・失策に乗じて朱全忠の反乱軍時代の同僚だった男の息子が後唐を立ち上げ、後梁を倒す。

ちなみにこの後唐の建国者・李存勗はトルコ系遊牧民・突厥(とっけつ)の出身。
後唐と唐の後継者のように名乗っているが、血縁もなんにもない。

そのあとにできる後晋、後漢もみんな突厥。

唐 → 後梁 → 後唐 → 後晋 → 後漢 → 後周 →宋

この間、およそ5、60年。
つまり宋という王朝ができるまでの約5、60年間、入れ替わり立ち替わりで遊牧民族が中国を牛耳っていたのである。

たった5、60年だけれど、この影響は中国のお箸の文化を大きく塗り替えたのである。

 

遊牧民族はお肉民族である。

そりゃコメ好きもいたかもしれないが、遊牧する以上、肉食にならざるをえない。

もはや好き嫌いの話ではない、逆ベジタリアンを余儀なくされるのである。

お食事はカタマリの肉。

ナイフ無しでカタマリの肉を食べるのはほぼ不可能である。

肉には絶対にナイフが必要なのだ。

西洋料理のカトラリーの配置を思い出してみるとイメージしやすいかもしれない。
(※カトラリーである。英語ならcutlery、フランス語ならcoutellerie。カラトリーを間違えてやがる三石プークスクスと笑わないでほしい)

フランス料理などでもカトラリーは縦に置かれている。

ナイフを横にして手元に置いたら、袖か器にあたってうっかり自分の足に落としそうで非常に危ないのだ。

縦に置くのは非常に合理的なのである。

彼らはナイフを食卓に載せるから、カトラリーを縦置きするようになった。

やがて宋代という漢民族の時代になると、
「いやいや、俺らコメ食べるし。別に肉のカタマリとか食べないし、、、」
というのでナイフがなくなっていき、箸の縦置だけが残っていったのだ。

しかし、再び食卓にナイフを使う肉食文化がリバイバルする。
17世紀から20世紀までつづいた清王朝ではナイフと箸を一緒にした携帯カトラリー「刀箸(とうちょ)」が用いられた。
そんな彼らはもちろん、お肉が主食の逆ベジタリアンの遊牧民族の王朝である。

刀箸は、こんなものである。

※筆者旧蔵コレクションの刀箸。これは宋代よりずっと後の清王朝の頃のもの。
清朝も満州周辺の女真族(満州族)という遊牧系王朝である。
※ちなみにこちらは鮫皮である。なかなか豪華

なにげない箸の置き方にも歴史があるのね、というお話。

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。