会ったばかりで血液型を聞いてくる人は論外として、無人島に持っていきたい本は?とか最後の日に何が食べたい?とかゲーム的な質問が私は苦手です。
特に「世界が終わる日に食べたいもの」という問いは、答えになるものは普段でも食べたいと思っているので質問者の意図に忖度しつつ、どうせ何故?て聞かれるのでその用意もすることになってしまうので苦手なわけです。
また、母親の作ったカレーとか答える性格も物語も持ち合わせないので困ってしまいます。たとえ答えてみたとしても、理由は「美味しい」からでしかないんですね。
もちろん「美味しい」の定義は人それぞれですけれど。間際までインスタ映えとか考えないと思うし。
鮭とばを喰むとき
私の母は嚥下ができなくなり入院して半年、一度も固形物どころか流動物も口にすることなく、それでも随分長い間冗談やら親族の悪口を言っていたのですが、ある日眠るように逝ってしまいました。
人間は物を食べなくても栄養が取れれば生きているんだとその時は思いました。その日まで都合の悪いことにはボケたふりや知らないふりはしたけれど頭ははっきりしていたので、頼みごとというか指示も随分と出していました。入院からひと月ほどたったとき、お酒を飲めない母がベッドサイドに自分を呼びつけ、明日コンビニで『さけとば』を買って来てくれと小声でいいました。
さけとば?鮭の?干したやつ?
あの焼酎が似合うオジさんのおつまみです。「だって食べられないじゃない」
「いいの、口にいれてるだけで。点滴だけでずーっと口の中に味がないし、味がないって生きてる気がしないんだよ。スルメはなんか臭いし。」
わかったとだけ言って、翌日も買って行くことはしませんでした。持っていけば口に入れたくなり、塩分のある唾を飲み込もうとすれば苦しむだけです。
母は忘れたのか最初から諦めていたのか何も言わず窓の外を眺めています。病室を出たら少しだけ涙が出たのでした。
なぜか、寿司屋に行くと必ずウニを最後に頼む、アシスタントをやってくれてた女の子を思い出しました。好きな味のまま帰りたいんですと、幸福を舌に残すタイプのメキシコ人美人みたいな子でした。
その後、母は点滴も外し、胃瘻という胃に直接入れる方法で必要な栄養と薬をとるようになり、それでも相変わらず頭ははっきりしたまま生きていました。
脳は回転しているのに自分の舌からは何の伝達もない、いえ、舌だって味蕾のボタンを押してと言っているはずで、その能力があるにも関わらず舌で味が分析され喉を通っていく喜びを感じることができない。それはどんなに孤独感を増幅させ辛いことだろうか。怖いと思いました。
舌がつたえるもの
母が死んでから8年たちました。母にチューブはつけないでと病院の書類にサインしたことを思い出すことがあります。
もしかして『鮭とば』を買って行ってあげてたらもう少しだけ生きていたかもしれないなあ、とも思ったりします。食欲から来る欲求というよりあれは、生きたいという気持ちが舌の味覚を刺激して脳を活性化しようとしたのではないか、と。
「食」といえば必要な栄養が摂取できるものを思い浮かべますが、「食する」ということは、たとえそこに栄養なんかなくても、舌の味覚や感覚がなにかとても重要な生命維持行為なのではと考えたりするのです。
最後の日に食べたいものは?という話はやはり苦手です。その日の「舌に従いたい」と思う次第です。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。