2018.10.16

妄想道のススメ

ブッダの人生

唐突ですが、妄想してますか?
自慢じゃないが、私は妄想道七段である。
初段がどの程度なのか検討もつかないが、おそらくそれぐらいだ。
幼い頃に藤子F不二雄作品を読んでからというもの「あんな夢こんな夢いっぱいあるけど〜」状態が、軽く30年以上も続いている夢見がちな中年なのだ。

でも断っておくが、決してノイローゼとかそんなのではない。
どちらかといえば、発明とか発想の話と考えてもらいたい。
妄想とは、何も変態だけに許された特権ではなく、いつの時代も誰かの妄想が世界を変えてきた。という事実を今回は掘り下げて考えてみたい。
パソコンの父といわれるアラン・ケイは妄想の達人だ。
彼はコンピュータがメインフレームしかなかった時代に、パーソナルコンピュータという概念を創造し、個人が手軽にコンピュータを扱える「時代」を妄想したのだ。今となっては当たり前のことだが、彼が最初に妄想してくれたお陰で、私は今こうやってiPadで原稿を書いている。
アラン・ケイの有名な言葉に、

“The best way to predict the future is to invent it.”

というのがある。
つまり「未来を予測する最善の方法は、それを発明することだ」という、すべてのクリエイターのハートに刺さる強烈なメッセージであり、これを妄想といわずして何が妄想といえよう。
日本を代表する妄想家といえば、本田宗一郎だろう。
彼の名言は数多く残されているが、中でも妄想度の高いこれを紹介したい。

「やろうと思えば、人間はたいていのことができると私は思っている」

なんというポジティブ・シンキング。
今の日本にはこれが足りないのではないだろうか。
私の父は本田技研に40年以上も勤め上げた生粋のホンダマンだったので、本田宗一郎の本は子どもの頃から般若心経のように読まされたし、父も私に対し、ことあるゴトに「やってみなけりゃわからない」とか「なんでもやってみろ」とか「失敗なんかして当たり前だ」といわれ続けて育った。
そのおかげで仕事をするようになってから「私はたいていのことができる」と信じて、さまざまなジャンルの仕事をこなせるようになった。

仕事を始めたばかりの頃は、クライアントに何か案件を持ちかけられると、とりあえず「できます」の返事をして、それから必死になって勉強したり鍛錬して、それこそ血の滲むような努力をして納得のいく結果を出せるようにしたものだ。もちろん、その中には失敗もあったし、せっかくの仕事なのに満足してもらえないような結果もあった。
おそらくそれは妄想力が足りなかったのだ。

そんなことを何度もしているうちに、それが積み重なって何にも代え難い経験として、私なりの個性が形成されてきたのだと思う。さらにいえば、放っておいても明日はきて、いつの間にやら五十代に突入し、もう怖いものなんかないけど何か? という根拠のない度胸もついてしまったものだから、今ではたいていのことが「できて当たり前」ぐらいにしか思っていない。
ついでにもう1つ、本田宗一郎の名言にはこんなのもある。

「芸術でも技術でも、いい仕事をするには、 女のことがわかってないとダメなんじゃないかな」

深いな、これは。
オマケにいい切ってない。
「なんじゃないかな」という問い掛けで終わっている。
さすがの本田宗一郎も、女房の目でも気にしたのか、この説にそれほど自信がなかったのか、または確信しているにも関わらず、色も芸のうちだからやってみろという、あとに続く者への示唆なのか、そもそも単なる妄想だったのか。
私も血気盛んな時期にこれを読み、肝に銘じて生きてきたつもりだ。
おかげでエライ目にあった。
さて、今回は何がいいたいのかというと、

「若者よ、妄想せよ」

という妄想道のススメだ。
なんでもいいのだ。妄想なんだから。
例えば、タッチパネルよりも直感的な入力デバイスを作るとか、吸収した汗を電力に変える新素材を開発するとか、5分先の未来なら行けるぐらいのタイムマシンだったら作れるんじゃねーのか?とか、いくらでも妄想できる。
こんなことを毎日考えていれば、そのうち本当に実現できるかもしれないし、やる気になる。誰かの目に止まり、一緒にやろうという仲間が現れるかもしれない。
1人よりも仲間と妄想したほうがもっと楽しい。
それがビジョンになる。ビジョンなんてものは、ありもしない妄想をどれだけ魅力的に、それがさも素晴らしい現実であるかのように説得力のある言葉で語ることができるかだ。

「この人だったら、もしかしたら実現しちゃうのではないか?」

と、いかに想像させることが出来るのかが重要なのである。
詐欺師のススメではない。
これらはすべて妄想の上に成り立っているのだ。

かの有名な発明家、トーマス・エジソンの口癖は「なぜ?」だったそうだ。
なぜ?は妄想の始まりだ。
アルベルト・アインシュタインはシロウトに相対性理論を説明する際に「熱いストーブの上に1分間手を当ててみてください。まるで1時間ぐらいに感じられる。では可愛い女の子と一緒に1時間座っているとどうだろう、まるで1分間ぐらいにしか感じられない。それが相対性です」と答えている。

あきらかな妄想だろう。

人は皆、思っても行動できていないことが99%である。
どうせ行動できないのであれば、楽しい未来や世界を妄想したほうが楽しいのではないか。
世界のどこかでは、その中から現実のモノとなって、私達の目の前に突如として現れる。Macintoshも、インターネットも、iPhoneも、そんな誰かの妄想から生まれた大発明だ。
これらを生み出したのは、私達と同じ、結局は人なのである。

妄想で日本をもっと元気にしよう。

『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。