2021.03.21

江戸の甘い物の話1 「飴」

英一蝶『一蝶画譜』初篇より「唐人飴売り」

これから書く話は面白い人には面白いだろうけれど、興味のない人には全くない。読み物なんて大概がそういうものだ。

しばらく江戸の甘味について思い出した先から書いてみようと思う。

江戸時代は駄菓子の文化の始まりでもあった。みんな甘いものには目がない。

ところでドロドロの「水飴」と大阪のおばちゃんが「飴ちゃんあげる」とくれる(今でもそうなのだろうか)固飴の違いはご存知だろうか。

水飴は玄米由来、固飴は砂糖由来なのだ。

水飴の発祥は酒作りのための甘糀というデンプン糖化をさせたものやみりん(当時は甘味飲料)のアルコール分を飛ばして作るというやり方をしていた。

作り酒屋は酒を作るだけでなく、こんな副産物も出していたのだ。

のちのちに砂糖を混ぜた固飴が登場し、飴のバリエーションが一気に増えていく。
ただやはり砂糖は高価で、水飴の方が庶民向けなのである。

水飴は砂糖の結晶化を防ぐから、固まることがない。

その原理を利用して、水飴に少量の砂糖を加えて熱を加えると成形性が高まる。曲げたり切ったりして鳥だのと色々な形にする路上エンターテイメントへとなっていく。

当時は葦の茎をストローのようにして飴につけて、それを吹いて膨らませ、形をつくって彩色する「飴細工」も大人気だった。

#7558 candy sculpture (飴細工)

江戸時代の面白いところは、「モノを売る」ときに、売り方がエンターテイメント性を帯びやすいところだろう。

落語に「孝行糖」という演目がある。

お上から親孝行者だということで表彰されて報奨金を貰った与太郎(この名前のキャラは、大抵がどこか抜けているので、何かをしでかすのだ)が人にすすめられて、その金を元手に飴屋を始めるという話である。

しかしただ売ればいいというわけではない。

飴屋を始めるのに、鉦という叩くとコンチキ鳴る楽器に太鼓に派手な衣装を用意するのだが、飴屋になぜこんなものが必要なのか。

目黒の桐屋という当時有名な飴専門店のように店を構える飴屋もあったが、この当時には飴売り芸人というものもいたのである。

たとえば江戸時代後期の文化年間にはじまって大ヒットを飛ばした「お万が飴」は新宿の四谷に住む屋根職人の太った中年男性が副業で始めたものともいわれていて、女装で女声で売り歩くというものだった。

百文以上のお買い上げには唄や踊りを見せたのだが、石塚豊芥子(江戸時代の珍本コレクター)の『近世商買尽狂歌合』によれば「当時はやりものの随一なり。その音声いやみなる身ぶり、また他に類いなし」と書かれている。飴売り界のル・ポール的なかんじだろうか。

子供は当然マネをするし、大人や芸者の間でもこれが大人気。そして歌舞伎にも取り入れられ、浮世絵にまでなって一世を風靡するのである。もっとも、水野忠邦の天保の改革での風紀粛清によって、このオマンキャンディーダンスは途絶えてしまうのである。

他にも飴売りエンターテイナーはいた。

十返舎一九『諸国修行金草鞋』第十八巻「房州小湊参詣・長南」での喇叭を吹く唐人飴売り。
十返舎一九『諸国修行金草鞋』第十八巻「房州小湊参詣・長南」での喇叭を吹く唐人飴売り。

『東海道中膝栗毛』の作者の十返舎一九が、ヤジキタがゴールの伊勢参りが終わってもそのまま続いて話がグダグダになっている頃(人気連載だったので打ち切らせて貰えなかった)、十返舎一九も新規一転して新シリーズ『方言修行金草鞋(むだしゅぎょうかねのわらじ)』の執筆を開始した。これはヤジキタを超えた大ヒット長期連載になるのだが、この作品の中の「房州小湊参詣」の長南を訪れたところのくだりで、不思議な格好をした男がいるのを見ることができる。

余談だがお土産品などの記事の名作をたくさん書いているスナックパンチのママ、チョウナンさんは、多分、千葉長生郡の長南町に関係する出自なのではないかと思っているが、そこはあまり関係ない。

ともあれ、この中で変な格好でラッパを吹いている男がいて、子供が周りに群がっているのである。

他にも英一蝶『一蝶画譜』などにも出てくる奇妙なハットを被った、南蛮人ぽい人と群がった子供達が描かれている。

英一蝶『一蝶画譜』初篇より「唐人飴売り」
英一蝶『一蝶画譜』初篇より「唐人飴売り」

これは「唐人飴売り」と呼ばれるキャンディー・エンターテイナーなのである。
唐人笛というチャルメラ(ちなみにこれはcharamelaという歴としたポルトガル語である)を吹いて、奇妙な唐人風ダンスを踊り、謎のデタラメな外国語っぽい何かを話して飴を売るのである。ちなみに『近世商買尽狂歌合』にはその口上が記載されている。

唐のナァ唐人のネ言にはアンナンコンナン、おんなかたいしか、はへらくりうたい、こまつはかんけのナァ、スラスンヘン、スヘランシヨ、妙のうちよに、みせはつじよう、チウシヤカヨカパニ、チンカラモ、チンカラモウソ チンカラモウソ、かわようそこじやいナァ、パアパアパアパア

なにこれ。ニセ中国語とか、昔のタモリの芸風を彷彿とさせてくれるではないか。

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。