2019.07.22

夏の和食の旬対談 ”江戸時代の食生活”編

江戸時代の浮世絵

夏の和食の旬をめぐるOPENSAUCEのメンバーによる対談。氷の話に続き、今回は江戸時代の食生活について。教科書でお馴染みの士農工商について、当時の武士たちの食生活について、情景が浮かぶようなトークが展開されます。


士農工商は身分序列のことじゃない?

宮田:こないだ、士農工商は実は身分制度じゃなかったとか話してましたけど。

三石:ああ、そうですね。職業のことであって、身分序列のことではないんです。
そういえば日本人って漁民多いじゃないですか。なんで(身分に)漁が入ってないんだとあの網野善彦先生も言ってました。

※網野善彦: 1928年1月22日ー2004年2月27日 歴史学者

髙木:ああ、なんで山の人とかマタギが入ってないんだとか。

マタギ: 北関東以北の山岳地帯で、伝統的手法で集団で狩猟を行う者。転じて、マタギで有名な土地出身の猟師を指すことが多い。ここでは後者の意。

三石:そうそう、江戸時代の身分って、ちょいちょい変われる流動性があるんですよね。なんかグラデーションがあるっていうか。

髙木:農民が上っていうことでもない。

三石:農民が武士にもなれるし、農民っていいながら名字を持って、腰に刀挿してたらもうそれは果たして農民なのか??と。下級武士だけど大衆小説書いてます、という町人っぽい武士もいたり。

あとは、江戸時代の中期以降になると殿様が庶民と学問を通じて文通してて、「今度ウチに遊びに来てよ!」って殿が招いて、学問の話で盛り上がって「楽しかった、また来てね〜!」っていう間柄もありましたし。

宮田:だから今の教科書って、士農工商出てないんです。

髙木:士農工商って、商売人が一番下みたいな。

板谷:建前ですよね。

三石:でも、士農工商とは言わないまでも、当時の意識でいうと、「士農工商的な意識があったこと」は事実なんですよ。
例えば、荻生徂徠(おぎゅうそらい)っていう江戸時代の学者がいるんですけど、「商人っていうのは、モノがないから困ってるのに、それに乗じて値段つりあげたりとかして本当にえげつないやつら!あいつら本当にゲス!」みたいなことを言ってます。

髙木:それはいつの人ですか?

三石:江戸の人です。訓詁学に関しては非常に天才的な学者です。貧しいなか独学でそこまでいった苦労人ではあったんですけど。
それに対して、いやいや、商人にだってちゃんと理があるんだよ、っていうのを京都・大坂で言ったのが、石門心学っていう石田梅岩っていう人なんですけどね。

※石田 梅岩(いしだ ばいがん 1685-1744年) ︰江戸時代の思想家、倫理学者。石門心学の開祖。

江戸時代もいろんなのがあって面白いですよね。

髙木:江戸の、元禄の頃の華やかさが無ければ、いろんな工芸品とか料理とかも発展してなかったでしょうね。

三石:元禄の頃っていうのは、京都、大坂が中心なんですよね。
そのあと、野田とか関東の醤油が日本全国に広まってますけど、結局江戸幕府がクリアできなかったものってお酒なんですよ。
お酒だけは、関西というか灘から入れるしかなかった。法令だしたりして関西に金が流れるのを防ごうとしてもこれだけはどうにもならなかった。
灘の酒がこれほどまでに有名になった理由は、江戸に供給できたからですね。

髙木:ああ、海を使って。

三石:灘の酒ができた時に、京都の方にも入れられたんですけど、そこは京都人気質なんで、「京都の酒以外いらんわ〜」って拒絶し、江戸が「じゃあいらないならもーらう」って言って。結果、江戸は地回りの酒が発展しなかったんですね。

宮田:東京って酒蔵少ないですよね。

三石:それはそういう理由なんですよ。

宮田:青梅のほう?

板谷:多満自慢とか。

髙木:澤乃井なんてのも。
江戸の町なかじたいが、酒も食品じゃないですか。
食品工場ってのはなかったわけですね?
いわば、仕込んでる蔵とか。

江戸時代の働き方改革

三石:もちろんありましたけど、武士なんかは味噌も醤油も自宅で仕込んでたりしました。
江戸時代って物があふれてたんですよ。でも貨幣経済なんでお金に変えてナンボなんですよね。
武士ってお米で給料もらうんで、換金すると目減りするし、あんまりお金持ってないんです。

いろんな儀式とかでお金使わなきゃいけない場面がたくさんあるんで、万が一のためにお金は貯蓄しておきたい。そうすると普段の生活切り詰めるしかないんです。

で、無駄な金遣いしたり、あのお侍さんの家ってあのくらいの安い物しか普段買わないのよ〜、まあ〜、って言われるのも沽券に関わるでしょうし、だったら買わないで自前で味噌作るのが一挙両得。あと自前で家庭菜園して野菜作ってました。

髙木:へえ〜。なんでもやってたんですね。

三石:逆にモノを作れないのは町人。
長屋に住んでる職人さんとかは、そんな余裕ないんで。

宮田:武士って普段やることないし。

三石:武士は全然働かないですからね。勤務形態としては結構ナメてる。

宮田:他の人たちは働いてるのに。

三石:今みたいに九時五時さらに残業みたいな働き方はしてないんで、10時出社、12時にお昼ご飯食べに帰って、1時半ぐらいにまたやってきて、3時くらいに帰るみたいな。

髙木:ほぼ仕事してないじゃん。

宮田:働き方改革だ。

三石:働き方改革。(笑)
町奉行なんかだと奉行は激務すぎて過労死が多発するっていうケースはあったけれど、基本、だいたい、殆どの武士はおゆるり。江戸初期の頃の『鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき)』って朝日重章さんという尾張の中間管理職の武士の日記とか読むと、ほんと、楽そう。遊んで生きてますよ。

髙木:日本政府のテーマにできますよね。「江戸に戻れ。」

宮田:でも言ってる人いますよね。

髙木:でも、そんな休みをとってたのは武士だけですか。
当然もう、流通業とかもあったわけじゃないですか、市場とか。
そんな連中はそんな休んでないですよね。

三石:あーでも、大店の丁稚とかそういう店舗型はかなりの時間拘束でブラックですけど、それ以外でいえば働く時間は現代みたいに長くないです。
例えば、売りあるくときって売れる時間って決まってるじゃないですか。

おなか空いてる時間帯にだけ出せばいいので、ずーっとお店開けてればいいわけじゃないんですよ。

朝ごはんが必要な時に、アサリ売りとかの煮売りとかやって、お腹すいてる頃にそこらへんに行けばいいだけなんで、労働時間としては長くしなくて済む。他になにか副業してれば話は別ですけど。

八百屋ってあるじゃないですか。
やおよろずのヤオですけど、なんで八百なのかというと、茄子と菜っ葉とか二種類くらいしか売らないのがいるんですよ。
これたぶん刺さるだろうな、っていう売れ筋のものを持っていって売り歩いた。
これ、前栽売(せんざいうり)っていうんですけど。それ以外のものも食べたいよっていうので、いろんな品揃えを持ったのが八百屋ですね。こっちは店舗系。
たくさん種類があるんで、八百って数字なのです、八百屋って。

髙木:ふーん、でも今の八百屋さんでそれ知ってる人いないでしょうね。

三石:でしょうね(笑)
で、野菜も季節外れのもの、季節先取りのものってむちゃくちゃ高く売れるんですよ。なので、和紙でビニールハウスみたいの作って、炭火つけて、あったかくして、茄子ができました!冬に茄子!みたいなので野菜に何両っていうバカ高い値段がついたりしました。

髙木:うーん、付加価値ですよね。

三石:付加価値ビジネスはいつでもありますねえ。


歴史学者の語る江戸時代は、色あざやかに浮かんできますね。
いつの世も、食を中心に文化は出来上がってゆくのですね。
次回は本対談の最終回。
これを初めて食ったやつはエライ!という話題です。
お楽しみに!