2020.11.26

ボジョレー・ヌーヴォーとは何なのか。

ボジョレーヌーボーの歴史

この11月の終わりにさしかかる季節になると、「ボジョレー解禁」というニュースが出てくるようになる。コンビニやスーパーにもボジョレー解禁と特設コーナーが作られたりするこのワイン。

ボジョレー・ヌーヴォー、果たして一体なにものなのか。

まずボジョレーの地理としては、パリからみて南東の方角にあるブルゴーニュ地方南部。パリからよりも、スイスのジュネーヴの方が近いというぐらいの位置にボジョレーはある。
アクセスとしては美食の街リヨンのリヨン・パール・デュ駅から北に向かうディジョン行きの国鉄に乗ってだいたい4、50分程度で到着することになる。

ボジョレー地方は花崗岩質で粘り気のある石灰粘土層の土壌で、ボジョレーの主力である黒ブドウ「ガメイ種」と非常に相性のいい土壌なのである。

スイスに近いぐらいだから、秋口になれば朝晩の寒暖差がでる。この寒暖差がブドウの甘さを作るのだ。それにこのガメイ種は霜にやられても回復する力を持っており、まさにボジョレーの土地にうってつけと言える品種なのである。

ボジョレー・ヌーヴォーの作り方

実はボジョレーヌーヴォーの多くは他のワインと作り方が異なる。

ワイン作りというと、ブドウを踏んでいく破砕作業を思い浮かべるかもしれない。

あのときブドウは、房から実を外している。普通ワインは発酵前にそうやってブドウを房から外して実だけの状態にして破砕するのだが、ボジョレー・ヌーヴォーを作るときにはブドウを房ごと、丸ごと発酵槽の中にいれて発酵にかけてしまう。

ブドウの重さでブドウが潰れて果汁が流れだすのだ。そして発酵される。
炭酸ガスを注入する場合もあるし、自然のままの炭酸ガスの発生にまかせる場合もある。
ここで潰れていない上の方のブドウが役に立つ。その潰れていないブドウの細胞内部で酵素が働いてリンゴ酸が分解され、アルコール、アミノ酸、コハク酸などが生成されていく。

ズボラにも思えるこの作り方。ちゃんとマセラシオン・カルボニック醸造法という名前がついている。

ボジョレーヌーボーの歴史

ブドウの粒の中で自然と発酵が起こるせいで酸味が柔らかくなり、甘くフルーティーになる。皮から色素も溶け出しやすくなる。しかも炭酸ガスが酸化を防止するので、味はフレッシュになる。

あとは圧搾して、果汁だけで発酵を進める。この作り方、じつは白ワインと同じなのである。
そして熟成期間は、なんとたったの6週間。その年の秋口にとれた新しいブドウで作る新酒。それがボジョレー・ヌーヴォーなのだ。

ボジョレー・ヌーヴォーのヌーヴォーとはNouveau、新しいという意味である。

他の赤ワインに比べてタンニン少なめで果実味のあるルビー色のワインが出来上がる。

赤ワインは渋い、とか苦い、重い、というイメージを持っている人のイメージ払拭するならば、ボジョレー・ヌーヴォーは一番おすすめかもしれない。

ボージョレの楽しみ方

ちなみにボジョレー・ヌーヴォーは、その年のブドウで突貫工事的に作るため「試飲」的意味合いが強い。
その年のブドウの出来栄えや気候、あとは代替わりしたワイナリーの調子などを見る意味がある。そしてオーソドックスだからこそ、嘘がつけない。だからこそ、「マズイ」ボジョレー・ヌーヴォーというものもあり、そういうのを飲んでしまった人にボジョレーはまずいというトラウマを植えつけてしまっているようだ。

ボジョレ・ヌーヴォーは造り手からの今年の速報のようなものである。
しっかりとした造り手は、やはり単純明快な美味しいボジョレ・ヌーヴォーを作る。

これらのちゃんと作ったボジョレー・ヌーヴォーは家であける日常ワインには最適だ。ヴィンテージワインはやはり重厚な料理が欲しくなってしまうが、この新酒には日常の気安さがある。

土日の昼ぐらいからハムやソーセージで気軽にワインを空けたい時の選択肢として、ボジョレー・ヌーヴォーは最適だろう。大体温度は12度から14度程度、季節的には風呂場とか玄関に1日置いておいたぐらいがちょうどいいかもしれない。

ボジョレー・ヌーヴォーの歴史

ボジョレーヌーボーの歴史

ボジョレー・ヌーヴォー、さぞワイン大国フランスだから古いかと思いきや系譜としては戦後になってから。

1951年にフランスの省令で軍隊供給を優先するためにAOCワインは12月15日以降にしか販売してはならないことが決まる。

しかしボジョレーの生産者たちは、ボジョレーのワインは新酒だから早く販売しないと意味がないと第二次世界大戦でリヨンに避難していた文化人たちが論陣を張ったり、またローヌ地域選出の下院議員を動かしたりして申請が通り、1968年にボジョレーなどの地域だけは11月半ばに独占的に新酒を出していいということが認められたのであった。

最初の解禁日は11月11日。その日は聖マルタンの聖人の日であったために、縁起かつぎもあって11日になった。ところがこの日はドイツ降伏と第一次世界大戦終結の記念日「無名戦士の日」という日に変更されてしまった。ちなみに無名戦士の墓は凱旋門の中央にある。

さてさて、他に縁起のよさそうな日はないか。そこから近いのは11月15日が聖タルベールの聖人の日があった。そのため、11月15日に解禁日をお引越しさせる。

ところがこの11月15日が非常に微妙で、土日にかぶってしまうことが多かった。ご存知の通り、フランスは土日祝日は絶対に仕事をしない。この11月15日前後が土日にあたると運送もやっていないから出荷ができなくなる。あるいは15日当日が土日となると、レストランやワイン屋がやっていないから解禁日に飲めなくなる。さらに醸造が間に合わなかったりということも相次いだ。間に合わないから延期するのかというと、無理にでも出荷することになる。当然、出来上がっていないものを製品として売る粗悪品「ヴォジョレー・ヌーヴォー」が出回るようになってしまったのだ。
どうすればいいのだろう。

そうだ、もっと後ろのド平日の日にすればいいんだ。

そこで1985年に「11月第3木曜日午前0時」という現在の解禁日が決まったのである。

木曜日というなんだか中途半端な日に解禁されるのはこうした「絶対に土日にかぶらないようにするため」というフランスらしい理由によるものだ。

そしてちょうどこの1985年の日本、プラザ合意の思わぬ影響で株や不動産の価格があがるバブル開始の真っ只中であった。
日本、まさに調子こきまくりの有頂天のはじまりである。

おフランスで初物!?日本は喜んでとびついた。

さらにフランスとの時差で、フランス本国より早くボジョレー・ヌーヴォーが解禁される。
日本人の初物好きな上に舶来物が大好きという性癖が相俟ってか、日本はボジョレー・ヌーヴォー輸出量世界第1位へとなっていくのであった。
ハッピまで着てカウントダウンをして、解禁YEAH!とお祭りじみたことをやるのは日本ぐらいなものである。

バブルの気分とメディアに煽られたことも無論大きな要因としてはあるが、それが初物好きで舶来好きで、しかも何でもお祭りにするのが好きな日本の国民性と合致したのは間違いない。

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。