実はコレを書き始めるまで1か月半かかった。デスクからは「書いてください」「お願いです。そろそろ書いてください」「大変お忙しいとは存じますが書いてください」と、何度も言われたが書かなかった。いや、書けなかったのである。理由は、タイトルにもある通り、デスクから”「農(農業ではなく)」について書いてください”と言われ、自分の中に書けるほどの答えを持ち合わせておらず、ずっと考えていた。
僕が農家デビューしてから4か月が経とうとしている。
その間に思い出せるだけでも、場面場面で、僕の人間としての能力をありったけ全方位で試された気がする。
- 農業の支援機関で「村田さんには農業は無理」と言われても、自分を奮い立たせるチカラ
- 先輩農家さんの無償の優しさに感謝するチカラ
- 先輩農家さんの心無い行動にも耐えるチカラ
- 先輩農家さんへ頭を下げて教えを乞うチカラ
- 蒸せ上がる地熱含め気温50度の中、作業する体のチカラ
- うまくいかなくても何度でも出来るまでやり続けるチカラ
- 世界の「食」にまつわる真実をデータから読み取るチカラ
- 日本の「農業」にまつわる真実をデータから読み取るチカラ
- 雨が来るまでなんとか工夫してやり過ごすチカラ
- 自然に順応し生活リズムを容易に変えるチカラ
- 天候のせいで計画通りにいかなくても寛容になれるチカラ
- うつり気な天候に素早く反応し、元の作業計画をリスケするチカラ
- 軽トラを少しでも安く手に入れるための交渉するチカラ
- 4束100円の小松菜も、1房20,000円の葡萄も、どちらも同レベルで丁寧に扱うチカラ
- 隣の畑のお母さんと仲良く付き合うチカラ
- 今ほど蒔いた種が、背中を向けた途端、鳩に食べられても微笑むことができるチカラ
- 油断して畑が雑草だらけになっても仲間と笑い合えるチカラ
- 大の苦手の昆虫と爬虫類に囲まれても、「自分がよそ者」と自覚するチカラ
あくまで現段階での僕の考えであるが、
「農」とは「生き方」そのものなのではないか・・・
誰しも生活の一部に「農」を取り入れること、それがあたりまえになる時代が来ると思っています。
今後のRiffへの連載で、皆さんが「農」に思いを巡らす一助になれば幸いです。
食べるための争いも経てきた人類が、やがて種から農作物をつくり、農作物を飼料とした畜産も生み出しました。その後、世界人口の増加に合わせるかのように農業技術は進化を遂げ、今日まで世界の胃袋を満たしてきました。一方で、耕作放棄地、農業従事者の高齢化、フードロス、フードマイレージ、有り余る農作物の国家間の押しつけ合いなど、様々な問題もあるのが現実です。OPENSAUCEの『KNOWCH』プロジェクトでは、問題に農家の視点から取り組みます。