サントリーが寿屋時代、1956年(昭和31年)から出していた広報誌「洋酒天国」をたまたま見つけた。手元にあるのは昭和33年のものと38年のものだが、執筆者のレベルも高い。1963年まで発行され、2万部から始まり一時は20万部を誇った。
とは言え、高度成長期に突入する時代だけに、いまではかなり隅っこに追いやられる男性中心の内容である。女性が読んで楽しむということは1ミリも考えられていない。まあ、よくも悪くもその後生まれる男性誌の元になったものと言ってもいいだろう。酒はオトコの世界であり、オトコを形成する一部だと誰も疑わなかった時代だった。
「洋酒天国」誌は当時寿屋宣伝部員だった作家・開高健が当時専務だった佐治敬三に提案し、自社で展開していた『トリスバー』の顧客のために創刊された。
高度成長期の頑張るサラリーマンたちのために作られたチェーンのバーにおける国産ウイスキーの販促とブランディングのためだ。欧米的なダンディズムっぽいものが漂っている。
読んでいて、初期の日本テレビの大人向け番組『11PM』を想起させた(知らない人はWikiで)。「洋酒天国」から紳士ぽさと品格をだいぶ落とした内容と言ってもいいだろう。おしゃれさはあったが、いま考えると低俗ではあった(低俗だから悪いということではない)。MCや出演陣の知的な部分との緩急がうまく誤魔化してくれた。1974年にはアンディ・ウォーホルも出演している。
ジャズのコーナーで自ら歌ったりしていた司会の大橋巨泉が流行らせたのは、アシスタントであった当時若かった人気女優・朝丘雪路の胸を指して言った「ボイン」という言葉である(コンプライアンスのかけらもない)。日本には小学生から大人までボイン、ボインと言っていた時代があったのだ。朝丘は毎回、胸の大きさをイジられるというミニコーナーでトークで笑いをとりながらも司会の大橋と世の男性諸氏を嗜め、女性司会者として男性と同等のポジションに立った。
この辺りから女性の酒場進出はあたりまえになっていったように思う。昭和40年、戦後20年が経っている。
「洋酒天国」の編集兼発行人は当時社員だった作家・開高健、ほか創刊時の編集者はアートディレクターの坂根進、アンクルトリスのキャラクターを作り出したイラストレーターの柳原良平。作家になった山口瞳もいた。
開高健は、錚々たるメンバーに酒の随筆を書かせた。
作家・吉田健一、社会批評・文化批評家のいいだ・もも、戦前の文藝春秋を支えた作家・編集長の永井龍男、オペラ歌手の藤原義江、ファーブル昆虫記を翻訳した作家・きだみのる、演劇評論・推理作家の戸板康二、画家の東郷青児、小説家・山本周五郎、フランス文学者・河盛 好蔵。
トリスバーで酒を交わすことが、文化的で知的な行為に見えてくるわけだ。
残念ながら登場する女性は一人。ミス洋天というヌードグラビアだけ。執筆者にはしばらくの間いなかった。ヌードグラビアを載せるというのは子供と女性は立ち入るなということだ。酒場は男性のコミュニティーであり、酒は男のコミュニケーションツールだった。
「洋酒天国」という広報誌の内容が今の時代にあっているとはまったく思えないが、宣伝や広報において、とりあえずをカタチに収めて発信すれば良いというところに甘んじていてはいけないのだと、これを見て再認識。
自分が独立した若い頃、サントリーのPR企画に関わったことがある。どうやっても邪魔になるタブロイドサイズのフリーペーパーだ。宣伝を担当していたアートディレクターとのアイデア会議に「ちょっと来てよ」と参加させられたのだ。
アイデアを出しては「それは見たことがある」「想像できる」「新しくない」と潰していくマラソンのような作業だったが、実に面白かった。
飲食店や商品(新しいものにせよ伝統的なものにせよ)の宣伝にしても、これまでに「ない」ということは重要なテーマだ。広告やパッケージのためにフォントを創り出したり、商業の世界にいなかったアーティストを登用したり、新しいメディアが生まれたりすることの素晴らしさを失いたくないものだ。
過渡期とはいえ、AIで作られた同質なイラストだらけになることはおぞましい。象に描かせた絵の方が良い場合があるのでは?プロンプトクリエーターがいるのならば本当のクリエーターであって欲しい。
余談の余談だが、開高健は作家デビュー初期に『巨人と玩具』という、景品競争で破綻していく製菓会社の宣伝部の担当者を主人公にした小説を書いている。映画にもなった。
※「洋酒天国」は古本などでも出回っているものがあるので興味のある人は手に入れることも可能。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。