川柳川柳(かわやなぎせんりゅう)師匠が亡くなりました。残念です。
立川談志家元、先日の小三治師匠とならび、個人的にもっとも生で高座を観る機会に与れた方でした。
川柳さんといえば、「ガーコン」という演目が大看板です。
いわゆる古典落語ではなく新作落語、それも川柳さんしか演じることができないであろうオリジナリティの高い芸です。
歌は世につれ
ガーコンでは、当時の戦況や世情を語りながら、昭和(ときには明治から)の流行歌を、師匠が子供の頃から歌ってきた記憶をもとに熱唱します。
90歳で亡くなるまで現役であり続けたのは、毎日のように寄席で大声で歌っておられたこともあるでしょう。
開戦直後の戦意高揚のメジャーコードの勇ましい軍歌が、戦局が負けに転ずるや、マイナー調の「同期の桜」や「スーちゃん」など、物哀しい歌が流行るようになります。
戦争に真っ先に持っていかれたのが戦意高揚の役に立たない落語家で、20人全員生きて帰ってきた話、中でも三平さんはなぜか太って帰ってきた話。
学徒動員により軍事工場でゼロ戦のしっぽを作っていた川柳さんが歌とともに語ってくれる昭和史は本当に面白いものでございました。
その中で、食べ物の話題がいくつか出てきます。
「かわいい魚雷と一緒に積んだ 青いバナナも黄色く熟れた
男世帯は 気ままなものよ髭も生えます髭も生えます 無精髭」
-轟沈
この歌を歌うと、友達が「よせよ、そんなの歌うのは」と止めてきたそうです。
なぜか?
バナナが高くて、とても手が出なかったから。
バナナと聞いただけで想像してよだれが出ちゃう、ということです。
バナナと生卵は高かったんだ!
…今じゃお見舞いに持っていったらつっかえされますよ、とのたまう。
この話が、バナナを食べるたびに頭をかすめます。
思えば、師匠のおかげでかなりバナナを美味しく食べられているなぁと実感します。
チョコレートのコラムでも、かつてチョコレートが怪しい麻薬扱いだった話もありましたが、人間の体は変わらないのに、さまざまな理由で食べ物の扱いが変わってゆくのは実に不思議なものです。
歌は世につれ、また食も世につれ
明るい軍歌から、暗い戦中歌謡を経て、終戦により音楽の風景が一変します。
GHQにより軍歌は禁止され、これまで敵性音楽として禁止されていたジャズがラジオから流れ始めます。
軍歌ばかり聞いて育った川柳少年もジャズに狂い、そして死ぬまで狂い続けました。
この話の下げは、ジャズという新しい時代を象徴する音楽と、脱穀機という枯れた技術が発する「ガーコンガーコン」というジャパニーズ・農タウンサウンドが交差する、なんともふしぎな瞬間を切り取ります。
2018年の独演会では最後の下げは省かれましたが、もう何度もやってるからいいでしょ、という姿勢とそれが許される場所はまさに至芸でありました。
脱穀機とジャズの時代は過ぎ、大規模農業とEDMやヒップホップが交差する時代に、どんな音が流れ、どんな食べ物によだれを流すのでしょうか。