- 書名:文人悪食
- 著者:嵐山光三郎
- 発行所:新潮文庫
- 発行年:2000年
ピーナツ好きの夏目漱石は消化が悪く胃腸に悪いピーナツの砂糖まぶしを夫人の禁止令を無視して隠れて食べ続けて死んだ。
主人公の淋しさと苦悶を書く島崎藤村は料理に対して冷淡で、まずい料理をいかにまずく書くかの天才だった。結婚式の葡萄酒は美味しいが、別れ話の席のそれは苦い。じつはうまい料理を知っている人間だけが、まずい料理を不味そうに書ける。「まずさのなかにしんしんと冷える悲しさがなければならない」と嵐山は書く。
こんな話が集められた。「なぜ文人は悪食だったのか」を探る旅である。人間と文学の駆け引きを覗き見しながら、食べ続けなければならない人間の哀しさと愛しさを知ることができる。
著者のことを生前はよくテレビで顔を見るふざけたオジサンと思っている人も多いのではないだろうか?いまはこういうオジサンをテレビで観ることも少なくなった。編集者・嵐山光三郎が雑誌「太陽」の編集長をやっていた頃は面白かったなと懐かしむ。
断っておきたいが、この本の考証については一部賛否がある。特に専門家による事実考証に対しての異議だが、この本の意味することには影響が少ないように思う。
そもそも「悪食」をあくじき、と読まない人が多そうで心配だ。表紙にもふりがながデザインされている。タイトルは「ぶんじんあくじき」。明治の匂いが消えてしまったとも思える令和に「文人」も怪しいか。
文人とは誰か。ここでは夏目漱石、森鴎外、幸田露伴、正岡子規、島崎藤村、樋口一葉、泉鏡花、有島武郎、与謝野晶子、永井荷風、斎藤茂吉、種田山頭火、志賀直哉、高村光太郎、北原白秋、石川啄木、谷崎潤一郎、萩原朔太郎、菊池寛、岡本かの子、内田百閒、芥川龍之介、江戸川乱歩、宮沢賢治、川端康成、梶井基次郎、小林秀雄、山本周五郎、林芙美子、堀辰雄、坂口安吾、中原中也、太宰治、檀一雄、深沢七郎、池波正太郎、三島由紀夫。
「粗食淫乱は、青年の特質である。貧乏青年は、藤村に限らず、みな粗食淫乱である」嵐山の言葉だ。この本は草食と言われる若者の時代にこそ読んで欲しい。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。