2019.02.04

節分と恵方巻きとその歴史

恵方巻き

これを読む頃には、もうみなさんは節分を終えているかもしれない。

なんで三石は正月が終わってから伊達政宗のおせちの話を書いて、節分も終わってから書くのか。

色々なものが終わってからの方が、落ち着いて見ることができるから、という深い考えに基づいていることにして頂きたい。  今日は節分の食事について書いてみたいと思っている。

節分の食べ物といえばなんだろうか。

豆?恵方巻き???

ああ、恵方巻き。もはや節分に避けては通れない食べ物になってしまったから、これからまず片付けてしまおう。

実は恵方巻きの由来は色々な研究者が研究しているのだけれど、由来は依然として不明である。

これはもともと遊郭で流行ったもので恵方巻きを男の生殖器にみたてて女がそれを、、、という下ネタ的な由来があるとされていた。やだよ、ガブリされたら。イタイイタイ。


そもそも巻き寿司はいつ始まったのだろうか。

巻き寿司自体は江戸時代中期に誕生した、割と最近の食べ物である。

1795年(寛政7)、江戸時代中期に書かれた『萬寶料理秘密箱』という料理本の中に巻き寿司の作り方が書いてあるが、薄焼き卵で巻くと書かれてある。あら、美味しそうね。

それから40年後、江戸の様々な風物を書き残した『守貞漫稿』ではかんぴょう巻きが「のりまき」として記載されているから、大体この間ぐらいに今の巻物のスタンダードが出来上がっていったとみていいのかもしれない。

では一体、恵方巻きはなにものなのか。
ここで我らがOPENSAUCEのオフィスになぜかある『日本の食生活全集』全50巻を活用する時がやってきた。これは大正末、昭和初期の全国の老人から食事についての聞き込み調査をしたものをまとめたもので、高度経済成長で日本が均質化する以前の食の様態を知る上で大変に資料的価値のあるものなのである。

日本の食事に関する聞き書き本全集

さて、スシスシ。巻きスシスシ。

巻き寿司なんてありゃしない。静岡、愛媛、徳島では節分に寿司を食べるんですって。ほほーう。
で、結局、巻き寿司の恵方巻きは江戸時代にも明治にも大正期にも起源を求めることはできなかった。

色々論文などを真面目に調べてみたら、どうも1932年に大阪鮨商組合が2月には寿司の売り上げが落ちるからというので言い出したというのが本当のところらしい。船場の花柳界で、という由来を語った当時のチラシもあるが、船場は純然たるビジネス区域だから花柳界なんてありえない。言い出した本人たちがこんななので、どうも歴史的根拠はなさそうである。

しかし、由来がなくってもここまで全国的に流行ってしまったのだから不思議なものである。

さて、恵方巻きがなくなったら、私たちは節分になにを食べたらいいのだろう?
恵方巻きで節分の儀礼食が均質化する以前は何を食べていたのだろうか。

ちなみに我が家では節分の夜には蕎麦が出る。

ウチは年越には蕎麦を食べないで、節分に蕎麦を食べるのである。

これを書いているのは節分の夜なのだが、本日の夕餉は辛味大根をたっぷりといれた福井風のざる蕎麦にしたところである。ごちそうさまでした。

年越しそばという言葉自体は、私の知る限り明治時代の中期頃ぐらいから言われ始めたもの。

その明治以前は旧暦の世界であり、立春を基準として一年を約15日づつの二十四節気に分けた季節感によって成り立っていた。

二十四節気でいうところの新年とは「立春」であり、その前日の節分が大晦日なのだった。

まさに節分の蕎麦は、年越し蕎麦だったのである。

現に今でも出雲地域や信州あたりには節分に蕎麦を食べる地方が残っている。

きっと我が家の節分蕎麦は、曽祖母が信州で幼い頃育ったことがあるそうだから、その時の文化を引き継いだのかもしれない。

あとは節分に口にするものといえば豆だろうか。

ちなみに豆まきの方はちゃんと歴史がある。

室町時代初期、後花園天皇の父である貞成親王の『看聞日記』という日記の一月八日条の節分の日のところに「鬼大豆打」とある。室町時代の武家有職故実の書である『今川大双紙』にも「節分の夜の鬼の大豆」とあり、室町時代には豆をまいていたのである。

今でこそ豆を投げられる鬼はジャンケンに負けた人がイヤイヤするような類のものだが、室町時代にはどうも違ったらしい。豆を投げるのがハズレ役だったようだ。さっきの『看聞日記』では、豆を投げる役を若い公家がするのだが、イヤイヤなのである。

豆を投げるのは穢れに関わる危険な、そして下っ端の任務であって、「なんか病気とかになったらどうするんすか、、、」的な雰囲気さえ感じるイヤイヤさなのである。

豆は「魔を滅する」というマメの音に通じるものだし、古来から種子には霊力が濃縮されていると考えられていて、しかも大豆はその大きさが他のより大きい。だから殊更、昔の人は大豆に強い聖なる霊力を感じたに違いない。

あとは、節分といえば西の方では鰯を食べる地方が多くみられる。

イワシの語源は、弱し、卑し、からきているといわれる。漢字も魚偏に弱いで、どんだけ弱いんだろう。
弱くて卑しい「陰の気の魚」であるイワシを平らげて無くしてしまう、ということからイワシを食すといわれる。特に、イワシは焼くと独特のにおいがあり、これを鬼が嫌がるから焼いて食べるのだ。

「鬼(オニ)」は「陰(オン)」の転化したものが語源の一つであり、陰を食べてしまうことで鬼を平らげて今年も平穏無事に過ごそうという発想がその根底にはあるのだろう。

このように節分の食事についてみてきたが、正直なところ、私が恵方巻きを食べる日は一生来ないだろう。

けれども、歴史の捏造だからやめろヤンヤンヤ、と言うつもりは全くない。

歴史の捏造は勿論よくないが、ここまで受け入れられたものを「あれは日本の文化でもないし、ウソだからやめなさい」と言ったところでどうにもならないものだ。

ただ、恵方巻きが普及することで、節分という日が形を変えてでも意識されるのであれば、これはこれでよかったのではないかと思っている。

伝統に固執して無くなってしまうより、ずっとよかった気がするのである。

そもそも、恵方巻きも節分も、受け入れるか受け入れないかは、その時代に生きる人たちが決めることなのだから。

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。