昭和が終わる何年か前、私が中学生の頃だったか、その頃に住んでいた武蔵境駅から少し歩いた家の近所のマンションの一階に、突如として現れた一軒のラーメン屋があった。
その店の名前は《とんぼ堂》。
店主は頭に手拭いを巻いたヒッピー崩れのような風貌で、いつもニコニコ笑っている安西肇のような男だった。
小さなラーメン屋だったが当時としては独創的で他の店には無いようなメニューの店だった。
そしてメニューが前触れもなくしょっちゅう変わる。
そればかりか、勝手に突然休む。
しばらく休んだりする。
ブルースが好きだった店主は、客の注文を作り終えると、店の外に置いた椅子に座り、ボロいギターを弾きながら即興のブルースを大きな声で歌っていた。
うちの家族はその店がお気に入りで、店主とも仲良くなってよく食べに行っていた。そのしょっちゅう変わるメニューの中で私がよく覚えているのは『搾麻麺(ザーマーめん)』と『梅水餃子』である。
そのネーミングから何となく想像はつくと思うが、恐らくその通りである。
この店主の凄いところは、あの時代にオープンソース的な姿勢でラーメン屋をやっていたところで、私の母親が「あんた、美味いねこれ!どうやって作んの!?」と聞くと、惜しげもなくレシピを教えてくれていた。
その『搾麻麺』を念のため解説すると、麺は21番手の低加水のストレート麺で断面は正方形、鶏ガラ醤油ベースに微塵切りの搾菜と白ネギを練りゴマを加えて辛くない坦々麺のようなスープに鶏油が回しがけられていた。
これがアホほど美味かった。
あの時代にこんなラーメンを作っていたなんて、今考えるとかなり先進的なラーメン屋だったのではなかろうか。
そして『梅水餃子』だが、これはもちろん水餃子である。
豚鳥合挽き肉に白菜、そこに蜂蜜漬けの刻み梅干し、更にスープをゼラチンで固めクラッシュしたものを混ぜてある。ニンニクは入っていない。
今では割と一般的になった手法だと思うが、あの当時に小籠包のように口に入れた瞬間にスープが溢れ出すような餃子は、私はとんぼ堂で初めて食べた。
なぜ私がそこまで詳しいのかというと、店主に作り方を教わったからである。
麺の番手という存在や、スープをゼラチンで固めて混ぜるとか、知らなくても人生で全く困らない知識を色々と教えてくれたのが、とんぼ堂の店主だった。
私はこの「いつ使うのか分からないどうでも良い知識」を得るのが楽しくて、ラーメン屋を目指しているわけでもないのに、しょっちゅう遊びに行くようになった。そしてたまに客席までラーメンを運んだりするのを手伝ったりもしていた。
とんぼ堂がこの場所にあった期間は驚くほど短い。
なのでググっても情報は出てこない。
ある日、店頭の貼り紙一枚でサヨナラもなく突如として消えたのだ。
後に聞いた話だと、夜な夜な店の外で即興のブルースを歌い上げていた店主は、マンションの住人や大家から相当なクレームをつけられていたらしい。
他の土地に店を出したという噂も聞かなかったし、あれだけの才能を持ちながら、いったい彼はいまどこでどうしているのだろうか。
もう一度食べたい青春の味である。
『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。