2021.02.01

エホーマキ私考

節分の時期になるとエホーマキなるものが売られ始める。

ドラクエの呪文ですか、エホーマキ。ホイミかなんかですか。
色々なところでこれは都合良く作られた「架空伝統だ」ということが知られ始めてから、どこも歴史とか伝統を言わなくなりはじめた。

ちなみに元々、こういう名前ではない。

世にこうした形で現れるようになったのは昭和に入ってから。
昭和7年(1932)に大阪鮓商組合後援会が作ったビラが確認できる最古のものになる。

この流行は古くから花柳界にもて囃されていました。それが最近一般的に宣伝して年越には必ず豆を年齢の数だけ食べるように巻寿司が食べられています。

これは節分の日に限るものでその年の恵方に向いて無言で一本の巻き寿司を丸かぶりすればその年は幸運に恵まれるということであります。

宣伝せずとも誰言うともなしにはやってきたことを考えるとやはり一概に迷信として軽々しく看過すべきではない。

と、ビラに書いてある。
人が「古くから」と時代を明らかにしない時は大体、そこまで古くない。せいぜいいっても20年前が関の山だろう。誰言うともなしにやってきたことらしい。もはや出どころさえ明らかにされていない。

それからのちの昭和15年(1940)になると同所が配ったビラの内容がこちらである。

巳の日に巳寿司と言うてお寿司を喰べるように毎年節分の日にその年の恵方に向かって巻寿司の丸かぶりをすると大変幸運に恵まれるという習わしが昔から行事の一つとなって年々盛んになっています。

これを読んで、本当に「年々盛ん」になっているとは到底思えない。

時代的にいえば1931年からはじまった日中戦争がどんどんと長期化してジリ貧になって息切れどころか悲鳴があがってきているのが1940年である。

プロモートの広告文というのは、事実をつたえるのではなくて願望を伝えるものである。

「年々盛んになっています」は、盛んにしていきたいです。とみていいだろう。

隆盛を極めし現代のエホーマキ・ビジネスでは「年々広まってきています」と宣伝文にうたっていない。広まっているときは、あえて言わないのが人の心理というものである。

結局、この当時にして積極的な捏造をするわけでなし「昔からの行事」としてお茶を濁して、文章的にもさも自信がなさそうな感じなのが見受けられる。
ちなみに当時の名前は【幸運巻き】

明らかに歴史がなさそうなネーミングである。

※このビラは、大阪歴史博物館に現存している。
http://www.mus-his.city.osaka.jp/news/2008/tenjigae/090128.html

エホーマキはこの二つのビラを淵源に、様々な有象無象の思惑が絡んで現代に至っている。  

1970年代に入ってスーパーなどの依頼もあって、大阪の厚焼組合や海苔組合が再びこのビラをリバイバルさせてくる。厚焼き卵と海苔を販売促進したい思惑と、スーパーの思惑が合致した形になる。

そもそもどうしてこんな血眼になってエホーマキなるものを各業界が70年代後半に至って開発せねばならなかったのか。
それはやはり「月単位の売り上げノルマ」という定量計算が浸透したのもあるだろう。

2月というのは閏がなければ28日までである。他の月に比べて3日程度少ないという月である。3日あれば売り上げは変わる。
日本のバレンタインは当初、チョコではなく家電や本を売ろうと手を変え品を変えて色々と売りつけようとしていたのだ。

結局、チョコで落ち着くのだが、なぜ日本のデパートは血眼になってバレンタインに何ができるかを模索しなければならなかったのか。

2月には目立ったイベントがなかったのだ。

確かに節分はあるが、投げる豆を売ったところで1000円にもなりはしない。非常に身入りの悪い、産業サイドからいえば歓迎せざる儀礼があるだけであった。
そこでカネになるイベントを2月にでっち上げねばならない事情があったのだ。

さて、この現代エホーマキを発明した70年代末、80年代初頭はこのエホーマキなるものはどういう扱いだったのだろうか。
小林信彦の小説『唐獅子株式会社』の続編にあたる『唐獅子源氏物語』(1982)という任侠コメディー小説にはこんなシーンがあるので、以下に抜粋する。

私たちが紫色の絨毯を敷きつめた書斎に通された時、女中が現れて、「少々お待ちください」と言った。

「いま、皆さんで巻き寿司を食べてらっしゃいます」

女中は笑いをこらえている。たぶん、関西の生まれではないのだろう。

節分の夜に、家族そろって、巻き寿司を、一本ずつ、無言で食べると、その年は無病息災で過ごせるという言い伝えに、私たちは従っている。年によって、方向が変わるのだが、今年は、たしか、北北西に向かって食べるはずである。

「おまえ、巻き寿司、食うたか」

私は原田にきいた。

「ぼく、寿司が苦手でして、マシュマロですましました」

「すました、て、えらい違いやないか。巻き寿司は、長いまま、食うのやぞ」

「知ってます。けど、恰好悪いものですよ、あれは」

小林信彦『唐獅子源氏物語』(1982.12.1, 新潮社)

どういうシーンかと言うと、大阪ミナミの全国組織のヤクザ須磨組の大親分の須磨義輝の家に呼ばれた主人公の「不死身の哲」が、そのときのことを回想しているシーンである。

「女中は笑いをこらえている」のあとの「たぶん、関西の生まれではないのだろう」は、関西人でもそんなもの抱腹絶倒の噴飯ものであるというレトリックが働いている。

現に、この哲も原田(不死身の哲の乾分)も関西人という設定である。

その原田が、

「格好悪いものですよ、あれは」

と、言うのである。

コメディー小説の中でこう描かれるほどのインチキ臭いトンデモなシロモノが、エホーマキの印象であったといえるだろう。

やはり業界としては、この妙なシロモノに対するイメージを払拭する必要があったとみえる。そこで江戸しぐさ宜しく、それっぽい歴史をくっつけて正当化させねばならなかったという事情があるのだろう。

そのために幸運巻きは、さも歴史がありそうな古式ゆかしそうな「恵方」という言葉を冠するようになっていった。

別段、エホーマキを悪くいうつもりはないし、歴史どうこう言うのは大人気ない。

正直なところ、エホーマキのことなどどうでもよい。

しかし、どうして大手コンビニの主導とはいえ、ここまで広まったのかが不思議なのである。

以下は完全に憶測だが、私はコンビニが媒体となったからなし得たことだと考えている。

私の中学の頃だが、生活指導の教師たちはゲームセンターとコンビニを重点的に巡回していた。なぜコンビニかというと、「買い食い」の場所だったからだ。

肉まんなど、買って食べながら帰るということができる場所だったからだ。

田舎のヤンキーがコンビニで屯するのも、こうした買い食いに適したものを売っているからだ。彼らもチキンなんかを食べながら、男同志で青春を謳歌したいお年頃なのだ。

買い食いは不調法なことだと私が中学当時(約30年前)は考えられていたし、未だに私の頭は旧態依然としているので買い食いができない。

なぜ買い食いが不調法なのかというと、「器にとりわけられず」「切られていない食べ物」を「そのまま手掴み」で「かじる」ということが不作法極まりないのである。

これも私の子供の頃の記憶だが、祖母はチェーンのハンバーガーを食べてみたいと所望して、家族で食べに行ったことがある。

ハンバーガーを見て父に一言

「お店の人は、ナイフとフォークをつけるのを忘れているよ。食べるものを貰ってきておくれ」

当然、そういうのは無いわけである。祖母はこう言ったらしい。

「そのまま噛み付くなんて犬じゃあるまいし!ましてや人様の前で!」

ちなみにこちらの祖母は、浅草の箸職人の七女で、別にブルジョア階級でもなんでもない庶民の出の人でさえ、こうである。

存外、このあたりがエホーマキの秘密かもしれない。

なぜ、エホーマキは家族で食べねばならないというルールが設けられたのだろう?

それは小林信彦の小説の如く「家族で」まるまる一本かぶりつくもの、と密儀化する必要があったのだ。だって、かぶりつく上に、それを人様に見られるなんて、恥ずかしいこと極まりないのだから。

しかし時代は1971年にマクドナルド1号点が開業している。

この革命的な点は「かぶりつき」を恥としない、むしろ恥としていたからこそそれをアンチすることのカッコよさ、から時代を象徴する食べ物になっていったといえる。

こうした事情から、かぶりつきに違和感を持たない人々が増えていった。

そうして、そのかぶりつきに違和感ない層とコンビニ利用層とが重なった結果、エホーマキというのが大きな違和感なく受け入れられたのだろう。

しかし、エホーマキの将来を考えたとき、私はこれが日本の新たな儀礼食になるとは思っていない。
儀礼食とは格式である。

正月の雑煮の箸は、両口の細った8寸の柳箸である。
どれだけ歴史を吠えてみても、箸を用いぬ食物にどれだけの歴史的正当性があるだろうか。
そもそも巻き寿司というのは断面の美しさを見て賞味することに本貫があるのであって、切らずにそのままかぶりつく食べ方は、「目でも食べる」という日本食の道に悖るのではあるまいか。

第一、切らずに、醤油つけずに食べてそんなもの美味しいかい?という話である。

エホーマキがもし、その吉方位から福を招くのならばなにも巻き寿司である必要はない。

正直、日本人はそろそろエホーマキのアップデートをはかった方がよいと思う。

ぶっちゃけ、かぶりつくならブリトーの方が美味しい。

焼肉でサンチュ巻いたっていいじゃない。

クレープだって巻いてますよ。

寿司だって元々は鮒寿司みたいなのから押寿司になっていって徐々に今の形式の寿司になる。

金沢の地は「クリエイティブ寿司」が栄えていて、カクテルグラスの下に柔らかい米が、上にネタがのったような「握らない寿司」なんかが出る店が複数ある。

邪道と言う人もいるが、そうだろうか。

食文化はアップデートしていき、結果的にそれが生き残れば文化になるものである。

さあ、エホーマキよ、お前ごときが巻寿司のまま300年生き残ることができるかな?

あ、そういえば我らの金沢の片町にあるA_Restaurant、エホーマキをブリトーやパエリアでアップデートするそうですよ。

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。