二十歳になる少し前のある日、親父が何故だか急に、スーツを仕立ててくれると言った。私にとって初めてのスーツだった。
一緒に青山一丁目のツインタワーにあるテーラーに行くと言う。
そこは、ホンダに勤めていた親父の行きつけの店らしい。
私はそれまでそんな店にはもちろん行った事もないし、ちゃんとしたスーツすら着た事もなかった。
自分専用の服を仕立ててもらうという事に興奮した私は、その日が来るずいぶん前から色んな雑誌やらレコードジャケット等を見ながら、妄想を膨らませていた。
当日、親父の仕事終わりの時間に待ち合わせて、そのテーラーに一緒に行ってみると、店内の壁には美しい生地が並んでいて、目移りするわ迷ってしまうわで、生地を選ぶどころでは無かった。
親父がお店の方に、息子が初めてのスーツを作るんだと説明してくれて、私と職人さんとでどんなスーツに仕立てたいのかを話をしながら、膨大な生地の中から少しずつ選択範囲が絞られてきた。
いろんな生地を私の肩から乗せて鏡の前で合わせて見る。
その横から親父が「チンピラみたいだ」とか「チンドン屋みたいだ」とか笑いながら茶々を入れてきた。もちろん私はそんな柄の悪い生地を選んでいるつもりは無い。全然選べる気がしないので、だんだん面倒臭くなってきた。
スーツを作るだけで、自分で決めなければならない事が、こんなにもあるのかと、モノづくりの難しさを実感した。一度選んでしまったら取り返しがつかないし、そう思うと真剣にならざるを得ない。
散々迷った挙げ句に、少し光沢のあるベージュの生地と、薄いブルーのストライプ生地を選んだ。
どちらにするか暫く悩んでいると、親父はニタニタしながら、
「迷ってるんだったら、両方作れよ」
「いや、高いし悪いからいいよ」と遠慮して見せたが、内心では小躍りをしていた。
ここで調子に乗った私は、職人さんとデザインについてあれこれ話を進め、全体的に細身のスタイルで、ジャケットは2つボタンでVゾーンが広め、パンツはフラットなノータックで仕立ててもらう事にした。
初めて作るくせに、そんなイメージを伝えると、職人さんは私の身体を採寸し、「お父さんと違って大きいね」と言った。
親父はボディビルをやっていたので、筋肉こそ隆々なのだが身長は小柄で、裸になると車に弾かれた蛙みたいな体型をしていた。
「仮縫いが出来たら連絡するので、一週間後にもう一度来て」
と言われ、店を後にした。
帰り道に「ありがとう」と言うと、親父は照れ臭そうに、
「出来上がってからでいいよ」と言って、駅で別れた。
一週間後、今度は一人でテーラーに行き、仮縫いされた初めてのスーツに袖を通してみたら、なんとも言えない感動があった。
胸まわりが少し窮屈に感じたのと、袖が少し短い気がしたので職人さんに伝え、ボタンホールのステッチだとか、ボタンの色だとか、また細かいやりとりがあって、次は仕立て上がるのが一週間から十日後だと言われ、ワクワクしながら家に帰った。
何日か過ぎて親父から電話がかかってきた。
テーラーから親父のところに、スーツが出来上がったという連絡があったという電話だった。なので、その週末にテーラーで待ち合わせることになった。
週末までが待ち遠しかった。
初めてのスーツは、身体にピッタリで、鏡に映った自分がいつもより少しイイ男に見えた。親父は、
「なかなか良いじゃない」と、また一人でニタニタと笑っていた。
ブルーの生地も同じ形で仕立ててもらったのだが、生地が違うので着心地も少し違っていた。へぇ生地によって、そんなに変わるんだね。と思った。
スーツを受け取り、帰りにメシでも食って行こうと言われ、原宿のとんちゃん通りにある鉄板焼きの店に連れて行ってもらった。
もちろん初めて来たこの店は、親父が会社の接待とかで、たまに来る店なんだと言っていた。接待というのが何なのか、この時は分かっていなかった。
下戸だった親父がビールを2つ注文し、乾杯をした。
私もビールは嫌いだったのだが、一緒に飲んだ。
お料理はどうしますかー?(マスターがこんな話し方)
親父は、
「いつもの感じで頼むね」
「承知しましたー」
出た「いつもの感じ」というセリフ。
常連ぽいやりとり。
いつもより親父がカッコよく見えた。
前菜から料理が始められ、目の前でどんどん作られて行く料理と、料理人の見事な手捌きに関心をしながら、大きな鉄板をずっと眺めていた。
この店のコース料理中盤に出てくる「ホタテのウニソース」という一品があるのだが、これが倒れそうになるほど美味かった。
これが表題の件である。
立派な帆立貝と、スライスされた椎茸と、バターと醤油と生クリームと白ワイン、そしてウニ。
たったこれだけの材料を、目の前の鉄板の上でカチャカチャと心地よい音をたてながら作っていく。
お寿司屋さんとか鉄板焼き屋さんは、料理をライブで楽しむことが出来るので、私は大好きだ。
料理はあっという間に出来上がり、ソースまで全部食べて欲しいという一言と共に、小さなスプーンも用意される。
出来れば、舐めても恥ずかしくない皿で出して欲しいぐらい、美味い。
あの時、少し酔っぱらった親父は、シェフに
「息子なんですよ」
と2回も3回も言っていた。
シェフの楠本さんは内心(さっきも聞いた)と思っていた事だろう。
私は適当なタイミングを見計らって、親父に「ありがとう」と言った。
親父は「けっこう似合ってたぞ」と、またニタニタしながら言っていた。
そして、ちょこちょこ出て来る料理を食べながら少しだけ親父と会話をした。
「おまえ、これからどうすんだ?」
「音楽で食っていきたいと思っている」
「ふーん、なんでもいいから好きなことやれよ」
「わかった、好きなことだから頑張るよ」
「俺は分からんけど、好きなことならやってみな」
私は再び「ありがとう」と言った。
まだ音楽で食って行く自信も無かった頃だった。
親父がお膳立てしてくれたスーツを作るというイベントで、いろんな事を学んだ。この「ステーキあずま」には、三十年近く経った今でも私は足繁く通っている。そして、いまでも当時と同じコース料理で、ホタテのウニソースも出してくれている。
私にとっては、親父の墓にお供えしてあげたいぐらい思い出の味なのである。
◯神戸ステーキあずま
◯東京都渋谷区神宮前3-27-17ティーズビル2F
◯03-3497-1373
◯定休日 日曜日
BGM: Try Your Wings
『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。