2019.11.02

松竹梅のステーキ

子どもの頃から食い意地の張っていた私は、高校生になってアルバイトをして稼ぐようになってからというもの、その僅かなバイト代が入るとレコードを買ったり楽器の弦を買ったり絵具を買ったりと、貯金なんかするわけでもなく、宵越しの銭は持たない精神で、良い表現をすると未来の自分への投資に使い果たしていた。

そして楽しみだったのが、美味いものを食うという目的だった。
私が育った三鷹・吉祥寺あたりには比較的リーズナブルでちょっと変で美味しいお店が多かったように思う。

吉祥寺のダイヤ街のど真ん中に、今ではコロッケだかメンチカツの行列で有名な「吉祥寺さとう」という肉屋がある。
当時は行列なんてものはなく、一階が普通の肉屋、二階がステーキハウスだった。

吉祥寺PARCOでアルバイトをしていた私は、肉が食べたい時にはこのサトウでステーキを食べるか、李朝園でカルビを食べるかの二択。又は少し足を延ばしてWOODSTOCKで納豆ハンバーグという選択肢もあったが、葡萄屋は高そうで敷居を跨ぐ事は出来なかった。
※ちなみに「いせや」は焼鳥屋であって、私の基準では肉が食べたい時の選択肢には入らない。

表題の件だが、このステーキハウスさとうのメニューには松・竹・梅が存在していた。何れもサイコロステーキである。ご想像の通り、梅から昇順に高くなる。
梅ステーキで確か1500円ぐらいだったと思う。
当時は鉄板で焼かれたステーキとたっぷりのもやし炒めがホットプレートに盛られてテーブルまで運ばれてきた。サラダと味噌汁とごはんと漬物、そしてステーキソースは野菜ベースとフルーツベースの二種類がついてくる。私はフルーツベースのソースの方が好みだった。
ごはんはおかわり自由だ。

急な階段を登り狭い店内のテーブルに案内され、壁に貼られた「松・竹・梅」のメニューの「松」を横目に、いつも食べていたのは梅ステーキ。
注文すると狭い店内で三遊亭楽太郎(現・圓楽師匠)みたいな顔をしてコックコートを着た店員さんが大声で「梅いっちょー!」と叫ぶのだ。
もし彼女を連れて行ったとしたら梅を叫ばれるのは少し気が引けるかもしれない。だから行く時はいつも一人だった。

ある時、ペンキ塗りのバイトで臨時収入があった私はふと「さとうの松が食べてみたい」という思いが頭をよぎり、居ても立ってもいられなくなってバイト代を握りしめて店に向かった。

席に座るなり楽太郎に「松」と伝え、「松いっちょー!」の掛け声にほくそ笑み、至福のステーキが焼き上がるのを待っていた。
当時はスマホ等の情報端末など無いので、ただひたすら待つ。

運ばれて来ると、いつものホットプレートに盛りつけられている肉よりも小さい。高級な肉は量が少ないのだった。
食べ盛りの私は、なんともやり切れない複雑な気持ちになって、帰りに吉祥寺ホープ軒でラーメンを食べて帰った。

あれから何十年、そのステーキハウスさとうが、ふらり通り掛かった築地にもあった。いや、あるのは知っていたのだが、来たことが無かった。

吉祥寺とは違って、いかにも高級そうな佇まいだ。
しかしあの頃の私とは違う。
好きな時に好きなものを食べられるぐらいには成長しているつもりだ。
なので躊躇することなく暖簾をくぐることにした。

そしてメニューブックを見て目を疑った。
あの「松・竹・梅」が無いのだ。

スペシャルステーキ、フィレステーキ、シェフおすすめステーキコース、国産黒毛和牛ステーキコース・・・
価格が書かれていなかったら、どれが高級なのか分からない。
なにしろスペシャルだしシェフおすすめなのだ。

これは若かりし頃の私のような者が不憫な思いをしないようにとの、お店側の最大限の配慮なのだろうか。そして価格が高いやつの方がグラム数が多い。私の知らない数十年の間に何が起きたのだろうか。

昼だしコースで食べるほどお腹に余裕が無かったので、フィレステーキを注文することにした。

料理はホットプレートではなく、上品にお皿に盛り付けられて提供された。
ソースの味は全く同じで、あの頃の記憶が一瞬で呼び戻された。
あの頃と違ったのは私の方で、ごはんのおかわりをする事は叶わなかった。

もちろん美味しく食べ終えたところで、やっぱり梅が恋しくなったのだった。

『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。