初めて納豆を食べた時の記憶をなんとなく覚えている。
現在のようなパック容器ではなく、藁か経木に包まれた粒の大きな納豆は、家庭の食卓の中では異彩を放っていた。なにしろ食べる前に一家の主人が丹精にかき混ぜ、器の中で糸を引かせているのだ。まだ幼かった私には、その光景は一種の儀式のようにも見えた。そこに醤油を入れてさらにかき混ぜ「うん、こんなもんか」みたいな顔をして儀式を終え、それをご飯の上にドサっと盛られ、正直なところ気持ち悪いなと思った。そして「美味いぞ」とクッキングパパのように言われて恐る恐る食べたのだった。
昔の納豆は現在よりも大量に入っており、一人で食べるには多く、家族で分け合って食べる前提のパッケージだったように思う。
そして何よりも違うのは「タレ」なんぞはついていなかった。
なので家庭にある醤油が納豆の味を左右していた。
つまり醤油をどれだけ入れるのかが重要で、私が「納豆かきまぜ役」を拝命してからは「醤油入れ過ぎだ」とか「今日はちょうどいい」とか、好き勝手な事を言われた。
研究の結果、納豆は醤油を入れる前に糸引きが真っ白になるまでよくかき混ぜ、醤油を二回し半と少々の味の素を入れ、さらによく混ぜ、そこに卵の卵黄だけを入れて混ぜ仕上げをする。というのがベストであることが分かり(個人的見解)それは家族にもえらく好評だった。
それが、いつからだっただろうか。
納豆は正方形の白い容器に入れられ、量は少なく、豆も小さめ、そして「タレ」と「からし」が標準装備となった。以前の納豆は恐怖新聞のような文字で「納豆」と書かれていただけだったのが、愛らしい田舎娘みたいなキャラクターと丸文字フォントで「おはよう」と書かれていた。
そうか、納豆は夜ではなく朝食べるものだったのか。
それは良しとして、この「タレ」とは何なのか?
こんなものを使ったら負けな気がして、私は断固拒否していた。
付属の「タレ」なんかに媚びてしまったら、これまでの研究を否定された気がしたし、私の仕事が奪われてしまう恐怖さえ感じたのだ。
現代人がAIに仕事を奪われてしまうと心の底で恐怖を感じているのと同じ感覚だろう。
私は「タレ」なんかに負けない努力と研究を続けた。
しかし、時代は完全に「タレ」の方向に一気に突き進んだ。
そして家族で1つの納豆を分け合う文化も廃れ、食卓には納豆を食べたい人の分だけ、白いパッケージが侘び寂びもなく無造作に置かれるようになり、各自好きな味付けで食べるようになり、多様性の時代が幕を開け、食卓の景色も変わってしまった。当然、私の仕事も奪われたのだった。
この時に私は「無駄な抵抗は時間の無駄」であり、「最先端は受け入れろ」と学んだ。
私は新たな地平線を求め、独学でもっと自由で本格的な料理をするようになった。
この体験が現在の私を形成していると言っても過言では無いだろう。
昔は納豆と言えば水戸納豆ぐらいだったのが、今では多種多様な味付けの商品が発売され、もはや納豆である必要があるのか分からない「焼肉のタレ味」なんてのまである。
誰が納豆の「タレ」を発明したのかは知らないが、日本の納豆カルチャーを一変させたことには敬意を表したい。
しかし、未だ謎なのは、あの「からし」はいつ使うのだろうということだ。
そこまで需要があったのだろうか。
私は「からし」に納豆業界の闇を感じている。
『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。