常に、底辺にいる人を描き続けるアキ・カウリスマキ監督の2017年公開の作品。
絶望的な環境の中でうごめく人々を、ほとんど派手な演出もなく、最小限のセリフで描くのがカウリスマキのスタイルです。
薄暗く、寒々しく、誰一人笑顔を見せない世界。決して恵まれているとは言えない極寒の地フィンランドに、シリア難民として流れ着いた主人公が、難民収容所を抜け出し、生き別れになった妹を探して彷徨う物語です。
こう聞くとフィンランドの人は怒るかもしれませんが、東欧旅行中に、宿でフィンランド人にその話を振ったところ、彼はカウリスマキ作品「過去のない男」に登場する弁護士そっくりの口調で、あそこまでじゃないけどわりと当たってるというようなことを言っていました。
希望と入っているタイトルで素直に希望を感じられるような作品でないことは想像に難くないのですが、ただひたすらに暗く、地味で、絶望的なだけだったら、最後まで観られないでしょう。
カウリスマキ映画は、そんな中にも思わず笑ってしまう「無表情コント」が散りばめられており、コントの集合体でもあります。
アメリカのコメディは言葉の応酬やアクションで、チャップリンやモンティ・パイソンは風刺や様々な仕掛けで笑わせてくれますが、フィンランドコメディであるところのカウリスマキ作品は、表情もセットもセリフでもなくただ「間」で笑わせてくれます。
1976年に兄のミカ・カウリスマキに東京物語を見せられてから、文学への憧れを捨てて映画の道を志したというアキ・カウリスマキ監督。
この間が、小津作品に影響を受けたカウリスマキならではの持ち味なのです。たぶん。
本作でいえば、紆余曲折を経て従業員として受け入れてくれたレストランが、これからはスシだ!と見様見真似で寿司屋を始めるシーン。
日本料理の本らしきものを片手に見様見真似で鍋をかき回したり、見るも無残な寿司らしきものに山盛りのわさびを載せてしまったり。
本人たちはいたって真面目で、ただただ日々の状況を少しでも前に進めようとそれぞれがもがいているだけなのですが、フィンランド人とシリア人が似合わない和装をして、真顔でわさびを大量に盛ってしまうシーンなどは、日本人ならその違和感に失笑せざるを得ないでしょう。これは、外国人が観ても滑稽に感じられるのかどうか、ちょっとわかりません。
しかし、生きる術として寿司という食文化が選ばれたということは考えさせられます。
社会的、人種的、政治的、様々なパワーバランスが複雑に入り組む世界の中で、肉体や精神は大きな制限を受けながら、食文化は自由に国境をまたいでいる、という対比も見えます。
それは、遠く離れた日本の小津映画の系譜を受け継いでいるカウリスマキ映画とも相似形です。
もし難民になったら、寿司を握れて天ぷらを揚げられるようにしておけば、土壇場で命拾いするかもしれません。
映画公式サイト https://www.kibou-film.com/