当初、3000円以下のワインを紹介していくつもりだったのだが、高いのではと思うようになりはじめた。
日常用である以上、やはり1400円程度の価格帯だと有り難い。
そんな1000円台頭のワインなんて美味しいものがあるのだろうか。
あるのです。大変にすごいものが。
ワインのゴリアテとダビデ
モンダヴィと「鉄人」エメ・ギベール
カリフォルニア・ワインというジャンルがある。アメリカのカリフォルニアのワインなのだが特徴を一言でいえば、ボリューミー。
果実味が豊かで、味や香りも大きく豊かなものが多い。ステーキ肉に非常によく合う。
いい意味でも悪い意味でもアメリカ人の気質をそのまま表したようなワインだ。
このカリフォルニアワインがここまでのクオリティーと水準、そして世界的広がりをみせるようになったのはロバート・モンダヴィ(Robert Gerald Mondavi)という人物が自身のワイナリーを作ったことに始まる。
父チェーザレが、禁酒法が終わった頃からナパ・バレーでワイン造りを始めていた。しかし、この父の死後に経営担当の兄ロバートと醸造担当の弟ピーターの間で争いが起こり、弟から追放されてしまう。そして兄は自身のワイナリー「ロバート・モンダヴィ・ワイナリー」を設立したのが全ての始まりであった。
このロバート・モンダヴィは非常にキレ者であった。彼の方針は悉く当たり、彼は自らのワイナリーとカリフォルニアワインを急成長させていくことになる。
たとえば「オーパス・ワン」という有名な高級ワインがある。
オーパスワンは、フランスのボルドーにシャトー・ムートン・ロートシルトを領するロートシルト男爵とロバート・モンダヴィとのジョイントベンチャーによって作られたワインだ。
オーパスワンは価格的には一本6万円からの価格帯。カリフォルニアワインの中では最高峰に位置するワインである。
なおボルドーのシャトー・ムートン・ロートシルトは一本10万円から値がつく。2010年の当たり年のヴィンテージに至っては市場価格18万円程度で取引される超高級ワインである。
このジョイントベンチャーの成功から、ロバート・モンダヴィはあることを確信した。
グローバル展開こそが我らの生き方である、と悟ったのである。
13世紀から醸造業を営み、「カステル・ジョコンド」などのワインを造るイタリアのフレスコバルディ侯爵家とモンダヴィがタッグを組んで作ったワインが「ルーチェ」というもの。こちらは、お値段だいたい2万円ぐらい。
海外コラボで数々の成功を収め、事業継承もうまくいったモンダヴィ社はついにワインの本場フランスへの進出を決意する。
目指す場所は南仏ラングドック。地中海に面したモンペリエの西側にある土地である。
このラングドックはワイン造りの歴史としては古いのだが、ボルドーのような高価格ワインではなく低価格の安ワインの産地として知られていた。
おそらくモンダヴィ社はラングドックでは競争相手がいないということを狙ってこの地を選んだのかもしれない。
モンペリエ市長や地元政治家たちとコンタクトをとり(ここら辺がアメリカ的よね)、村議会でモンダヴィ社の進出が公式に承認される。
しかし、米国資本のモンダヴィ社の進出に反対する地元民も少なくなかった。
これをきっかけにフランスの誇りであるワインの意義、そしてグローバリゼーションは果たして正しいのか、を含めた問題がフランス国内で議論され始めていた。
たまたま時期的に偶然重なった結果なのだが、2001年のフランス地方議会選挙での争点はモンダヴィ進出の是非を問う選挙となった。
結果、モンダヴィ進出の全面的反対を公約に掲げた共産党の候補が村長選に圧倒的勝利。議会ではモンダヴィ進出反対決議が可決され、モンダヴィ側についていた農家たちも一斉に手を引き、孤立無援となったモンダヴィはフランスから撤退することになった。
(そのあと、モンダヴィ社ではロバートとその長男マイケルとの間で内紛が起こり、その隙に酒類業界世界トップのコンステレーション・ブランズに買収される憂き目にあってしまう。お馴染みのコロナビールはコンステレーション・ブランズの製品である)
この出来事は「ワイン戦争」あるいは「モンダヴィ事件」とも呼ばれる。
フランス全土、そして遠くはアメリカで「米国の巨人を追い返したフランスの小村」としてアニアーヌ村がその名を知られるようになる。
画一的な大量生産大国アメリカに、土地の個性を生かしたテロワール(地味)主義のフランスがNOを突きつけ、勝利した歴史的瞬間でもあった。
それはさながら『旧約聖書』の「サムエル記」の巨人兵ゴリアテに勝った少年ダビデのようだ。
このワイン戦争でモンダヴィ進出反対派の中心人物が、今回取り上げるワインの造り手、アニアーヌ村のエメ・ギベール氏その人である。
ジョナサン・ノシター監督のドキュメンタリー映画『モンドヴィーノ』(2004)にも、ギベール氏本人が出演し、このことが取り上げられている。
ギベール家のワイン「ドマ・ガサック」
もともとエメ・ギベール氏はワイン農家の生まれではなく、手袋などの皮革製品の製造をしていた。しかし、ひょんなことから1978年からワイン造りを始める。前回のジャッキー・プレス氏にしても、自然派ワインの偉大なる先駆者たちは別職種から転じた未経験者が少なくない。
ギベール氏はワインを造るにあたってカベルネ・ソーヴィニヨンというブドウ品種を選んだ。
実はラングドック地方ではカベルネ・ソーヴィニヨンでワインを作っても、AOCのお墨付きを得ることができない。AOCの認定ルールの中に入っていない限り、「高級ワイン」にはならない。それを敢えて承知でギベール氏がカベルネ・ソーヴィニヨン種を育てたのは、AOCの規制を受けない自由なワイン造りを志向したからかもしれない。
素人の始めたワイナリーかと侮ることなかれ。
ギーベール家のワインはただものではない。
彼のアドバイザーを務めたのは、エミール・ペイノー博士。ボルドー大学教授で近代醸造学の父と呼ばれ、シャトー・マルゴーを再建した伝説の大御所である。その彼が素人のギーベール氏のアドバイザーについたのである。しかもペイノー博士たっての希望で、無報酬で、ほぼ毎日電話でアドバイスをした。
そうして出来上がったギベール氏の「ドマ・ガサック」のワインは、英国オークション・クリスティーズのワイン部門ディレクターでワイン評論の権威であったマイケル・ブロードベントが「世界のベスト10のワインだ」と評し(この人は2020年の3月に亡くなってしまった)、ミシュランに並ぶレストランガイドの「ゴ・エ・ミヨ」からは「ラングドックのラフィット(※シャトー・ムートン・ロートシルトと同じ五大シャトーの一つ。シャトー・ラフィット・ロートシルト。同じロートシルトだがまた系統の違う遠縁の一族。ややこしい)」と称賛され、世界にその名を知られるようになった。
ギベール氏のこだわりは徹底しており、ブドウを育てる時点で化学肥料、除草剤、防虫剤、酸化防止剤などを一切つかわない。
テロワール(地味)の力を最大限に活かすギベール氏の姿勢に妥協はない。
そんなワイン、お高いんでしょう?
現在のところ「ドマ・ガサック」は高いビンテージで1万8000円、安くて8000円の価格帯である。
コストパフォーマンス的に考えれば非常にお買い得といえよう。
三石、お前は冒頭で1000円台と言ったではないか。約束が違うぞ、と仰るかもしれない。
安心召されい。実は、ギベール家のワインをボトル1400円で飲む方法があるのだ。
ネゴシアンとしてのギベール家のワイン
モンダヴィとのワイン戦争が起こる10年ほど前からエメ・ギベール氏はある試みを行なっていた。
ボルドーの名門シャトーと並び評されたエメ・ギベール氏の偉大なるラングドック・ワインではあったが、彼以外の多くのワインの造り手が作っていたものは大量生産品の安ワインであった。
ギベール氏のワイナリーのお陰でかなりイメージが変わりはしたが、今でさえラングドックは安ワインの産地というイメージを持たれがちなのは事実だ。
ラングドックのワインは大量生産品であるためにブドウの単価も安い。当然、大量に作らねば利益にならない。そのためにブドウ農家の廃業が相次ぎ始めていた。
さらに1980年代のEUはラングドックにワイン畑の減反をさせようとしていた時期である。
「美味しくない安ワインなんて要りませんわ?」と、いうことなのだが、これに対して鉄人エメ・ギベール氏が「美味しくて安いワインというものを作ってやる」と、ばかりに奮い立った。ギベール氏が、ラングドックのワイン畑の誇りを守るために立ち上がったのである。
ラングドック地方は気候的にもテロワール(地域個性)の豊かなワイン生産の適合地であるから、しっかりと作ればしっかりと美味しいものができる土地である。それは「ドマ・ガサック」が既に証明済みだ。
そこで、地元の協同組合から選抜した生産者にギベール氏の指導の下でブドウを育ててもらい、しかも細かく収穫日まで指定する。そうして育てたブドウを買い取ってギベール氏が監修してギベール氏の息子が醸造するという「ネゴシアン」という手法でワインを作った。
こうして鉄人エメ・ギベール氏の哲学とノウハウがそこに注ぎ込まれ、「美味しい安いワイン」が誕生することになる。
それが今日の本題の「ムーラン・ド・ガサック」ブランドのワインなのである。
まずは、ムーラン・ド・ガサックの「ル・マズリエ」シリーズあたりなど如何だろう?
カベルネ・ソーヴィニヨン
こちら赤ワインのカベルネ・ソーヴィニヨン。
ギベール氏がAOCの非認定種でワインを作ったためにAOC認定から外れたという例のブドウである。
手摘み70%、機械摘み30%で収穫している。
15日程度のタンク発酵を経て、無濾過で瓶詰め。
コクと粘り気があり、赤い果実を煮詰めたような味、とよく言われる。個人的にはプルーンのジュースにカシスを入れたような感じだと思っている。私は牛肉に合わせることをお勧めしたい。
すき焼きなどと非常によく合う。ゆっくり飲むと、酸素に触れていろいろなニュアンスが加わってくる。 オムレツとの相性は抜群。
約1400円。(※掲げる値段は全て参考価格です。ワインを仕入れた時の外貨との為替レートの関係で、販売店によっては前後200円程度値段が上下します)
メルロー
こちらはメルロー種。
カベルネ・ソーヴィニヨンが15日のタンク発酵なのに対して、こちらは12日間程度。カベルネより優しくて滑らか。
和食系のものともよく合う。
ちなみにムーラン・ド・ガサックブランドは、どれもほんの軽く冷やして飲むのが個人的にはおすすめである。
お値段約1400円。
シラー
こちらはシラー種。
日常ワインのシラーとしては、このマズリエは悪くても世界で二本の指に入るといっても過言ではない。
より果実味が生きる発酵手法をとっているために味・香りともにフルーティー。チェリーのような香りがしっかり生きている。
お値段約1400円。
エメ・ギベール氏はラングドックで最も成功を収めたワイン醸造家かもしれない。
品質への妥協の無さもさることながら、極めて新しいワインビジネスの地平を切り開いていた。
早い段階から個人向けの通販に力を入れ、生産量の多くを先行発売するという今までのワイン業界にはない革新的ビジネスモデルを確立していたのである。
https://boutique.daumas-gassac.com/en/6-moulin-de-gassac
(こちらはドメ・ガサック公式ホームページ内の通販サイトだが、英語対応もされていて非常に美しく使いやすいサイトである)
生涯の中で多くのことを成し遂げた鉄人・エメ・ギベール氏であったが2016年5月15日未明に91歳で亡くなった。
ギベール家のワイン造りの知識と哲学は長男のサミュエル氏、そして他の3人の兄弟に受け継がれ、その後もしっかりと続いている。
ドメーヌ・プレスにせよ、自然派ワインは第二世代という新しい時代に入りつつある。
そう考えてみると、モンダヴィ事件のロバート・モンダヴィ氏の人生はギベール氏と全く対照的であった。
ワイナリー継承をめぐり、一度の人生で二度も肉親同士で骨肉の争いをしている人も中々いない。
最初は実弟と、そして最後には実の息子と事業継承をめぐって争わねばならなかった。そんなカリフォルニアワイン産業の父、ロバート・モンダヴィ氏も2008年に94歳ですでに亡くなっている。
家族の幸せとはなんだろうか。
そんなことを兄弟や親子で語らう日常ワインがあるとすれば、それはこのギベール家のワインが相応しい。
私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。