巷では新型コロナで、緊急事態宣言がひと月ほど延びることでもちきりである。
ちょうど5月のこの頃になると、昼間などは汗ばむような陽気になる。外を歩いていればそうなるのかと思っていたが、家で凝っとしていても暑くなってくる。
さてさて、何を飲もうか、と考えてみた。ビールを飲むほど身体が疲れていない。なにしろ#stayhomeに勤しんでいるのだから疲れる道理はないものだ。
今年の6月は10年ぶりにフランスに行って、ワインの蔵元を2週間かけて巡る予定だったのだが、それもコロナでできそうにない。
ああ、そういえばこれがあるじゃないかと思いついたのが、ラングドックのシャトー・ド・ランガランのロゼである。
シャトー・ド・ランガランとは
シャトー・ド・ランガランはフランスの中心都市モンペリエの郊外、コトー・デュ・ラングドック地区サン・ジョルジュ・ドルク村にある。
ワイン醸造というと、屈強な男性たちが作るイメージがある。実際、ワイナリーの男たちは屈強な見た目の男性は多い。
しかし、このワイナリーのオーナー兼醸造長は、ディアンヌ・ロスフェールさん。女性である。かつては妹のコンスタンス・レロールさんと姉妹で切り盛りをしていた。(2016年に営業担当の妹のコンスタンスさんは病気療養のために引退されている)
元々はこのシャトーは、姉妹の母で、前オーナーのフランシーヌ・グリル夫人がこの城館を買い取ってワインを作り始めたことに始まる。
フランシーヌさんの父は、シャトー・パルメのオーナーだった人物である。
シャトー・パルメは、ナポレオンを撃破したワーテルローの戦いで有名なウェリントン将軍の幕下でスペイン遠征に参加したこともあるチャールズ・パーマー(フランス語ではシャルル・パルメ)大佐がフランスに渡って作ったシャトーである。ちなみにこのパルメ大佐はホイッグ党選出の議員でもあった。彼のシャトーで作られたワインは、ワイン通で有名だったイギリス王ジョージ4世にも愛飲されていたほどで、「実力」では格付け一級のシャトー・マルゴーと肩を並べるともいわれるワインである。
シャトー・パルメはメドック格付け3級なので、1級のシャトー・マルゴーと比肩するというのも妙な話であるが、メドックの格付けは1855年にされたもので現在の状況を反映しているとは限らない。
名より実を、美味しい高級ワインを比較的お手頃に、というのならばこうした実力は1級レベルだが、メドック格付けは3級というワインは狙い目である(それでも5万円ぐらいするワインなのだが)。
さて、このパルメ氏は不運にも破産してロンドンでホームレスになってしまう。このシャトーは銀行の管理下になり、それはやがてロートシルト(ロスチャイルド)家のライバルであった銀行家で鉄道経営者の富豪・ペレール家が、このシャトー・パルメを手に入れることになる。このペレール家こそがフランシーヌさんの父の系譜である。
しかし、ペレール家のワイン経営は平坦な道のりではなかった。
ペレール家のシャトー経営は、ちょうど苦難の時期に重なってしまっていたのだ。ブドウの天敵であるうどんこ病の蔓延、世界中のワイン葡萄をほぼ絶滅させたフィロキセラのパンデミック、そして社会を揺さぶる第一次世界大戦を乗り越えたものの、1929年の世界大恐慌ではついにシャトー・パルメを手放すことになってしまった。なお、このペレール家がシャトー・パルメの品質を発展させたこともあり、ペレール家時代のこのシャトーのワインはプレミアのついた高額で取引されている。
その後、フランシーヌさんはパリで造船会社を経営する実業家と結婚した。この夫のグリル家は、ラングドックの17世紀の歴史的城館シャトー・ド・ランガランを所有し、小さいながらのワイナリーを営んでいた。
1950年代後半に夫婦で南仏を訪れた時(確か娘のコンスタンスさんが、Le voyage de noces /新婚旅行 の時の話だと言っていた記憶がある)、このぶどう園つきの館を見たフランシーヌさんは一目見て気に入ってしまい、かつて父が所有していたシャトー・パルメのようなワインを作ろうと決意したという。無論、ワインなど作った経験はない。
フランシーヌさんはこのシャトーを手に入れたが、手に入れたその年の冬にフランス史上最悪ともいわれる大寒波に見舞われてしまった。
ブドウが、寒波のために木の根まで凍って壊死してしまったのだ。普通はここで、運が悪かったと諦めるところなのだが、フランシーヌさんは「自分の好きな品種が植えられる」と南フランスに適した品種に植え変えた。ラングドックは安ワインの生産地だったため、ブレンド用のアリカンテ・ブーシェやアラモンなどの大量生産品種が植えられていたのだ。
しかし植えたてのブドウの木からなる実の品質は、高くはならない。ブドウの木は、時間を経れば経るほど、土地の味を覚えてしっくりとくるようになるのだ。
フランシーヌさんの敵は、思うようにいかないワインの品質だけではなかった。世間は「ラングドックだから」と馬鹿にし、「女性の造り手」というだけでも認めようとしなかった。
世間もまた、味方ではなかったのだ。
今でこそ、同じラングドックにはあのカトリーヌ・ドヌーヴが感動した「Rita」というワインを世に生み出したミレーヌ・ブリュという女性の造り手もいるが、この1950年代にはワイン業界で女性など皆無だった。
しかもラングドックは安ワインの産地であったため、この地でシャトー・パルメのような高品質ワインを作ろうなどと考える人もいなかったし、作れるとも誰も思ってはいなかった。これはエメ・ギベール氏のワイン作りよりも約20年も早い。まさにあらゆる意味でフランシーヌさんは自然派ワインの先駆けだった。
時は20年を経て葡萄も品質が上がり、1978年に「Château de l’Engarran (シャトー・ド・ランガラン)」のエチケット(ラベル)が世に出ることになる。
そしてラングドックでは今までされたことがなかった元詰め(ブドウから瓶詰めまでを一貫して生産したということ)を行った証として、エチケット(ラベル)に「Mise en Bouteilles au Chateau(シャトー元詰め)」の文言が記された。
こうしたことは、ボルドーの高級ワインを産するシャトーがしていたことだ。まさに20余年を経て、父の雪辱を果たし、自らの夢を実現したのである。
1978年は偶然にも前回の記事の主人公、エメ・ギベール氏の出世作となる「マス・ド・ドマ・ガサック・ルージュ 1978」が作られた年でもある。
この年は、まさにラングドックのワインにとって歴史に残る年といってもいいだろう。
その後、シャトーのワイン部門のメインはディアンヌとコンスタンスの姉妹に受け継がれ、その品質は「Guide Hachette 2010 (ギィド・アシェット)」(フランスの超有名ワイン購入ガイドブック。評価は全てブラインドテストで行われるため、コンクールよりもシビアな点数がでることで有名)で20点満点中16点の高得点を獲得するまでに至っている。
今やそのワインは、パリのアルページュ、アストランス、ル・ムーリス、 リヨンのポール・ボキューズなど名だたる三つ星レストランにも、オンリストされているほどだ。
で、「お高いんでしょう?」と。
これがなんと2000円台なのである。
※ちなみに決まった価格があって値段が変わることはないというご指摘があったが、酒販店に行くと輸入ワインの価格が違うことはザラにある。ヴィンテージが違えば尚更である。どういう理屈で値段を変えてよいのか私は知らないが、今回の掲載価格も私が購入した価格を掲載する。「参考価格」として大凡の値として見ていただければと思う。
しかし、その前に 〜ワイングラスの洗い方〜
これからシャトー・ド・ランガランの誇る美しいロゼワインの色をお見せしたいと思ったのだが、ワイングラスが汚れていることに気がついた。
お見苦しいので写真は撮らなかったが、しっかりと洗っているはずなのに底のほうに赤ワインの汚れがついたりするあの現象である。洗剤で洗っても取れないしつこいヤツだが、特別な洗剤がなくてもご家庭にあるもので解決できる素晴らしい方法をぜひともご紹介したい。
- お湯をワイングラスにいれて3分程度、汚れが浮くのを待つ
- お湯を捨てる(ここで水気は拭かないで残しておく)
- 中に岩塩(普通の塩でも可)をいれて、指やスポンジなどでこすり洗いする ※塩が吸着して、塩が紫色になってきます
- 最後にお湯ですすぎ洗いをして完成
ガラスのくすみ汚れに有効な方法なので、ワイングラスでなくても一度試して頂きたい。
シャトー・ド・ランガラン おすすめワイン紹介
テール・ド・ランガラン ロゼ /ロゼワイン
これは来日したときにコンスタンスさんとの食事会で彼女から直接伺ったのだが、醸造担当のディアンヌさんは最初、誰にもいわず秘密裏にロゼワインを作っていたのだという。
そしてある時、ディアンヌさんが持ってきたワインをみて、フランシーヌさんとコンスタンスさんは、これを赤ワインの失敗作だと思ったそうだ。
そんなロゼワインは、シャトー・ド・ランガランを代表するものになっていく。
このテール・ド・ランガランではないが、2008年のヴィンテージは「Guide Hachette 2010 (ギィド・アシェット)」で、ラングドックのロゼワインでは最高の2つ星と、「情熱のロゼワイン」との評価を受けた。
チェリーのような香りに柑橘系のさっぱりとした酸味。
キンキンに冷やして飲むよりも、軽く冷やすぐらいがお勧めである。
ペアリング
天ぷらにも非常に合う。
赤ワインと白ワインのいいとこ取りをしたようなロゼワインである。
ドーナッツなどのスイーツとの相性がよい。我が家の日常風景である。そしてこれが価格、2,200円程度なのである。
テール・ド・ランガラン ルージュ/赤ワイン
こちらは赤ワイン。
terreはフランス語で「土、土壌、地球」という意味。ワインでよく耳にするテロワール(terroir)は、このterreという言葉から派生した語である。
このワインは、ブラックベリー、カシスに少しスパイシーな胡椒のニュアンスがあると表現されることが多い。タンニンは強くなく、柔らかい印象。
しっかりとしたベリー系、といったところだろうか。
シャトー・ド・ランガランのワインは、コンスタンスさんの言葉曰く「エレガンス(洗練)」を旨にして作られている。
非常に上品で、南仏の気候と彼女たちの性格の明るさまでもがよく出ている気がする。
こちらのワインも春・夏に飲むのであれば少し冷やした方が、私は好きである。
お値段2,300円程度。
※テールはロゼもルージュもエチケット(ラベル)変更が何度かあったので、2020年現在日本で最も手に入れやすいバージョンのエチケットを掲載しています。
シャトー・ド・ランガラン ルージュ/赤ワイン
テール・ド・ランガラン ルージュとはまた別物。
自らのシャトーの名前をそのまま冠したこのワインは、いわば代表的なメインワイン。
同じ木から同じように育てたつもりでも、矢張りその年々によってブドウの味や収穫量が違ってくるため、1年から3年の古樽を出したいニュアンスによって使い分けている。
味はテール・ド・ランガランのルージュとは別物のよう。ベリー系というより、カカオに干したイチジク、デーツのような印象がある。余韻のある非常にエレガントなワインである。
8,9年熟成させたぐらいが最も華やかかもしれない。
私はこの一本を休日の朝にあけて、夕方に飲み切ってしまう。
ペアリング
起きたら、まずこのワインを抜栓してしまう。そうなると朝昼兼用でチーズたっぷりのリゾットを作ることが多い、鴨肉を葱と焼いて塩を振ったものもいい。三時の間食では、近所の「香風」という店の石原裕次郎が愛したというその店の豆大福などと合わせたりする。本を読みながら飲んでいると、夕方5時ごろには一本空いてしまっているという算段だ。
大福にもみたらし団子にも相性がいい。和菓子にも、合ってしまうのである。
こちら、3,500円程度。
2,000円台の枠は超えてしまったが、ご興味あれば。
キュヴェ・ケトン・サン・ジョルジュ /赤ワイン
実はこれは、全く2,000円台ではないのだが、非常に私が愛してやまないお勧めのワインである。
価格からいうと、5,600円程度。
ちょっとした贈答品や、小さなお祝いごとで家で飲むのに最適なワイン。アルページュ、アストランス、ル・ムーリス、ポール・ボキューズといったパリ・リヨンの三つ星レストランでオンリストしているのは、このワインである。
このギリシア彫刻のようなエチケットのデザインは、シャトーのバルコニー下にある彫像。
金と黒はこのシャトーらしからぬ仰々しいデザインだが、おそらくは先述のシャトー・パルメのワインの黒と金のエチケットをオマージュしているのかもしれない。
その年の出来のよいブドウだけを選別して作るのが、このキュベ・ケトン・サン・ジョルジュである。
シャトー・ド・ランガランを体現した、エレガントな一本である。
ワインは値段ではないとはいえ、1万5000円のワインでもこのクオリティに肩を並べられるワインは少ない。これは5,600円の味ではないと言い切れる。
余談 〜ワインのコルクについて〜
私はワインのコルクを見るのが好きである。名前だけ刻印しているところが殆どだが、このシャトー・ド・ランガランは
これはシャトーの鉄扉の上の飾りである。
これはテールのロゼのコルクなのだが、ここがシャトーの入り口、奥までどうぞお越しになってください、という意味にも思える。
そのため、2,000円台だけではなくて、その奥の、まさにシャトーのバルコニー下の彫刻(キュヴェ・ケトン・サン・ジョルジュ)までご案内した次第である。
自然派ワインの巨人たち
私はこうしてジャッキーさん、エメ・ギベールさん、フランシーヌさんと自然派ワインの造り手たちのことを書いていて、気づいたことがある。もともと全員、素人なのである。
ある日突然、なにかに導かれるように、直感的にワイン作りを始めている。ワイン作りがそんなに脱サラ的に軽くできるものではない筈だ。
本当に必要なものは知識や経験ではなく、情熱や勇気、そしてやり抜く力なのかもしれない。
そして、それらはそれぞれ次の世代に引き継がれる。
シャトー・ド・ランガランはフランシーヌさんの後、娘のディアンヌさんとコンスタンスさんが営んできた。今年からは引退したコンスタンスさんのあと、彼女の娘のエミリーさんが代わりをつとめることになった。
我々はいづれ滅びるが、継がれていく何かがある。
私たちは、そうした人々との繋がりで生きていることを、ワインは教えてくれるのだ。
公式ホームページ:https://chateau-engarran.com/
私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。