2026.05.12

山田詠美「Amy’s Kitchen 山田詠美文学のレシピ」【私の食のオススメ本】

  • 書名:「Amy’s Kitchen 山田詠美文学のレシピ」
  • 著者:文:山田詠美 料理今井真実
  • 発行所:左右社
  • 発行年:2025年

以前この【私の食のおすすめ本】コーナーで紹介した、梁宝璋氏の近著『味坊の味』のレシピを作成したのが今井真実氏だ。そして、今回紹介する『Amy’s Kitchen 山田詠美文学のレシピ』は、山田詠美のこれまで小説やエッセイに出てくる料理の中から22品を再現したレシピ本であるが、その料理を担当したのがまたまた今井真実氏なのだ。担当と言っても、山田詠美が書いているのは本書では後書きのみ(バター原理主義崩壊の様が語られているので必読)。あとは作品の中から料理の出てくるシーンがそれぞれ1ページ程度抜粋されている。

よって、担当と書いたがこれは今井真実氏のレシピ本といっても良いだろう。

『味坊の味』で、大量に煮込んだりするような中華料理をワンパン(フライパン一つ)で出来る家庭用のレシピに落とし込む精細な調理センスと、氏の<想像力>のなせる仕事である。

もちろん、山田詠美の鮮烈なデビュー作品から現在に至るまで、食べ物や飲み物がさまざまな場面を、時にはエロティックに、時には切なく存在してきたのは確かだ。

後書きで山田詠美はこう書いている・・・私は食べもののこと以外に「おいしい」という言葉を使う人が苦手だと公言している。しかし、「味わう」という言葉の範囲を広げようとも思う。舌だけではない部分で、情感の味わいを知ること。人が深みを増して行くために、大事なレッスンになるだろう・・・

いつの頃だったか、山田詠美が、「まるで〇〇のように」とか、状況を何かに例えたり形容したりすることをよしとしない、というようなことを書いていたことをぼんやり思い出した(曖昧で申し訳ない)。たしかに山田詠美の文体は余計な形容がなく潔い。登場人物が吐き出したその時に感じていることに読み手の自分が(女性でも女子高生でもないのに)シンクロしてしまったり、今まで知り得なかった(気づかなかった)人間の感性や感情に感動してしまうのである。

それゆえに食べ物や飲み物を通して伝えられる場面は深く刺さってくるのだろう。それが2025年になって再現(想像)レシピ本としてまとめられたことは、遅かったようでもあるが、個人的にはうれしい。

加えると、これは岡本 一南氏の著作である、村上春樹の小説の料理を再現した『村上レシピ』とは違うものだ。食べてみたい、作ってみたいと思わなくても良いのかもしれない。自分はいくつか作ってみたいと思ってはみたが、頭の中で調理をしながら、かつ、作品の一部を読みながら味を想像するだけでも楽しめることがわかった。

山田詠美が描いてきたのは日常だ。そこがSMクラブであっても、女子校の教室であっても、日常なのである。淡々と進み、淡々と積み重なったり消え去ったりするのである。そこに登場する料理なのだから、「舌だけではない部分で、情感の味わいを知ること」を頭の中で想像しても良いのではないか。

すっかり文学界の重鎮として配置されてしまった山田詠美であるが、このレシピ本から過去の作品を掘っていくのもいいかもしれない。


さて、今井真実氏は料理家でありエッセイストであり絵本のおはなしをつくる人でもある。

今井真実氏は少女時代に山田詠美の作品に出会って衝撃を受けた。

「研ぎ澄まされた言葉、登場人物の会話、所作、ページに浸透している空気に、ため息をつき焦がれました。」

そして「その時知った」と前書きで書いている。「五感を使う料理や食事は、誰かと特別な関係になるときに重要な意味を持つということを」と。

料理好きの二人の子を持つフツーの主婦として書いたnoteやSNSのレシピがバズって料理の仕事を始めるようになったという今井真実氏。そんなイメージが強かったので、少女時代に山田詠美作品の料理シーンで、そんなことを思ったのか、と、その意外さに興味が増したのは本当だ。

意外と書いてしまったが、山田詠美作品には昔から少女ファンが多く、いまでも若い女性の読者がついている。だから今井真実氏がハマったのは当然かもしれない。特に『放課後の音符(キイノート)』という作品は、1980年代後半に雑誌『Olive』に連載され1989年に出版された、17歳の女子高生たちの揺れ動く心象風景を繊細に描いた短編集で、当時のちょっとおませなリセエンヌのスタイルに憧れる「オリーブ少女」たちの絶大な支持を集めた。今井真実氏はその世代のもう少し後の世代だろうか。

本書ではこの『放課後の音符(キイノート)』の一編である「Crystal Silence」に登場するジントニックが取り上げられている。その名も<恋をした時のジントニック>。本書で取り上げられている唯一のカクテル・ドリンクだ。

主人公の女子高生「私」は、表面的には子供っぽい仲良しグループの一員というポジションを一応キープしている、同じクラスの大人びている(服装もシンプルなところが大人っぽさを匂わせるし、男と寝ることを日常としている)マリが、唯一こころを開いて秘密を明かしてくれる。

そんなマリが夏休みに離島で出会った耳も聞こえず口も聞けない青年と恋をしてグループのところへ帰ってくる。そこでマリが頼んだのがジントニックである。高校生ではあるがマリは14歳からお酒を飲んでいるので<飲みかた>も知っている。

マリが苦手と陰で言っていたグループの一人が「恋をすると、ずいぶん大人っぽい飲み物を飲むようになるのね」と皮肉まじりで言うと、

「恋をすると喉が乾くのよ。ジントニックはそういう時にぴったり。まあ、黄色い声を上げているような人には解らないと思うけどね」とマリが返す。

グループと別れ、赤坂のホテルのロビーで「私」はマリと二人きりで話をする。耳も聞こえず、口も聞けない青年との熱い恋を話すマリはこう言う。

「正直言ってさ、冷房のきいた都会のラウンジで飲むジントニックなんて、おいしくないの」

今井真実氏のジントニックのレシピは、本書の中で唯一いたって普通であった。ジン50ml、トニックウォーター150ml、ライム1/6個、氷・・・である。

「なんだか辛くて苦いね。舌触りは甘いのに」。ジントニックを初めて飲んだ時は「私」のように思うかもしれません。ライムは酸味の中に甘みも感じられます。ぎゅっと絞り、潮風とともに味わって。

今井真実氏はこうレシピに書き添えている。

WRITER Joji Itaya

出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。