- 書名:肉とすっぽん 日本ソウルミート紀行
- 著者:平松洋子
- 発行所:文藝春秋
- 発行年:2020年
料理エッセイを多く書き続ける平松洋子のルポで秀逸だったのは、「オール読物(文藝春秋)」2011年10月号の”官能的”という特集に載った官能小説のマエストロ、芥川賞作家・宇能鴻一郎の自宅で食事をする、というものだった。当時、関川夏央さんが斜めに構えず褒めていたので読んでみたが、彼女でなければなし得ていない仕事だった。
平松洋子の視点はいつでも平松洋子のものだ。
その平松洋子が「肉」というものに正面から向き合い、生産地で格闘したルポがこの本だ。ちょっとふざけたタイトルだが、たしかに肉としてすっぽんも出てくる。
平松洋子は「なぜ肉を食べるのか」という疑問をもって取材にあたった。この疑問には非常に共感する。自分はさらに「擬似ミートはなぜ肉に寄せるのか」という疑問を抱えている。だからこの本を読むことにした。
北海道・白糠の羊。島根・美郷町の猪。奥秩父の鹿。東京門前仲町の鳩。石川・加賀の鴨。襟裳岬の短角牛。品川の内臓。熊本の馬肉文化。静岡・舞坂のすっぽん。千葉・和田浦のツチ鯨。
平松は漁師や猟師、屠畜解体のプロまでも追いかける。さらに取材を続けながら鳥獣家畜を食らい体内に取り込み、そのものと一体化していく。
平松の見つけたことは、肉にも「旬がある」、肉は「つくられる」という事実であるが、これはこの本を読まなければ理解は浅いままになってしまうのだ。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。