6日にはカニ漁が解禁され、下旬には寒鰤もやってきた石川、11月の最終日。暦でいえば明日から冬が始まる日。金沢片町、A___RESTAURANTに、『奥能登むぎ焼酎 ちょんがりぶし』で有名な石川県唯一の焼酎蔵「日本発酵化成」の三代目蔵元・藤野裕子さん、石川県で初めてジンの製造を手がけたAlembic大野蒸留所(Alembic GIN HACHIBAN)の中川俊彦代表と、2人の蒸留家そして能登出身のバーテンダー(現・Hyatt Centric Kanazawa – RoofTerrace Bar )・従二(じゅに) 拓朗さんが集合した。
A___RESTAURANTで開催される、震災以来、食を通じた能登支援を続けるEAT AIDチャリティーイベント『能登復興・石川のジンと焼酎を楽しむ一夜』でスピリッツ(蒸留酒)の可能性と魅力を参加者に再発見してもらうためだ。
ちなみに日本の酒税法では、焼酎、ウイスキー、ブランデーなど特定の蒸留酒には独立した定義が定められている。そのため「スピリッツ」とは別物とされている。 しかし、日本独自の酒税法のカテゴリーの定義を外すと、スピリッツとは蒸留酒のこと。 酒類を醸造酒、蒸留酒、混成酒の3種類に分けると、焼酎は蒸留酒にあたる。
つまり、焼酎もスピリッツも、同じ蒸留酒なのだ。「Alembic蒸留所」と日本発酵化成」。この日は、日本酒の生産・消費量の多い石川の中で、蒸留酒に特化した独自の道を歩んでいる二つの蒸留所による<石川の豊かな風土が育む「スピリッツ」のコラボ>という記念すべき日となった。
苦難を重ねて〜止めなかった蒸留の歩み〜
初リリースから1年も経たずに2023年にIWSC2023 最高金賞、コンテンポラリージン部門最高賞そして SFWSC2023 最高金賞と立て続けに世界的な評価を得たAlembicの大野蒸溜所は、2024年1月の能登半島地震の影響を大きく受けることはなかった。
しかしそれ以前に「コロナ禍による計画の見直し、海外に製造委託した蒸留器の搬入の遅れ、設置作業のトラブル」などで準備に3年を費やしてしまっていた。そのために脱サラをし、夢を持って社員になってくれた唯一のスタッフも離れることになってしまった。
新しい家族や多くの人に支えられたとはいえ、50歳を目前に起業し、まったくのゼロから独りきりで歩く道は精神的にも厳しいものだったはずだ。中川代表を知る人も、持ち前の明るさからその苦労を見取ることはできなかったと思う。
酒造りへの情熱が中川代表の歩みを止めさせることはなかった。たくさんの問題を乗り越えての初リリース、世界的な二つの大会での最高金賞受賞となった。
一方、地震の中心地、能登半島珠洲に蔵を持つ日本発酵化成の藤野裕子さんは、当日のトークコーナーで被災写真を映しながら「(地震は)初めて死を覚悟した体験だった」と語った。
やっとの思いでたどり着いた工場では、一つが1万リッター(一升瓶約5000本分)という大きな(貯蔵)タンクが斜めに傾いてお酒が溢れたり、(長期熟成の)樽入りもひっくり返って漏れてしまっていた。
「ここからどうやって立ち直っていいのか。ほんとに先が見えないというか、もう無理かなと正直思った」という。
新進のAlembic大野蒸留所に対し、「日本発酵化成」は戦後間もない1947年、大阪帝大や広島大学で醸造学を専攻した藤野公平氏によって設立された。焼酎造りは未知の領域、焼酎のメッカである温暖な九州とはかけ離れた雪の舞う能登。それを逆手に取り、寒冷な能登でのみ可能なもろみの長期熟成に挑んだ。さらに蒸留した原酒を長期熟成することにもこだわった。
「蒸留酒である焼酎は、ウイスキー同様、長く寝かせば寝かせるほどおいしくなる」という信念の基に。
紆余曲折があり、原酒の入った数百本ものタンクは長い眠りについていたが、先先代、藤野公平氏が世を去った翌年1991年、二代目たちによって会社は復活した。「長い眠りから目覚めた焼酎は(熟成によって)未だかつてない酒に変身していた」という。
時は過ぎ、会社のコロナ禍による影響が収まりきらない2022年6月、大きな地震があり、敷地内に地割れができていた。さらに2023年年5月の震度6の揺れにより、「空の仕込み用タンクが土台から外れ、蒸留器は故障。焼酎を熟成させていたたるは転がり、約1千リットルが流れてしまった。断水も重なり、製造はできない状況になった(朝日新聞の記事より抜粋)」。敷地の地割れも広がった。
藤野裕子さんの夫、藤野浩史さんが代表取締役に就任したばかりだった。浩史さんは、もうやめるべきかもと悩んだらしい。しかし、貯蔵タンクの焼酎が無事だったことから、新しい仕込みはできなくても、貯蔵分を販売することにした。浩史さんの「自分の代で終わりにはできない」という強い意志が立ち上がらせたのだろう。(参考:朝日新聞DIGITAL 2023/12/15)
そして2024年元日に起きた未曾有の能登半島地震である。同じ9月には豪雨が見舞った。苦難がまた重なった。
しかし、被災した藤野さんたちもまた、蔵元としての歩みを止めることはなかった。
瓶の棚も傾いてしまい割れたものもあったが、12月に大量に瓶詰めしてあった大半の商品が無事だったので、それを販売することにしたとトークコーナーで裕子さんは続けた。
当然だが従業員の人たちも被災者となっていた。幸いなことに全員が無事だった。そのことが心の救いだった。だが、仕事に復帰するまでには時間がかかる。初めは社長の浩史さんと裕子さん、2人での再スタートとなった。
後に、全国から集まってきた専門の技術を持って登録しているボランティアの人たちが、200ほどある傾いた貯蔵タンクの半分をきれいに真っ直ぐに起こしてくれた。「希望が見えてきて前を向けるきっかけとなった」と裕子さん。
そして「なぜ傾いた状態でお酒を取り出せないかというと、それは税務署の関係なんです」と説明を続けた。酒造メーカーは、どれだけの量のお酒を造って瓶詰めしたかを税務署に報告しなければならない。そのためにはタンクを水平にして計測しなければ正しい量が算出できないのだ。
(この話を、そのタンクから詰められ11ヶ月ぶりに出荷された『ちょんがりぶし』焼酎のカクテルを飲みながら聞いていた筆者は、傾いたタンクから先に取り出して測るということが、この被災時でありながら認められなかったのだろうかと考えてしまった。空になったタンクならば起こす労力も少なくて済んだのではないのか)
スピリッツメーカーとしての連携
Alembicの中川代表は「自分のところは被害がなかったが、同業者として本当に辛いと感じている」と言い「縁があってここに集まったことを機に、未来に向けてまた一緒に仕事をさせてもらえればと考えている」と話した。
日本発酵化成の藤野裕子さんは「焼酎を飲む人も少なかった石川で、発売当初は苦労したと父や母から聞いていた。(2000年ごろに起きた第三次)焼酎ブームで石川にも焼酎があることにスポットがあたった。そのおかげで少しずつ飲む方が増えていったが、横のつながりもなく、大変でどうしたらいいかなと思う時もあったが助けてくれる同業者がいなかった。ただ、県内で唯一ということで、飲食店さんなどがたくさん販売してくれていることは大変ありがたく思っている」と語り「祖父が焼酎を造ろうとして、何もないところから戦後すぐなのに、タンクや機械を珠洲まで運んだりして工場を全部作った。自分では考えられないようなすごい事なので、3回の大きな地震にあってボロボロな状態ではあるが、石川の焼酎メーカーとしてなんとか続けて行きたい」と続けた。
次に中川代表は、NYの展示会で聞いた焼酎のことを話題にした。それは(特定の)竜舌蘭から造る(原産地呼称となった)テキーラ以外の、様々な竜舌蘭から造られるやや癖のあるメスカルについてだった。現地のバーテンダーによると、いまメスカルのカクテルが注目されていて、芋や麦などの独特の香りの焼酎がメスカルに近いという。中川代表は「焼酎は過渡期で、メスカルのその先に、焼酎の香りが欧米に受け入れられる素地があるのではと考えられ、これからまだまだ広る可能性があると感じている」という話だった。
続けて、春には石川のジンの蒸留所(生産者)が5箇所になることをゲストに伝えた。「このことで(石川の)スピリッツが注目されるよう、日本発酵化成さんにも入ってもらい、横のつながりをつくり、(スピリッツは)ワインや日本酒以外にも食事に合う酒だということを伝える機会を増やして行きたいと思っている」と述べた。
スピリッツによる酒宴
スピリッツがワインや日本酒以外にも食事に合う酒だということを知るための『石川のジンと焼酎を楽しむ一夜』の主役はもちろんAlembicのジンと日本発酵化成の焼酎。そしてA___RESTAURANTの料理だ。
ジンと焼酎の提供のために協力したのは、Hyatt Centric Kanazawa – RoofTerrace Bar の従二拓朗さん。
能登出身のバーテンダーであり、アジアのベストバー50に選ばれ、泡盛や焼酎にもフォーカスする環境づくりをしているTHE SG CLUBで研鑽を積んだ。従二さんはトークコーナーでバー・シーンにおける焼酎についてこう語った。
「焼酎は度数が25度くらいと低いため、カクテルには使いにくく、他のものと混ぜても焼酎の良さが消えない度数まで引き上げて、38度、40度の焼酎をオリジナルで造ってもらっていた」
「他のお酒に焼酎を合わせることもあった。香りが近いということでウイスキーに麦焼酎を合わせたり、テキーラでは芋焼酎合わせたりしていた」
「焼酎や日本酒など麹を使っているものには旨みがある。作っているものの厚みが出る。砂糖を入れずに旨味で甘さを引き出せる。(合わせるものの)つなぎの役目としても使える。カクテルはどうしても度数が強かったり、甘かったり、残糖によって頭が痛くなったりする、カクテルのネガティブな要素をなくそうと焼酎をよく使っていた」
この日はAlembicのジンを最適なソーダ割りやジントニックで提供したり、『ちょんがりぶし』使った オリジナルカクテルを振る舞い、ゲストばかりでなく生産者である藤野裕子さんも感動させた。
それが”Dashi “Marry 。 日本食と共に成長して来た日本酒、焼酎。両方に欠かせない存在である「 麹」=旨味にフォーカスした『ちょんがりぶし』山椒、トマト、昆布、鰹節からなるブラッディーマリーであった。
ジンの提供において特筆すべきは、「ぬる燗」であった。仕込み水で3日間前割りしたHACHIBAN GINを、ぬる燗で頂いたことだ。これは、しっかりした香味(精油成分)をもったジンだけがなせる技であり、新しい飲み方だ。中川代表も加水の最高のバランスを模索中とのことだった。
スピリッツのための料理 か、料理のためのスピリッツか
このイベントではA___RESTAURANTの今料理長を中心としたチームによる料理が、石川で生まれたスピリッツ、ジンとむぎ焼酎をより楽しませてくれたことは間違いない。参加したゲストのほぼ全員が、並べられていく全種類の皿をテーブルに持って行ったのではないだろうか。
和食をベースに石川の食材を中心に使って調理された一品一品の、絶妙に変わっていく味の変化がスピリッツのオーダーを促す。ジンとむぎ焼酎のお酒は料理とマリアージュしながらも口をリセットさせてくれ、自然と次の料理に手が伸びる。
同席の友人たちとともに石川の蒸留家たちにエールを贈り、「食を彩る酒」を感じる楽しい夜となった。そして参加者は、十分にスピリッツの可能性と魅力を再発見できたのではないだろうか。
Alembic初リリース時の記事
https://riff.opensauce.co/release-alembic-gin-hachiban-news/
Alembic世界大会最高金賞受賞記事
https://riff.opensauce.co/alembic-dry-gin-hachiban-sfwsc-2023-winner/
text: Joji Itaya
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。