食べたことがないものは、なんでも食べてみたい。
特に沖縄は知らない料理、食べたことがない未知の料理がたくさんある。
東道盆なるものをご存知だろうか。東道盆は「とぅんだあぶん」と訓じる。
3日にわたる松山での真剣なリサーチの結果、東道盆を知っている地元20代の女性は皆無だった。
それもそのはず、これはもともと琉球王国の祝膳料理「五段のお取持(ぐだんぬぅうとぅいむち)」の二之膳と三之膳の間に泡盛のツマミとして供された饗応料理なのである。
本来は東道盆とは、料理名のことではなく、琉球漆器の六角形の盆のことを指した。
この東道という語義にも深い歴史のウンチクがある。別に聞きたくないだろうけれど、書いてしまおう。
これは『春秋左氏伝』の魯王・僖公(『史記』では釐公)三十年のところに出てくる話が元になっていて、鄭という小国が晋と秦に挟み撃ちされて包囲されてしまった時のお話である。鄭の燭之武という臣が「ウチ滅ぼすよりもそのまま残しておいた方が、秦が東に進むときの案内、お世話人(東道主人)として色々役にたちまっせ」と説いたことで、秦の大軍が撤退した。という故事に基づいて「東道」とは、お客様の世話や案内を指す言葉になった。すなわち東道盆、「いらっしゃいませ、お客様おもてなし盆」という意味になるだろうか。
琉球王朝時代、中国からの使者の冊封使にも供されたし、琉球の親方(うぇーかた)という人臣最高位の士族階級の『伊江親方日々記』にも度々お客様用の料理として東道盆を供している記述がみられる。
さて、東道盆、中身はなにかなー。
期待が高まる。
琉球漆器のお盆を開けるとー
うん、なんこれ。
見た目、おせち料理そっくりである。
見ただけでは何かわからない。
右のに至っては抹茶のガトーショコラかなんかにしか見えない。
馴染みのない食材がたくさんでワクワクである。
まず、真ん中が「花イカ」といわれる料理。
「イカは何イカですか?」
「クブシミですー」
本州でいうコブシメである。コウイカで、泳いでいる時の姿がぷくぷくして可愛らしい高級イカさんである。そのイカさんの切り身に花模様の切り込みを入れて赤く染めた料理。
その真下が「グンボーマチ」。和語でいうところのごぼう巻きである。周りは豚ロースの薄切り。味としてはそもそもの醤油自体が甘いかんじがする。
グンボーマチから時計回りにいくと、次が「クーブマチ」。和語でいう昆布巻きである。関東の昆布巻きは真ん中に鰊が入っているが、沖縄では芯に豚肉が入る。メカジキを芯にもするなど、沖縄にも色々なバリエーションがあるようだ。
その上のピンク色のナルト様のものが琉球最高のカマボコ「シシカマボコ」である。シシは肉のこと。普通、カマボコは魚の白身をすり身にして作るが、シシカマボコは魚のすり身と豚の挽肉を混ぜ合わせたものである。
東道盆は、泡盛のツマミ用の盆だが、確かに酒に合う。
その隣の黒いものが「ミヌダル」である。「クロジシて云う人もいますよー」ということである。シシは肉だから、黒肉。別に焦げている訳ではなく、胡麻料理なのである。多分、味的には味醂メインの醤油・砂糖などを少量入れた胡麻たっぷりのタレに漬け込んで、蒸し焼きにした料理である。こってり系かと思いきや、意外や、あっさり系。
この盆の中、ほとんどが豚料理である。以前のRiffにも書いた通り、沖縄は豚肉の国なのである。ペリーが江戸でハンペンを食べて「ウワッ」ってなっている時、「沖縄の料理美味しかったナア。カエリタイ」と、思わず思い出してペリーが大絶賛したほどだ。
その下の抹茶っぽいのが、「カラシナのカマボコ」である。
思わず「どうやって作るの?」と聞いたら板場まで聞きに行ってくれた。魚のすり身にカラシ菜の搾り汁を加えたものらしい。確かにカラシナは沖縄の人にとってゴーヤと同じぐらい身近な食べ物で、島菜(シマナー)と呼ばれるほど。在来種の赤カラシナと9世紀頃に唐土から渡ってきた青カラシナがあって、なにげに沖縄はカラシナ大国なのだ。ちなみにカラシナを塩漬けにしたものも好まれて、それは「チキナー」というのだそうな。
あ、以上です。オチはないよ。
私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。