- 書名:サカナとヤクザ
- 著者:鈴木智彦
- 発行所:小学館
- 発行年:2021年
明日は3月11日という日にこれを書いている。
われわれは「ちょっと手に入らないネタがお得になっていますがいかがですか?」と初めての寿司屋や料理屋で言われた時、ほぼ断ることはない。その店の普段からの付き合いや人徳で、卸や漁師などから分けてもらえたのだろうと考える。実際にそういうことは多い。その人徳の恩恵に預かれるのはありがたい。また、分けてもらえるようになるまでの経緯などを一杯やりながら聞くのも楽しい。
それを密漁品だとは想像しない。
消費者であるわれわれは、いとも簡単に犯罪の片棒を担ぐことになるということを知らなければならない。それも、お店に行って高いお金を支払って食べる、ということをしただけで。
この本は、正当な漁業に対する密漁と密漁団と、なぜ密漁が横行するのかの仕組みを知らせる本だ。そしてわれわれの普段高価なもの、希少なものを安く手に入れたい、食べたいという欲望が一線を超えることに警鐘を与える本でもある(それも体を張って書いた)。
著者、1966年生まれの鈴木智彦は1985年から2019年まで続いた雑誌「実話時代」の出身である(「実話BULL」の編集長でもあった)。この雑誌はヤクザ専門誌だ。ヤクザ社会のルポ、組幹部インタビュー、劇画、風俗情報でまとめられていた。この著者だからこそ書くことができたのが本書だ。
NHK「あまちゃん」の話から、アワビの密漁がヤクザのしのぎになっているという話を聞いた著者は密漁が組織的でチームでの犯罪であることを理解する。あまちゃんに出てくる箱メガネをで覗いて獲る非効率的な海女漁は、あえて取り残しを発生させて取り過ぎを防ぐ知恵だということも本書で知った。勝手にとっちゃいけないよなあ、くらいの意識だったのが恥ずかしい。
震災で東北のアワビは甚大な被害を受ける。3センチより小さな稚貝はほぼいなくなった。磯の王者とよばれるアワビは奪い合いになり高値となった。また、同じく震災で人のいない港やエリアが増えた。密漁団にはすべて好都合となる。平成15年の時点でウニ、カニ、ナマコ、シラスウナギ、大アサリ、秋鮭の密漁は100億産業となっていた。
本書では三陸のアワビの密漁にはじまり、ナマコの密漁バブル、市場におけるアンダーグラウンドな取引、東西冷戦に翻弄されたカニ漁、ウナギの国際密輸シンジケートなど、著者がギリギリのところで取材した内容が書かれている。
アワビで言えば、密漁されたものは買い手に買い叩かれる。通常1万円のものが5000円になる。そして養殖のものと混ぜられて売られる。つまり、天然物として高く売られるということではない。それでも売り手にとっては盗んだものがあっという間にお金に変わるわけだ。買い手にとっては半額で仕入れられる。消費者は割安で食べられる。この循環が無くならないのには訳がある。
わからず食べる人間がいる、わかっていて食べる人間もいる。わからず仕入れる人間もいる、わかっていて仕入れる人間がいる。わかっていて仕入れて卸す人間がいる。だから密漁をする。無くならない利益システムには反社会ビジネスが入り込む。知りながら買う消費者も共犯だ。そして、天然のアワビは消滅に向かうのである。
われわれ消費者も、今、これがあるのはちょっと変だな、この値段は安すぎるな、などと思える知識を持つことは必要だ。それが、欲望が生み出す負の循環を断ち切ることになる。できるなら食育の一環として、その情報と知識を子供たちにも教えていくべきだ。そのことで密猟は無くしていける犯罪でもある。
そして、愚直に食のために仕事をしている人々を失わないようにしたい。
本書について出典の数字以外、個人の取材内容発言に関しては、裏付けが取れない。しかしながら、導き出された話は信じるに値するのではないかと思う。
著者は本書の最後に東洋大学、勝川俊雄准教授の「うっかり手を突っ込めば、日に当ててはいけないものを引っ張り出してしまう」という話を受け、漁業にルールを持ち込んだ途端、密漁は必然的に発生するという話を書いている。「目の前に魚がいれば全部獲るのが漁師の本能。非業者にとっても誰かのものを盗んでいる意識はない」のだ。
オリンピックでは持続可能で環境に配慮した魚を出さなければならない。通常の国際基準を当てはめると、日本では北海道のホタテと数種しか提供できないということで水産庁の外郭団体に審査をさせ基準を甘くしクリアさせた、という。この方式だと「初期資源の1パーセントしか存在しない絶滅危惧種であるクロマグロの産卵群を、巻網で一網打尽にする漁業でもOKになる」。
操作による「都合」の正当化は密漁と同様だ。いやそれ以上か。
ただ、令和2年の改正漁業法施行後、漁業改革は徐々に効果を上げているとある。期待しつつ、密漁の共犯者にならないようにしようと思う。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。