祖父との思い出になります。
いざ記事を書き始めると、良い思い出以上に申し訳なかったという思い出が巡ります。
私の初めての一人旅は小学四年生の時、千葉から祖父母の住む静岡へ。
自宅では母がファミコンの時間制限にうるさかったので、時間を気にせずゲームをする事が一番の目的でした。
じーちゃんは趣味で家庭菜園をやっていました。
夜更かしファミコン三昧だった私を見兼ねたのか、畑のお手伝いに誘われます。畑の石を一個一円のお小遣いにしてくれるというのです。
しかしきちんと手入れされていた畑には石などほとんどある筈もなく、狡い私は近くの駐車場の石を拾ってきては必死に土を塗ってじーちゃんに渡した悪い思い出。
その畑で採れた野菜でおばーちゃんが作ってくれた赤だしが最高に美味しかった事、これは良い思い出です。
そもそもの動機が不純だったので祖父母を訪ねる回数が減るのに反比例し、いつしかじーちゃんは千葉まで遊びに来てくれるようになっていました。
じーちゃんを見る目が変わったのは高校一年生の時。
晩酌の勢いで私が通販で手に入れた激安バイオリン(当時SUGIZOさんに影響を受けていました)を急に弾き始めたのです。
管弦楽をやっていた私の従姉妹を含め親族の誰も、じーちゃんが何故バイオリンを弾けるのかを知りませんでした。
大人になってからはお互い時代小説が好きだった事もあり、酒を飲んでは歴史談義に花を咲かせました。これも良い思い出です。
そうして時は経ち私も三十路を越えたある日、妹が祖父母と温泉旅行に行きたいと言い出します。
その月羽振りの良かった私は、いいねじゃースイートでも取っちゃおうなんてなかなかにお値段の張る温泉旅館をノリで予約しました。
今となってはあの時の妹の提案に、本当に心から感謝しています。
正直な話その当日あまりコンディションが良くなかった私は旅行の細部を覚えていないのですが、じーちゃんが嬉しそうだった事とチェックアウト直前にあら汁のサービスがあり、なんでこのタイミングやねんと思った事だけは覚えています。
じーちゃんが他界したのはそれから間も無くしてでした。
旅行の最後、元くんありがとうと深々と頭を下げてくれたじーちゃんを思い出すのと、骨が邪魔で面倒臭いので、余程の事がない限り私はもうあら汁を飲むことはないと思います。
歳を重ねるにつれしみじみと思うのですが、私の母は料理が得意ではなかったと思います。手抜きをするわけでもなく、特別に凝るわけでもない母の手料理。それでももし死ぬ前に何が食べたいか?という質問をされたら、私は即こう答えます。
母の豚の生姜焼きです。