2018.12.26

【後編】金沢を抜きに「美食の街」は語れない

サン・セバスチャンの橋に立つ髙木慎一朗

前編はこちら

献立を考える3つのポイント

さて今回の映画祭に提供する献立を考えるにあたってのポイントは以下の3点でした。

  1. お客様との関係性。
  2. 映画との関連性。
  3. コラボ相手の料理との関連性。

1点目については、どのようなお客様が召し上がることになるのか。お客様がどのような意思でその席に着くかは重要です。

招待されたのか、自らお金を払ってきたのか、などは、もちろん重要な情報ですが、今回は食事を召し上がる方の何割が映画を観たかどうか、が私が気にするところでした。これは2点目にも繋がっていきます。

2点目については、映画に関する晩餐会なので映画に登場した料理を再現したほうが良いかどうかの判断が重要でした。これについては、偶然ではありますが、岩城プロデューサーも映画祭事務局長も結果として同じ意見でした。

「必ずしも劇中に登場した料理が良いとは限らない。映画をより一層印象深くするための料理を提供すべきだ」と言ったのは、映画祭事務局長のルチアさんでした。余談ですが、ルチアさんは映画「武士の献立」と晩餐会の料理に感動して、11月3日に金沢を訪れ、本場での加賀料理を楽しんでいかれました。

3点目については、コラボレーションとはいえ、一つの料理のコースを共同で仕上げるのですから、双方が勝手に考えた料理のチグハグな連続ではいけません。スペイン料理、加賀料理を本質的に解釈し、違和感が無いようにコーディネートされたものでなければ、お客様は双方の良さを感じられず、その意義も薄れてしまいます。

乾杯の中、熱心な質問を受ける

映画祭当日の厨房の様子。

本番の2週間前に現地を視察し、コラボレーションするシェフ、ゴルカさんと打ち合わせし、提供する厨房の設備や食材を確認しました。本番の際は、銭屋から若手料理人を連れて行きましたが、調理器具や食材、食器などあまりに荷物が多かったので、岩城プロデューサー自ら、いくつかの機材をハンドキャリーで運んでいただきました。

このような準備の甲斐あって、当日はお客様に映画同様に大変喜んでいただきました。

何とか無事に終え、ほっとしていた私たちは、随分遅い時間でしたが、打ち上げと称して街へ繰り出し、バーで祝杯をあげておりました。すると、晩餐会で料理を召し上がっていたお客様がその場に何人もいて、次々と酒杯を持ってきては乾杯し、大いに盛り上がったのです。

その一方で「あの料理はどうやってレシピを考えたのか?」とか「サン・セバスチャンの料理はどう思うんだ?」などと熱心に聞いてきました。
その質問からは、私たちが提供した料理に関して、相当なレベルでの理解がなされていたと感じ、あらためて嬉しく感じたものです。

名前も知らない方々と料理のみならず様々な話題で親交を深め、随分な量のワインを飲んでしまいました。
ふと気づくと騒々しいバーの片隅で、疲れ果てた私のアシスタントが、いつの間にかグラスを前に寝ておりました。

高木慎一郎がバーで会ったサン・セバスチャンの人々

日本人の伝統的な食文化が登録の対象

「和食」がユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録される可能性が濃厚、とのニュースがこの秋に報道され、日本中でちょっとした騒ぎになっています。(後に正式に登録。Riff編集部追記)
しかし、私たちはここで注意しなければなりません。報道ではしばしば省略されていますが、登録されるのは「和食」ではなく「和食 日本人の伝統的な食文化」なのです。つまり、料理だけではなく食文化全体が登録の対象なのです。

登録された暁には、世界中から日本に料理を食べにお客さんがやってくる、といった論調も一部のメディアにおいて見受けられるが、これはかなり飛躍しすぎた発想だと思います。

そもそも、外国人は「和食」という言葉を知りません。日本の料理を英語で表記するのであれば、「Japanese Cuisine(いわゆる日本料理)」が最も広く使われているのではないかと思いますので、あらためて「和食」が言葉として広く認識されるには相当な労力と時間が必要でしょう。

私は、この無形文化遺産登録という好機を最も有効に利用することは、日本の食文化の素晴らしさを、日本人が再認識するための全日本的な啓蒙活動のきっかけにすべきだと思います。

自国の文化を語れず、誇りに思っていない人の國に行きたいとはだれも思わないはずです。つまり、我々が日本の料理及び文化を誇りに思う姿勢こそが、外国人を日本に誘う最高の戦略であることは自明なのです。

料理は歴史であり文化そのもの

サン・セバスチャンの美食の歴史は、すなわち文化の歴史と同義であると前に述べました。もちろん料理そのものも文化と言えますが、総合的な文化の一面として料理を見なければ、本質的に理解できるものではありません。

同様に日本料理を考えてみると、料理のみならず器をはじめ日本酒、建築、日本の風土、歴史、文化を総合的に理解しなければ、その本質には辿り着きません。加賀料理という言葉は、現代において造られたといわれていますが、伝統的な料理は遥か昔から脈々と受け継いできたものであるはずです。つまり、料理は歴史であり文化そのものなのです。現代に生きる私たちの責務は、先人より受け継がれてきた文化というバトンを、我々の世代の感性で磨き上げて、次世代に渡すことです。

古い食器の写しを作らせた父

食文化に関しては料理人だけ関わっているわけでは、決してありません。

石川の豊かな大地ではぐくまれる野菜などを作る農家、日本海から新鮮な鮮魚類を水揚げしてくれる漁師、そして1年を通して品質を落とさず料理人の私たちに食材を用意してくれる市場の目利きの仲介人たちがいなければ、料理人はどうすることもできません。

また、見てほれぼれするような食器を作る作家や職人さん、お座敷や庭のメンテナンスをしてくれる職人たちなど、いわゆる出入りの職人さんたちがいなければ、料亭は到底維持できないのです。

銭屋を創業した私の父は、晩年、古美術商で手に入れた古い食器を、金沢で作陶しているお気に入りの若い職人に託して、写しを作らせたりしていました。

仕事として、古い良質の食器の写しを作るということは、作った人の作意と技術を作品から読み取り、解釈しながら、そして自らをさほど主張せずに作るということですが、その一方でこの上ない技術の伝承作業になっていたのです。つまり、料理人と他の職人の相互関係が成立し得ていたということです。

そして、料亭の維持と共に料理人の技術を伝承させていくことに関して、最も必要なのは仕事、つまりお客様です。商売である以上、お客様に来ていただき利益を上げなければ継続できる由もありません。また、お客様からの様々なご要望にお応えすることで、料理人がそれを支える様々な職人たちと一緒になって知恵を編み出し、結果として新しい技術や文化の創造を図ることになるのです。

このように、料理に関連する多くの分野の方々が高い技術を維持して集まっている金沢は、文化都市としての「美食の街」と言わずしてどう表現できるのでしょう。

私たちは日々の生活に追われるあまり、大切な文化の礎がごく身近にあることを忘れがちです。

私はサン・セバスチャンのシェフ、ゴルカ氏が誇らしげにバスクの料理を語り、加賀料理に最大級の敬意を表してくれたことに感謝しています。

そして、私たち自身が歴史という映画の一コマを演じていると感じさせてくれた映画「武士の献立」とサン・セバスチャンでの国際映画祭のことを生涯忘れないでしょう。

北國文華2014年冬号

本編は、北國文華 2014年冬号 包丁侍ものがたり 映画「武士の献立」特集に掲載されております。

石川県金沢市「日本料理 銭屋」の二代目主人。
株式会社OPENSAUCE取締役