2018.10.25

武蔵境の油そば

高校を卒業してバイトしながら音楽業界で仕事をしていた頃「せいちゃん」という人物に出逢った。

私は学生時代からバンド活動をしており、主にエレキベースを弾いていて、その音楽仲間から「吉祥寺に、せいちゃんという凄腕のドラマーがいるらしい」という噂を聞いていた。

吉祥寺の楽器屋の店員さんにその話をしたところ「せいちゃんなら知っているし、お客さんだよ」という話になり、紹介してもらえる事になったのだ。
楽器屋の店員さんを介し、せいちゃん連絡を取ってもらい、会う約束をして、指定された日時に言われた場所に行ってみると、その場所はスナックだった。

まだ営業時間前だったのだが、店にはさっきまで飲んでいたようなワンピースをだらしなく着たエッチな女性と、ママっぽい感じの女性が居た。
事情を説明すると奥の方に向かって

「せいちゃ〜ん!」
と叫んだ。

せいちゃんは冬眠から覚めた熊のように、髪はボサボサでTシャツにジーンズ姿で店の奥から出てきた。
想像していたよりも実におっさんで、おっさんすぎて驚いた。
年齢でいうと四十代半ば、または少し若いぐらいだったのだろうか。

せいちゃんは、私を店の奥の部屋に呼ぶと、そこにはシンプルな4ピースのドラムセットがセッティングされていた。
せいちゃんはドラムスローンに座り「じゃ、叩くからね」と言うと、煙草を吸いながら、重たく跳ねた16ビートを叩き始めた。

私はこんな展開になるとは予想しておらず、手ブラで来てしまった。
話の流れ的には、ここで自分のベースを取り出し、アンプに繋いでおもむろにセッションをし始め、意気投合してイェー!とか、又はノリの良い黒人のようにビートを聞いた瞬間に踊ったり騒いだり、ラップでも始めたらカッコいいのかもしれない。
しかし、なにしろ私は手ブラである。

そしてこの狭い部屋はドラムとせいちゃんでミッチミチであり、汗臭く、暑苦しく、重たい空間だった。
私はただひたすらに、せいちゃんの重たいビートを聴いていた。
ひとしきり叩き終わると、首に巻いていたタオルで体中の汗を拭き取りながらこう言った。

「あぶらそば食った?」

これが表題の件である。
相手が「あぶらそば」を知っている前提で「食った?」と聞いてくるあたりが、凄腕ドラマーの匂いがプンプンする。
私には「このビートについてこれるよな」
ぐらいに聞こえた。

この当時は「あぶらそば」なんてものは有名でも無かったし、殆どの人はその存在すら知らなかったのではないだろうか。

私は食べ物に関しては正直なので「先輩、あぶらそばって何ですか?」と聞いた。
すると、せいちゃんは
「なんだ、食ったことないのか、じゃ行こうか」と言って車に乗るように促された。
私が空腹かどうかなんて関係無いようだった。

吉祥寺のスナックから車で走ること約20分、私が住んでいた武蔵境を通り過ぎて亜細亜大学の近くの路地に車を停めると「ここ」と言って変な名前の中華料理屋を指した。
「珍々亭」
ちんちんていである。
当時私が住んでいた自宅からそんなに遠くない場所に、こんな変な名前の店があることすら知らなかった。
80年代、インターネット以前の情報なんて、そんなものだった。

店名とは違って素朴な佇まいのお店に入ると、壁に書かれたメニューには普通に【ラーメン、タンメン、チャーハン】といった中華料理屋のメニューが並んでいる。
そのメニューの先頭にひときわ異彩を放つ「油そば 大・並」というのがあった。
店内は満席で、お客さんを見ると全員がその「油そば」を食べているようだった。
スープの無いラーメンに、工場とかで見る工作機械に油を差すような容器に入った透明とオレンジの液体を回しがけしながら食べている。

順番が来てカウンターに座るや、せいちゃんは「油そばね、大ふたつ」と注文した。
私は再び「油そばって何なんですか?」と聞くも「食えばわかる」と、アントニオ猪木のような返事だった。

珍々亭はそれほど大きなお店ではないのだが、奥に長い店のレイアウトで、更にその奥のほうが厨房になっている。
店の大きさの割に店員さんの数は多く、2~3人のパートのおばさんがフロアを捌いていて、厨房にも5人ぐらいの人影が見え隠れしている。

待つこと約10分、人生初の油そばが私の前に運ばれてきた。
せいちゃんは「下の方にタレがあるからよく混ぜてな、そんでそこに酢とラー油があるからたっぷりな」そう言いながら、既に自分の油そばを混ぜていた。
私も見よう見まねで、丼ぶりの中の麺をぐるぐると掻き混ぜながらせいちゃんに聞いた。

「これ、作るときにタレと麺を混ぜた状態で丼ぶりに入れちゃダメなんすかね?」

するとせいちゃんは
「・・・それだと何か雰囲気が出ない」
と言った。
そうなのか。なんか分かる気がした。

とりあえず何もかけずにそのまま食べて見ると、予想外に美味かった。
カウンターのところに「食べ方」という紙が貼ってあり、酢とラー油は2周ぐらいかけると美味しい、但しかけ過ぎ注意と書いてある。

私は酢っぱいものを食べると必ずむせるタイプなので、まずはラー油をかけることにした。
美味い。そして辛くない。
なのにルックスと味の変化が楽しめる。
むせるのを覚悟して酢もかけてみた。
酸っぱくない。
風味が良い。
そしてむせない。

珍々亭では酢もラー油も、油そばに合わせて自家製だという事を後で知った。
あっという間に食べ終わり、せいちゃんの奢りで店を出た。

「美味かったです、ごちそうさまでした」

お礼を言うとせいちゃんは、珍々亭に隣接する秋田屋という菓子店に入り、何故だかイチゴ味のジャイアントコーンを買ってきてくれた。
油そば直後のジャイアントコーンは、少し気持ち悪くなった。

それから私は油そばの虜になり、家族や友人を連れて、しょっちゅう食べに行くようになった。
あれから三十年近く経ち、油そばを出す店も驚くほど増えた。
油そば専門店なんていうのも登場した。
既にひとつのジャンルとして確立したのだろう。

「油そば」は珍々亭が発祥の店らしく、言わば私はメンフィスでブルースが始まりソウル・ミュージックに発展する歴史に立ち会ったのかもしれない。
もしかすると、せいちゃんは私に油そばを通じてファンクの本質を伝えようとしていたのかではないか?
そうと思うと畏敬の念さえ覚えてしまう。

その後、せいちゃんは本格的に油そばの研究を始めたらしく、
「油そばは、ラードなんだ、なかなか理想のラードが出来ない」
と言いながら約一年、やっと完成したらしく、例のスナックに来いという連絡があって店に行くと、カウンターの中で頭にハチマキを巻き、せいちゃんはまるでラーメン屋の店主のような格好で待っていた。
スナックの女性達と一緒にカウンター席に座り、せいちゃん渾身の油そばをご馳走になった。

まあまあ美味しいし、味は近いものの、珍々亭をベンチマークに評価するならば麺も違うし、ラー油も酢も違うので、似て非なるものだった。
正直にそんな感想を伝えるとせいちゃんは、

「そうなんだ。次は麺を極める」

ドラムよりも油そばに夢中なのがよく分かり、せいちゃんとバンドを組む事は無かった。

せいちゃん何してんのかな。

『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。