2021.12.14

阿古真理 料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。【私の食のオススメ本】

『料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。 表紙

  • 書名:料理に対する「ねばならない」を捨てたら、うつの自分を受け入れられた。
  • 著者:阿古真理
  • 発行所:幻冬社
  • 発行年:2021年

阿古真理さんは『日本外食全史』を書いた人だ。作家・生活史研究家であり、食を中心に生活の歴史やトレンドを研究しているのだが、当然のようにその流れにも密接なジェンダーの研究も行っている。

日本外食全史』を「書いた」と書いたが、ほぼ一人ぼっちで編纂したという方が正しい。ダンボール100箱の資料およびネット情報と格闘して点を線で繋ぎ切ってもらったので、読み物として面白いし役に立つ。

このBOOKコーナーでは、いかにしてアジア飯が日本の食文化に入り込みポジションを築いたかという「パクチーとアジア飯」も紹介しているので読んでほしい。

その食文化ジャーナリスト阿古真理さんのこのやたらと長いタイトルのあたらしい本には、36歳でうつになって、料理ができなくなった自身の体験を整理し分析して発見した22の事柄が時系列で追うように書いてある。

この本はうつがどんな感じで悪くなっていくか、本人はどう自分以外と関わっているのかがよくわかる。そして、食べることをやめるわけにはいかない人間というものが、料理にどう振り回され、助けられているかが見えてくる。

うつになると、体を動かさないと回復が遅くなる。家事でいうと掃除も洗濯も買い物もできるのだが料理だけができなくなる。しかし、食べないわけにはいかない。特に彼女は食欲がないということがなかった。

余談だが、うつの人と食事をするとなかなか箸を進めない、食欲がなさそうに見えて「別のものにしようか?」などと聞いてしまう。答えを求めても一点を見てなかなか答えないことがある。これは具合がわるいとか食欲がないとかではなく、次への行動に時間がかかっているだけのことが多い。お腹は空いているのだから急がせてはいけないのだ。

阿古真理さんは、ルーティンの「思考のいらない作業」はできるのだが、料理という高度な要求をされるクリエイティブ作業ができなくなった。今夜はどの野菜を使って何を食べるかを決められない。「選ぶ」ということがとてつもなく高度な作業になるのがうつなのだ。

結果、彼女は単純な料理ワークへと切り替えることを発見する。これが良い方向へ結び付けた。

帯にもあるようにこの本は「家庭料理とは何か、食べるとは何かを見つめた実体験ノンフィクション」である。そして、この「家庭で行われる料理」への視点がまさに阿古真理である。

読んでいて苦しくもあり、淡々とした文章のおかげで笑えるところもあり、膝を打って納得するということを繰り返した。

WRITER Joji Itaya

出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。