- 書名:お客さん物語
- 著者:稲田俊輔
- 発行所:新潮社
- 発行年:2023年
まず最初に、自分は過去にお店のプロデュースをするにあたって「店はメディアである」と言い続けてきたことを書いておく。そんな内容は本書には書いていないのだが、読んでもらえればその意味が理解してもらえるかもしれない。
この本について「料理店を楽しむためのマニュアルとしても役に立つかもしれない」と筆者は書いている。確かに人はお店で料理とだけ向かい合っているわけではない。そこに来る客、店員、内装など、そこに生まれる情報も一緒に享受することになる。
ならば、それを楽しめなければ悲惨な食事と化してしまうかもしれない。
『エリックサウス』の総料理長で「南インド料理」ブームの火付け役でもある稲田俊介のモットーは「お店に行ったら、そのお店を目一杯楽しむこと」だと言う。
そのヒューマン・ウォッチャーとでも言うべき稲田俊輔が、料理人になる前に、一人の「お客さん」として、そして料理人になってから、さまざまなお店で体験した「楽しくも不思議なお客さんの生態」と「店の舞台裏」を本音で綴り、サービスの本質を考えさせるのが本書だ。
目次ではないが抜き出してみる。『常連と特別扱いのこと/低評価レビューは貴重な情報源/サラダバーで追加オプションのスペアリブを持ち帰ろうとするとお客さん/ホームパーティーにおける手土産/一人客を敬遠する店はアップデートすべき/ワクワクするのにコース料理は受難の時代に/お客さんに可愛がられるお店、リスペクトされるお店/接客という概念のない店/1000円の定食は高いのか/クリスマス時期のお客さん/宴会の減少とそこで失われるもの/説教したがるお客さん/立ち飲みに集まるお客さん…』
こんな内容で著者がウォッチし体験した様子と、導き出した答えが綴られている。「飲食店あるある本」であり「お客様対応 ひとり問答集」の様でもある。たぶん編集者が書いたのだろうが、表紙に「飲食店を10倍楽しむ方法」とある。それは客としてのみ生活している人の話で、業界に関わる者にとっては悩める話が多いから、大昔の野球解説者のようで、あんまり上手くないコピーだ。
個人的に、読んで思ったことは、自分の料理店に来るお客さんしか見ていない(知らない)料理人には先がないのではないかということだ。著者の様に、日頃から世間にはどういう人たちが何を語らい、どういう行動をしているかに興味をもって見ていなければ、最大のサービスと店としての対応はできないのではないだろうかと思うのだ。
もちろん、自分の料理はこれだというものを並べ、孤高に、理解者をじっと待つという形もあるが。
そしてまた、お客さんに合わせるとか、合わせられるいうことでもないのだが、本書を読んでもらうのが一番わかりやすいので説明は省くことにする。
京大を卒業し、酒メーカーで働いた著者が、初めてアルバイトをした創作居酒屋では「客」や「お客さん」と呼ぶのは絶対禁止でホールでもキッチンでも「お客様」という呼び方以外は許されていなかったという。
笑えるが、愚痴であっても「ああいう<お客様>はマジ勘弁してほしい」といった具合だ。
著者も、現在では「過剰な言い回しな気がする」とは言いながら、現場ではそのルールを使用し、そこには一定の意味があるとし、廃止することはないだろうと言う。
著者はをスタッフに徹底してもらいながらも、本書においては「お客さん」を使用することを伝えている。本文において「お客様」にすると、そこに展開される物語や人生も変な立場からの語りになるからだろう。
この本で笑いをもって学べるのは、客観的に人を見て<自分が何をすべきかを考える方法>だ。自分で考えてみない人には<アドバイス>や<指導>は伝わらない。答えを渡しても無駄である。
『お客様』ということについて付け加えておきたい。常連客で成り立っているような小さな個人店は別として、自分も、企業だったり、スタッフ、バイトを何人も抱える様な店や会社は『お客様』に統一することに賛成である。たとえ「昨日のあの酔っ払いの<お客様>、タチがわるかったよなあ」という変な会話となってもだ。
特に上司やオーナーが「客」呼ばわりしている場合、末端で働くスタッフまでも同じ立ち位置になってしまう。使い方ではなくゲストに対する自分の立ち位置の問題だからだ。一瞬でゲストをモノ化してしまう。
だからと言って、お客様は神様という話でもない。
もう少し外れて、本書に一言だけ出てくる「お客様は神様です」について少し。
「お客様」とは「売り手側の商店や企業などが客を呼ぶ丁寧な言い回し」と出てくる。
最近になって頻繁に取り上げられている話。念の為に三波春夫氏のHPによると『歌う時に私は、あたかも神前で祈るときのように、雑念を払ってまっさらな、澄み切った心にならなければ完璧な藝をお見せすることはできないと思っております。ですから、お客様を神様とみて、歌を唄うのです。
また、演者にとってお客様を歓ばせるということは絶対条件です。ですからお客様は絶対者、神様なのです』とある。
これは三波春夫さんの「演者としての心構え」のことである。つまり、商品やサービスにお金を払うお客さんと同様に扱ってはいけないという意味なのだ。ということは「お客様は神様です」は料理店で使う言葉ではない。
松下幸之助は「お客様は、王様である」と言ったが、こちらには「王様は時として暴君になる」という意味が込められている。
そんなことはともかく、お客様は「お客様」なのだ、と思うことが大事だと言っておきたい。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。