2019.06.06

旬と和食と日本人  夏・トマト編

新鮮なトマト

編集部:この記事は2019年6月に発表されたものです。シリーズ企画されたこの対談もコロナ禍になり中断しています。ゆるゆるした中にも深い食と歴史の世界を知ることができるこの企画は大変好評をいただきました。コロナが収束へ向かい、改めて企画が再開できることを祈りつつ、夏の旬ばなし、再録いたしました。2021年7月23日



OPENSAUCEのメンバーによる対談。今回は、場所を金沢・片町にあるスナックパンチに移し、料理人・髙木慎一朗と歴史学者・三石晃生、居合わせた他メンバーもガヤで加わり、お酒も入ってスナック感満載の雰囲気で行われました。

三石晃生 
歴史学者 株式会社goscobe代表
髙木慎一朗
石川県金沢市「日本料理 銭屋」の二代目主人。
株式会社OPENSAUCE取締役

三石晃生×髙木慎一郎

トマトは夏野菜じゃない!?

編集部:今日は初のここスナックパンチでの誰でも参加の公開酒場放談です。思う存分いってください。

髙木:七月、八月くらいでこのへんで出てくる話題というと鮎、それからアワビ。

トマトは、なんか野菜入れなきゃまずいなとなって、それで夏野菜っていうとトマトかなって。

三石:あれ…でも正確に言うと、トマトって夏野菜じゃないんですよ。

髙木:えっ。

三石:トマトって夏が一番美味しくないんですよ。

髙木:最悪(笑)。

三石:昔は温度管理ができないから、春にやって夏に出てくる夏の実を採ってたんですけど、トマトって基本的に高温多湿ってアウトなんで。

髙木:ああそっか、南米のやつだから。

三石:なので、トマトって本当に美味しい時期って6月に入る前、5月終わりとか6月頭とかで。

だからトマトは夏野菜じゃないんですよ。夏はトマトが一番弱ってる頃なので

(編集部注:夏場は成長が早く水分が多く薄味になり、美味しいのは生育がゆっくりで糖度が高くなる春から初夏、または秋から初冬といわれている)

乗松:あれっ、でもイタリアのトマト美味かった…あれは気候が乾燥してるからか。すごく甘いですよね。(スナック・パンチ担当 パリ&ミラノコレクション現役モデルが参加)

髙木:でも南米原産のものがどうやってイタリアに行ったんだろう。

三石:16世紀に南米ペルーからスペイン人が奪ってきたもんで、最初は観賞用なんすよ。

ふーん、こんな実ができるんだ〜って見るだけ。ベラドンナっていうアスピリン系の毒の実があるんですけど、これがトマトに似ていたので食べたら死んじゃうという噂があったようです。実際、トマト食べると体に異変が起きちゃったみたい。

原因はトマト自体じゃなくて鉛なのだけれど。当時の貴族の高級食器に鉛が含まれてたんです。トマトの酸が反応しちゃって、食器から鉛が出て、それで鉛中毒になっちゃうっていう。

そんなわけで「トマト食べると死ぬらしいよ」「具合悪くなるらしいよ」と毒物だと思われていたみたいです。実際、トマトは最初「毒リンゴ」って呼ばれてたし。
でもイタリアの貧しい人たちが「毒ある言うてもこんなにあるから食べるべ」って言って食べ始め、結局なんにも中毒にもならなかった。

髙木:でも、スペインに入ってなんでイタリアになるの?

三石:イタリアで大規模な飢饉が起こって。結局この実は観賞用で貴族も食べないし、これもうどうせ餓死しちゃうなら毒あっても食べちゃえ、と。で、結果なんともない。貧しい彼らは高級な錫食器で食べませんから大丈夫だったんです。

イタリア人が食べるようになって、スペインでもあれ食えるらしいぞっていうのが伝わっていく。あ、ちなみに19世紀になってもアメリカではまだ毒物扱いです。

髙木:で、トマト投げる祭り(※1)が。

三石:あれ古そうに見えるけど、最近、1950年代にできた祭りなんですよね。ケンカしてるやつがいて、市場の八百屋からトマト引っ掴んで投げ始めたのが最初で、これって祭りになんじゃね?ていってトマト祭りが始まったらしい。

髙木:どっか中国の田舎のほうでドリアンとかやんないですかね。

三石:くっさい(笑)

髙木:街中近づけなくなる(笑)。

日本へのトマト伝来は いつ?

三石:日本にトマト入ったのは、意外と早くって、家綱(※2)っていう将軍の頃。家綱の絵の師匠が狩野探幽っていう狩野派の総帥なんですけど、トマトを描いてるんですよ。横に「唐なすび」って書いてあります。

そのあと江戸時代の中期くらいになると、貝原益軒ていう人が『大和本草』の中で、トマトを唐柿と書いてますけど、まぁこの頃でも観賞用ですね。

狩野探幽「草花写生図巻」より唐なすび 東京国立博物館所蔵

髙木:トマトって、生でも使いますけどドライトマトとしても使うじゃないですか。僕らたまに、遊び半分本気半分で、ドライトマトで出汁取ることありますね。

三石:あ、グルタミン酸だから取れますね。

髙木:だから昆布とドライトマトって結構合うんですよ。それに、カツオとか入れると、昆布の昆布臭さがもうちょっとフレッシュ感が出て。

三石:ということは、ジャガイモでも出汁って引けるんですか?あれは同じナス科ですよ。

髙木:え、イモ科じゃないの?

三石:ジャガイモはナス科です。

髙木:でもあれは、アミノ酸とかある??

三石:わかんないです、でもナス科。

髙木:ナス科っていうんなら、ナスでも出汁が引けるってことになっちゃうよ。

いやー…ナスで出汁引いたことはないなぁ。

乾燥ナス…ドライナス。

三石:トマテって言って、トマトとジャガイモを合体させられるんですよ。根っこにジャガイモ、上にトマトができるという植物のキメラがあるんです。

宮田:おれ作ったことあるよ。(ここでOPENSAUCE代表も参加)

三石:えっ。

宮田:水耕栽培で。

三石:あれって成功するの難しいらしいですよ。

宮田:失敗しました。

(店内爆笑)

髙木:日本人ってイタリア料理好きじゃないですか。もしかしたらそれ、トマト(の所為)かなって思ったんです。ちょっと似てるところが。

三石:旨味が。

髙木:本体は違うけど、ベースになっているところが似てるところがあるから。アメリカよりもぜんぜん日本のほうがイタリアンレストラン多いじゃないですか。

だいたい…これ言うと怒られちゃうけど、なんでもトマトで煮込むとイタリア料理じゃないですか。

三石:ナスとトマトなんて相性いいに決まってますよね。同じ系統ですからね。

髙木:うちの店で一回、イタリアン出したことあるんです。

三石:へぇ〜!銭屋で。

髙木:銭屋で。

三石:それはどんな献立になるんですか?

髙木:金沢の地元の会社が、ホスト(招待側)が2人いて、イタリア人のお客さんが3人来ると。イタリア人のうち2人はうちに何度もいらっしゃってる方で、一人は初めてだっていう。

その初めての人の本社の秘書から、ホストに電話があって、初めての日本で、初めての食事が銭屋だと。だから、日本料理はやめてくださいっていう。

三石:なんで(笑)

髙木:それで、本社の秘書も何も考えずに電話かけてきて、すみません、一人だけ洋食でお願いします、って。

できるわけないじゃないですか。

で、まさにトマトの話になって、じゃあトマトなにかやればできるんじゃないかって話になって、急遽イタリアンを。

三石:パスタ作ったんですか。

髙木:パスタ、ペペロンチーノも作りましたよ。

トマトとバジルで軽くドレッシングを作って蒸し鶏にちょっと合わせたりとか。なんでもかんでもオリーブオイル浸して塩コショウ…なんとなくできるって言ったらイタリアンの人に怒られますけど。

三石:イタリア人、ボーノ言うてましたか。

髙木:ボーノ、ボーノって。

でも結局、おれもあれ食べたいって言って(和食を)食べたんですけどね。でもあの時にトマトとかでイタリアン作ってて思ったのは、なんとなく自然に入ってくるのはなんでだろなと。

もしかしたらトマトかな、グルタミン酸かなって気はしますね。

三石:外国人をお迎えするといえば、最後の将軍の徳川慶喜(※3)が、大阪城で外国の公使たちを招いておもてなしをしたんですよ。その時にフランス人シェフ雇ってフレンチのフルコースを作らせてます。彼ら、日本食出しても口に合わないからっていうんで。

ペリーが来た時にも、ペリーたちには日本食はお口に合わなかったみたいです。ペリーは「こいつらの出すものは貧弱だよね!うちの船で出す料理の方が断然いいわ」「和食より琉球で食べたものの方が美味しかった」と書き残してます。

ペリーに当時の贅沢品のはんぺんを出したみたいなんですけど、感想は「味しない…」と。かたや通訳でついていた他の外国人は、「いやー、日本の料理って見た目キレイだし美味しくていいわぁ」って高く評価してます。

髙木:幕末あたりの料理って大雑把な料理だったと思うんですけどね。

三石:でもシェリー酒も出して鴨とか出してー、ブイヨンなんかも作ってます。

髙木:で、ソースは赤ワイン持ってきて?

三石:ほかにもブランデーとか色んな洋酒用意してます。

ちなみに徳川慶喜はあの当時なのに豚肉を食べるんです。

豚肉大好きで、一橋慶喜なんで、「豚一さん」って呼ばれてたという。

髙木:じゃあその当時から、豚肉料理はあった。

三石:すごいレアですけどね。身分の高い人なんかだと慶喜くらいしか食わないです。庶民の間では「ももんじ屋」(※4)というのがあって、薬(くすり)食いっていう名目でそこそこ食べられていました。あ、でもこの頃には薩摩で豚肉食が大ブームになってました。

髙木:でもそうやって屠殺の技術もあって、捌く技術もあって、寝かす技術もあったってことですね。

三石:ですです。

髙木:そこでは前例は遥か昔から積み上がってないとできないですよね。

三石:江戸の近辺でいうと多摩なんかで獣がとれますから。農家にしてみると害獣ですから駆除しないと。

髙木:ああ、いわゆる野ブタですか。

三石:あ、慶喜のは飼育されてる方の豚です。

髙木:じゃあけっこうフレキシブルなもの食ってたんですね。

ケチャップが日本に広めたトマト食

トマトケチャップ

三石:トマトは、食べられるようになったのは明治からなんですよ。
明治の話ですけれど、カゴメの創業者が洋食屋に売るための菜園つくってて、そこでトマト作りはじめてます。食用トマト栽培者としてはかなりパイオニアだと思います。

でも日本人の舌にはトマトは青臭くて受け入れられなかったみたい。日本人がトマトを食べれるようになるのはそれよりずっと後。当時の洋食ブームやレシピ布教の中でトマトケチャップの存在を知り、そこから日本人が生のトマトというものを食べてみようという気になったらしい。

髙木:でも、ケチャップじたいはアメリカから来たんじゃないんですか?

三石:アメリカからですけど、文化としては実は…。

宮田︰ケチャップって中国語なんじゃなかったっけ。

三石:そうなんですか?それ知らなかった。アレクサに聴きましょう(笑)。

宮田︰なんか昔読んだ気がする。

髙木:でもアメリカ食文化で一番、ガンになったのってケチャップだと思う。だってケチャップ入れたら、なんでもケチャップの味になっちゃう。

三石:日本の醤油みたいなもんですね。

髙木:それも結構あと引く味なんですよね。

宮田︰(スマホ見ながら)Naverまとめに書いてあった。ケチャップは実は中国語だったって。

髙木:ということは、中国の調味料だったってことですか。

宮田:そもそもは、魚醤のことをケチャップと言ってたっていう。

中国では塩漬けにした魚や塩で作った調味料のことを、ケツヤープって言ってたっていう。

三石:『魁!男塾』の民明書房の情報みたいですね(笑)

(編集部注:民明書房は宮下あきらの漫画『魁!!男塾』における架空の出版社。 作中の武術の解説などで「民明書房の本からの引用」として登場する)

宮田︰(スマホ見ながらさらに音読)「それですっかり定番の味となっていたトマトケチャップを商品化して売出したのはハインツだった」

髙木:じゃあ中国からアメリカ行ったわけですか。へえ〜。

でもケチャップって、フレンチフライにつけて食べるじゃないですか、アメリカで。ハンバーガーとかマストですよね。なんだかんだケチャップでアメリカらしい味って決まるような気がするんです。

三石:ケチャップ、マスタード、あの2つ。

髙木:あの黄色いやつ。

三石:彩りも赤、黄色で。

確かナポリタンの発祥もそうなんですよね。日本で、米軍が進駐してきたけども食べ物何もないんですよね。その時にケチャップくらいしか無くて、ケチャップをベッタ〜とやって食べてたら、これむっちゃ美味いじゃ〜ん!て。それがナポリタンの祖型。(※5)

これこの前、ナポリ出身の友人に言ったら、うわぁ〜ケチャップで作る?ありえない!許さない!って言ってました。

髙木:でもなんでナポリタンになったんだろう。

三石:ネーミングって結構、意味ありげでなかったりとかしますからねぇ、、。

シーザーサラダもそうですよ。アレって最初は、食材が足りなくなっちゃって、古いパンとかあり合わせのやつで作ったんです。

それ客に出してみたら、このサラダめちゃくちゃおいしいじゃん!この名前なに?って言われて、咄嗟に店の名前からとって「シーザーサラダでございます」て言ったのが今やこんなに日本にも定着しているから驚きですよね。(※6)

髙木:へえ。別にローマのカエサルとかシーザーとかそういうわけじゃないと。

三石:店の名前ですね。食材困って、有り合わせのもので作るといろんな新しい料理が生まれるんですねぇ。

髙木:トマトって出汁にもなるけど、ケチャップにもなるってちょっと多面性がひどすぎますね。いい意味でも悪い意味でも。

でも、ケチャップは日本料理ではなかなか使わないですね。

でも知っている有名料亭でも使ってますよね、こっそり(笑)。

生牡蠣のときに、ケチャップをちょっと入れて、ビネガーとソースを作って。ちょっとピリ辛のやつを。全部ケチャップじゃないですよ。

編集部:確かに、有名料亭の冷蔵庫にケチャップが入ってるのは想像つきづらいですね(笑)


…このように、トマトの話題で、南米からスペイン、イタリア、江戸時代、和食とトークはトマト投げ祭りのようにぐちゃぐちゃになってゆきました。それだけ古今東西の人の心をつかんだトマト。トマトを見る目が変わりそうですね。
次回は、このままスナックパンチでのトーク、アワビ編に続きます。
アワビ好きな方はお楽しみに!


※1 La Tomatina スペイン・ブニョールで8月に開催される収穫祭。道路が赤く染まるトマトの投げ合いで有名。

※2 江戸幕府の第4代将軍 1651年(慶安4年)〜1680年(延宝8年) 。

※3 江戸幕府第15代征夷大将軍 1867年(慶応2年)〜1868年(慶応3年)

※4 江戸近郊の農村で、農民が獣害駆除した猪や鹿を江戸へ運び売っていた店のこと。他、犬、狼、狐、猿、鶏、牛、馬などを販売・肉食させていた。

※5 当時日本の食糧事情が悪く、食べ物を調達できない兵隊たちが進駐軍の保存食だったスパゲティを塩胡椒、同じ保存食のケチャップで和えて食べていた。それが進駐軍文化に興味があった人たちによって一般に普及。そのことをGHQに接収されていた横浜ホテルニューグランドの料理長入江氏が見かねて改良。ケチャップ・スパゲティに代わる、ホテルのメニューにふさわしい、ニンニク、玉ねぎ、ローリエ、トマト、ホールトマト、トマトペーストなどを使ったソースを作りスパゲティを和えた。これをスパゲティ・ナポリタンと命名したと言われている。

※6 1924年、アメリカ合衆国との国境にあるメキシコのティフアナのレストラン「シーザーズ・プレイス」(Caesar’s Place)のオーナーでイタリア系移民の料理人シーザー・カルディーニ(Caesar Cardini)によって調理されたのが最初であるところからつけられた名前