2021.01.26

あれは旨かった

鱈の白子

これは2008年から2013年まで ニュー・サイエンス社発行「季刊・四季の味」に『銭屋の勝手口』として連載された銭屋主人・髙木慎一朗による随筆の一編です。連載では料理人である筆者の目と体験を通して日本料理の世界と人、美味しいものなどについてが綴られています。今回はNo.68 2012年9月21日発売号に掲載されたものを出版社の許諾を得て掲載いたしました。 


ここ最近食べたもので「あれは旨かった!」と、声を大にして誰かに喋りたいものを挙げるとしたら、何でしょう?

私でしたら、まず思い浮かぶのは”寒鮒の洗い”ですね。実はコレ、私だけではなく弟も、そして先代も大好物だった一品です。

普通、川魚の洗いと言えば、大半の人がまず思い浮かぶのは鯉ではないでしょうか。でも私達兄弟にとっては、いつの頃からか覚えていませんが、物心ついたときから”寒鮒の洗い”なのです。そして、それをいただくのは先代の頃から通い続けているお店、その名も「大関」

「大関」は金沢の繁華街、片町の木倉町通りにある老舗のおでん屋です。無論おでんもさることながら、香箱かに、ぶり、梅貝、甘海老などの地物のお造りをはじめ、旨すぎて不意打ちされた気分になる鯵フライなど、どれもこれも美味しく、いつ伺っても私達の期待を裏切ることはありません。

毎年一、二月の本当に寒い時期になると、まるで見えない力に引き寄せられるように、私はしばしば「大関」の暖簾をくぐります。そして、座るやいなや注文するのはもちろん”寒鮒の洗い”。でも、もう店の方々もとっくに分かっています、この時期に来た私が何を食べたいのか、を。

毎度の如く注文すると、「あいよっ」とご主人が応えて、玄関脇にある水槽に向かい、あらかじめ生かしこんでおいた、極めて生きの良い大ぶりの”寒鮒”を網ですくって、持ってきます。それを瞬時に卸して、切り出し、その切り身をしばし冷水にさらして、あしらいとともに盛り付けます。この一連の流れは、同じ料理人の私が見ても鮮やかなもので、ホントあっという間です。是非ともカウンター越しに見ていただきたいものです。

味に関しては、いわゆる川魚らしいクセはほとんど無く、盛り付けられたキレイな刺し身を一切れ口にして、そのプリプリとした食感に「おおっ……」と思った瞬間に、じわっと淡い、でも力強い旨みが口の中に現れてきます。

その昔、金沢の街中に雪がもっと多く降り積もり、流通もそれほど整っていなかった頃、地元で獲れるこの寒鮒がどれほど貴重なタンパク源であったかは容易に想像できます。そして、この味にどれほど多くの人たちが癒やされてきたことでしょうか。私にとっては、見たことも無い遠い昔に想いを馳せる、何ともノスタルジックな気分にさせてくれる一品なのです。

金沢郊外にある河北潟で獲れた鮒は金沢の正月料理の定番食材ではありますが、じっくりと焚き上げる料理がほとんどです。しかし、酢味噌や生姜醤油でいただくこの一品こそ、私達兄弟の毎冬の密かなる恒例となっております。木枯らしが吹き始める頃、市場に並ぶ食材などからも冬の到来を感じ始めると、二人で「おい、そろそろだな」「お、もう鮒の時期か、今年も食べに行かなきゃな」とお互い話し掛けたりしするほどです。

「大関」で”寒鮒の洗い”を楽しめる時期は一、二月中、しかも良い鮒が入荷した時だけ。というわけで、残念ながら今シーズンは終わってしまいましたが、こう書きながらも私は、また来年のこの時期に、また「大関」で”寒鮒の洗い”を食べるのが、既に待ち遠しくなってしまっています。

寒鮒に次いで思い当たるのは”鱈の白子”ですね。能登で水揚げされた新鮮な雄の真鱈に備わっている白子は、その見た目からは弾けんばかりの弾力を感じさせ、新鮮さ故に色はうっすらとピンク色。まさに生命の塊のような存在感で、冬の金沢を代表する食材の一つです。

鱈の白子

毎朝出かける近江町市場で「これはっ!」と言いたくなるような良い白子を見つけると、自分の食べる分を考えてしまい、いつもつい多めに仕入れてしまいます。

さて、これをどう料理するのかといいますと、私はズバリ生でいただきます。仕入れた新鮮な白子の筋を取り除きながら適当な大きさに切り出し、塩水にくぐらせて、一切れ一切れ丁寧にヌメリを取ります。そしてもう一度冷水で濯いでから水気を取り、器に盛り付けて、ポン酢に刻み葱や一味唐辛子を添えて出来上がり。

プリッとした食感の後にくるクリーミーかつ濃厚、でも決してしつこくないその味は、小さい向附でいただくよりも、一度ぐらいは大き目の丼ぶりにたっぷり盛り付けて、大胆に食べたいものです。

実際に先代は、自宅で食べる時はそうしていましたが、いざ自分はとなると、何処か悪いことをしているような気分になり、なかなか真似はできません。実際の私は、きりっと冷えた純米酒か燗酒をいただきながら、ちょこっと白子を楽しむことが多いですね。

しばらく前にふらっと立ち寄った、金沢の鱗町にある「料理 小松」でいただいた白子も旨かったですね。それは、新鮮な白子を軽く湯引きし、キレイな染付の小向にすっきりと盛り付けられ、薬味無しで加減酢だけを掛けた、極めてシンプルな一品で、今シーズンの印象に残る白子料理でした。

あの夜、予約もせずお店に伺った私に、小松っつぁんは何気なく出してくれましたが、湯引きや酢の塩梅など様々な加減がドンピシャだったので、改めてさすがだなって感じさせられました。言い訳ではないのですが、その夜は白子の旨さのせいか、久しぶりに随分と遅くまで一緒に飲んでしまいましたが、翌朝大丈夫でしたか、小松っつぁん?

”寒鮒の洗い””鱈の白子”と挙げてきて、さてもう一品となると、この冬で、やはり忘れられないのが”シャンタルの鴨”です。

昨年の暮に、調理場一同を引き連れ、金沢の平和町にあるレストラン「シャンタル」に伺いました。以前に伺った際にも何度かいただいているのですが、やはりその鴨がまた、たまらぬものなり、でした。

こちらのシェフは冬になると自ら猟銃を持って山に入り、熊や猪を仕留めては、店で料理して提供してくれます。しかし、その猟のために留守がちになるので、その独特のジビエ料理を目当てに多くのお客様が、狩猟シーズン中の数少ない営業日に予約しようと躍起になっていたと聞いています。

実はこの「シャンタル」、十二月末で閉店しました。シェフが長年の夢だった海外留学とボランティア活動のため、シェフ業引退とレストランの閉店を決意されたのです。

秋の終わりの市場で仕入れ中に、シェフから唐突にそれを伺った私は、とりあえずは最後に「シャンタル」のお料理をいただくべく、まずは席を確保せねば、と考えました。しかし、その直後に、このシェフの料理を是非ウチの調理場スタッフにも体験させておくべきだと思い立ち、まずはお店に電話して他の予約が入っていない日を確認し、レストランを貸し切らせていただいたのです。せっかくのチャンスですので、シェフには我々の料理だけに集中していただければ、という下心一杯のお願いでしたが、快く引き受けていただきました。

アミューズから始まった料理は、もちろんその全てが素晴らしかったのですが、メインディッシュであった鴨が今も忘れられません。

まさか火が入っていないのでは、と見えるほどのレア加減で供された何ともおいしそうな天然鴨には、これまた唸るしかないソースが添えられていました。そのソースは、たっぷりの猪の骨と肉をゆっくり時間をかけてこんがり炙ったもので取ったフォンをベースに、赤ワイン、ポルト、バルサミコ酢で仕上げたものでした。

支配人が誇らしげな表情で運んできたお皿に盛りつけられた、柔らかく、そして美しく料理された鴨を一切れ、たっぷりの猪ソースにからめていただいたのですが、それはそれはジビエらしいクセはほとんど無く、それでいて鴨と猪の組み合わせなのに自然な一体感、まるで旨さを滋味さ加減で増幅したような味。もう、自分でもどう表現して良いかわかりません。正直なところ、一口食べた時は「あー、こりゃ量が全然足りん。まだ食べ終わってないけど、もっと食べたい!」と思ってました。

実はこの鴨、実際に食べたのは私と弟だけだったのです。もちろん予約した際にリクエストしたのですが、「ゴメン、あと二人前しか残っていないよ」と申し訳なさそうにシェフがおっしゃったので、「弟と私だけで結構です」と即答してしまいました。

いまも同席したスタッフに対して若干の後ろめたさはあるものの、料理人ではなく一人のファンとしては、「シャンタル」の最後の鴨は、どうしても譲ることができなかったのです。そして、念願かなって食べてみて、いま思い返してみても、やっぱりあれは旨かった。

石川県金沢市「日本料理 銭屋」の二代目主人。
株式会社OPENSAUCE取締役