2020.10.19

ケーキとお茶の子の語源の話

お茶の子の語源、お茶菓子のイラスト

「お茶の子さいさい」という言葉を最近使っただろうか。
それに似た「朝飯前」も実際の会話ではなかなか最近使わない。

先日、とある大学生の女子が「お茶の子サイサイ!」と言ったら、同級生の子たちに「沖縄の言葉?」「ナニソレ!?」と言われたらしく、「この言葉ありますよね!?」と聞かれた。

ちなみにこれを聞かれたのは大学ではない。ガールズバーである。
あと30年後には存在すら忘れ去られそうな言葉オチャノコサイサイ。

そもそも色々なことがわからない言葉である。
「お茶の子」って何よ。
「サイサイ」って何よ、という話である。

サイサイというのは民俗学の研究などによると、囃し言葉の一種だとされる。ちなみに盆踊りとかに出てくる「ヨイヨイ」は、囃し言葉の代表例である。

まあ、今風にいえば「Yeah, Yeah」とか「Hey, Hey」みたいなニュアンスの言葉である。

じゃあ、お茶の子って何よ、という話である。

お茶の子の登場は、鎌倉時代に遡る。

お茶の子は、宋時代の中国から日本に禅が伝わってきたことに由来する。
臨済宗の栄西禅師が茶の種を日本に持ち帰り、京都の高山寺にこれを植える。それが宇治に伝わり、宇治茶の始まりとされている。尚、高山寺では今でも茶を作られている。

さてさて、鎌倉時代初期の話だ。

当時、鎌倉幕府の将軍であった源実朝が、頭痛になった。

ヤバイ、誰か呪っているかもしれない、と思ったかもしれない。
事実、父親の源頼朝も脳溢血を馬上で起こしてしまい、そのまま落馬して死んでいる。
源家の頭痛は死の病。息子の実朝は、なかなか不安だっただろう。マア、実際のところ呪詛されていたとは思うのだけれど。

さて、この頭痛を払うための祈祷師として呼ばれたのが、先出の茶の種を持ち帰った栄西である。

Eisai

実頼の頭痛の原因が「二日酔い」であることがわかった栄西が、良薬として熱い茶を将軍に供すると頭痛が止まったという。

茶の中にはカフェインが含まれていて、カフェインは排泄スピードを上げる。
食後のコーヒーが、お腹を早くスッキリとさせてくれるのはこのためだ。しかし胃弱な人が食後のコーヒーなんかを飲むと、食べ物が消化器を十分に消化されないまま次々と送られていき、消化不良を起こしてしまうのである。

当然、アルコールのアセトアルデヒドの排泄速度もカフェインで上がる。しかもお湯を飲むことでアルコール分解を司る肝臓が温まって、肝機能が向上する。
栄西の処方は正しかったのである。

禅宗にはこのように既にお茶がもたらされていた。

眠気覚ましの意味もあった。しかし、修行僧にとってこのティータイムは欠かせないものなのであった。
修行が厳しいので朝と夕の食事だけでは体がもたない。

そこでお茶を飲みながら、お菓子や果物を食べた。これを「お茶の子」といった。今でも西国地域では香典返しなどのことを「お茶の子」と呼ぶ地域もあるが、元来は点心の意味だったのだ。
あくまでもお茶のお供。
茶道のときのお菓子を思い出してほしい。
ごく少量だから、腹にたまらない。簡単にぺろりと食べられてしまう。

だから「お茶の子さいさい」とは、「そんなことは、お茶の子みたいに一口でペロリさ(簡単さ)。Yeah, Yeah!」という意味なのである。

そういえば英語でも「簡単さ!」の意味で”It’s a piece of cake”と使う。
ケーキ一切れ。ペロリである。

でもこれは19世紀末のcake-walkから派生している言葉で、黒人の間で流行したケーキを賞品にしたcake-walk競技のことを指すらしい。ステップの難しさを競うダンス?ウォーク?対決で、ジャズ史の中では、ジャズの起源の一つとして数えられる。

これで勝ってケーキをゲットするのは簡単だったらしく、そこから”piece of cake”が生まれたとする説がある。

Piece of cakeからジャズに発展。

かたや、お茶の子サイサイの「お茶」は茶の湯へ、そして「お茶の子」は懐石料理へと独立していく。

あなどり難きや、間食の発展。

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。