- 書名:ソクラテスのカフェ
- 著者:マルク・ソーテ 訳:堀内ゆかり
- 発行所:紀伊国屋書店
- 発行年:1996年
喫茶店というものが影をひそめてしまった。いまはコーヒー豆や焙煎に特化した専門店やバリスタが活躍するコーヒー・バルか、大半がおしゃれでヘルシーなランチセットかスイーツをを提供するようなカフェだ。
さて、カフェの役目とはなにか。それは議論する場所でもあるということだ。昔のビジネスマンが喫茶店の狭いボックス席でタバコをふかしながらする仕事の議論ではない。哲学である。
ニーチェの2冊の本を編集した著者マルク・ソーテは1990〜1991年にかけてパリのマレ地区でビジネスマン相手の哲学相談サービスを始めた。そして1992年に大学講師となるとともにバスチーユ広場のカフェ・デ・ファールで一般市民向けに学歴や形式を問わず哲学的に思索する場「哲学カフェ」を創設した。
現在、パリ政治学院・哲学教授のマルク・ソーテが始めたこの運動は「ソクラテスのカフェ」と呼ばれこの本のタイトルにもなった。
安楽死は必要か?暴力とは何か?などさまざまなテーマをカフェに集まってきた数人から数十人で話し合う。時間は2時間。本書はこの哲学カフェで行われた議論や状況を振り返りながら、この時代こそ哲学が大事であると説く。
カフェでそんな面倒くさいことを話すのはごめんだという人もいるだろう。しかし、日本人のわれわれはどこで世界のあるべき姿や生き方を話し合うのだろう。Clubhouseだろうか?それともその必要がないというのだろうか?
言葉で伝えられない国のリーダーたちが多くなってしまったままコロナ禍になった現在。これからのカフェが一つのクリエイティブなサロンになり、そこで語り合うことから自分たちの問題は何かが見え、未来へ生き延びる哲学を見つけられる可能性をもつことを期待していいのだと考えた。
毎日トークイベントのある書店が地方でも少しづつ増えている。哲学カフェと称するカフェも実際に生まれている。本書の影響もあるのだと思う。
カフェをつくって運営するなら、自由に使ってもらえることも重要だが、そこに行けば考える小さな糸口がみつかる場を提供することがあっても良いと思う。子供から老人まで。ミレニアル世代もZ世代もない。
もちろん、そこには昔と違って当然おいしいコーヒーやフードがあることも重要だ。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。