沖縄といえば、やはり沖縄そば。ラフテー。ゴーヤチャンプルーあたりが真っ先に浮かぶ方も多いかもしれない
非常に残念なことだが、沖縄に1週間の旅行に行った人が「食べるものがなくて困った」という声をたまに聞く。
いやいや、そんなことはない。そんな勿体無いことはない。
なんのために沖縄に行っておられるのか。
ビーチ?そんなの行かんでよろしい。海なんてあなた世界どこでも繋がっている。
沖縄に海入らずになにするのか。
私はこう答える。寿司を食べるために来ているのでしょう!?
この寿司のことを紹介するまで死んでも死にきれないので、ここに書き遺しておくことにする。
何を食べるのか。
タイトルにある通り「沖縄来たら寿司を食え」。この一言に尽きる。
小田原行ったら鯵寿司食べる。もはやそれは関東に生まれ育った人間の脊髄反射的な領域にまで踏み込んでいるといってもよいだろう。それと全く同じで、沖縄に来たら「大東寿司」なのである。毎日食べてもいい、飽きの来ない食べ物だ。
本記事は、大東寿司をひたすらに偏愛した内容になっている。
大東寿司、店によってはボロジノ漬け寿司と呼ぶところがある。
ボロジノという魚をヅケにしたわけではない。これは江戸時代の文政3年(1820)にヲロシアのポナフディンが珊瑚礁切り立つ断崖絶壁の島を発見する。このポナフィデインの艦ボロジノ号にちなんで命名された大東島群の呼び名である。しかし寒いヲロシアの人なのに、リオデジャネイロ経由からの希望峰からインド洋周りで南洋ばっかり周るなんて大変だったろうに…
このボロジノ、現代にも名残がみえる。大東寿司をボロジノ漬け寿司と呼ぶのもそうだし、南大東島の黒糖焼酎コルコルのエチケットには「SOUTH BORODINO ISLAND MINAMIDAITO」と書いてある。そう、ボロジノなのだ。そういえば10年ぐらい前に三吉彩花が主演した映画『旅立ちの島唄~十五の春~』のボロジノ娘の方が先に思い出される方もいるかもしれない。
本記事では、メジャーな大東寿司の呼び名で統一しようと思う。
さて、大東寿司とはどんな食べ物なのか。
魚を味醂と醤油で漬けて、酢飯で握ったもの。である。
魚はコレでなければ大東寿司ではない、というものはない。サワラやメカジキ、あとはマグロを大東寿司にしても大変美味しい。
話は横道にそれてしまうが、沖縄に来たらぜひマグロを食べるべきだ。アグー豚ばかり食べている場合ではない。沖縄のマグロは、美味しい。主にトンボマグロ、キハダマグロ、メバチマグロ、クロマグロと旬がそれぞれ違うために、一年を通してマグロを楽しめる。なぜ美味いのか。沖縄のマグロは冷凍マグロではないのだ。冷凍していない生鮮マグロが泊港から入ってくるため、実は沖縄は美味しいマグロを食べられる穴場なのである。
さて、大東寿司の定義であるが非常―にゆるい。ご当地ものの獲れた魚をヅケにする。赤身魚でも白身魚でもよい。ちなみにワサビで食べるところもあれば、カラシで食べるところもある。
那覇でよく通っているお店のご主人は南大東島出身の方である。大東寿司をワサビで出してもらっていたが、あまりに毎日来るので「大東島の寿司のむかーしの古―い食べ方は、カラシ使うのよー」とカラシで食べさせてもらったことがあるが、これも美味しかった。カラシで食べていて、なにか似た味を思い出した。プルーストの『失われた時を求めて』の「私」がマドレーヌを紅茶に浸して、その薫りで思い出すアレである。
寿司をカラシで食べるのかよ、と思った記憶が蘇った。
これは、島寿司!
島寿司とは八丈島など伊豆諸島で食べられる郷土料理のお寿司である。八丈島にはワサビは自生していないし、生育する風土も合わない。それがために寿司をワサビで食べるのが高価すぎて、練カラシで代用したのが始まりとされている。確かに明治の頃に一攫千金を求めて集まった大東島の開拓者には、八丈島出身の人が多かった。
大東寿司は、江戸の寿司が明治になって八丈島で島寿司として作られ、それが大東島まで伝わったという海を渡った寿司の文化なのである。
このベッコウのようなテリである。
さて、お味だが、正直に私の味音痴を披露しようと思う。正直なところサワラでもメカジキでもあんまりよくわからない。マグロになると流石にわかるが、それ以外では正直私にはわからない。世界の髙木慎一郎氏が隣にいたら「みっちゃん、これはどう考えてもメカジキでしょ」と、冷たい目で見られそうだが、幸いにも隣には誰もいない。いや、違う。私は悪くない。大東寿司にすると全てが大東寿司ワールドに取り込まれてしまって、魚が全て「イカ化」する現象が起こるのだ。イカの刺身にそっくりになる。甘みを弾力、とろみが、イカになる。私はこれを大東寿司におけるイカ化と名付けている。
しかしイカの寿司だけで10個(貫をつかうと数が統一しないので個で呼ぶ ※私の過去記事参照)頼むひとは、相当のイカマニアだけだろう。しかし大東寿司ならばこれがペロリと平らげてしまうことができるのが不思議でもあり、魅力である。いつの間にか、10個無くなっているのである。
しかし、大東寿司の奥深さはこれでは終わらない。
「大東寿司の天ぷら」である。
これが実に、実に絶品なのである。風味絶佳。
これを食さねば、死んでも死にきれない。
私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。