2024年、今年ほど「防災用品」について真面目に考えた年はなかった。まだまだ安心できるまでには準備が足らないのだが、こつこつと商品を取り寄せ、使ったり食べたりすることを続けている。実際に使用してみると星一つもつけられないものもある。また非常食や保存食に至っては、作り方にコツを要するものや「これを食べるくらいなら・・・」という商品もあるのだ。防災用品は買って持っているだけでは安心できない。
石川に移住してきて6年。1月1日に”未曾有”の「令和6年能登半島地震」が起きた。金沢市内の自宅は停電も断水もなく本棚の本が落ちただけで済んだのだが、知り合いの何人かは屋上貯水タンクからのパイプが外れたりしてしばらく水が出ないという事態に遭遇した。工事関係者が被災地に駆り出されたことも修復を遅らせた。
能登の現地では排水管が壊れ、トイレも使えなくなった。上水道がダメになるのも怖いが、給水車などの対抗手段がある。実は下水道がやられるのは恐ろしい。
地震のあった1月の末にOPENSAUCEは、金沢の食を支えてきた能登のためにEAT AIDというプロジェクトを立ち上げ、イベントを開始。また被災し避難している能登の店舗のためにレストランを貸出提供し、ポップアップ営業を行えるようにした。
さらに8月に入り、日向灘を震源とするマグニチュード7.1の地震が起こり、南海トラフ地震の想定震源域で大規模地震への注意を呼びかける臨時情報が発表された。呼びかけが1週間で終了したと思ったら今度は奥能登が予想をはるかに超える豪雨災害に見舞われた。「令和6年能登半島豪雨」これもまた”未曾有”のことであった。
非常時でも止められない食事と排泄
地震後、テレビで給水車を待つ地元の様子が連日流れていた。
国立研究開発法人医薬基盤・健康・栄養研究所と日本栄養士会は「水分と食事を十分に取ることを意識してほしい。通常は摂取する水の半分を食事からとっている。食事量が足りなかったり、水分含有量の少ない食品しか口にできないと、思った以上に摂取する水分が少なくなる。さらにトイレ環境が良くないのでできるだけ使わずにすむようにしようと水を飲むことを控えていると、さらに摂取量は減る」と伝えている。
そうは言われても、だ。被災地の避難先ではどうにもならない。
自宅には飲料水は4年前、能登で震度5の地震があった時に、不安になって「7年保存水」を購入してある。保存水は体に悪い成分が入っているという噂もでたが、単に「内部の水の蒸発」「外部の匂い移り」の防止のためにペットボトルが厚くできているだけで中身は変わらない。情報過多と言われるが調べることもしない人間が思い込み蘊蓄レベルで噂を流すのが常である。
今回の地震でさすがに用意しておかなければと購入したのは『簡易トイレ』である。子供のころ大地震があり、祖父母の家の前の高校が被災して学生たちが母屋の外にあったトイレに殺到して恐ろしい状況になったのを覚えている。能登半島地震でも役所のトイレが大変な状況になったらしい。
家の便器に組み合わせて使うものがトイレの棚に入れてある。さらに外でも単体で使えるダンボールの椅子型になるもの。これは外の物置に他の防災用品と一緒に入れてある。
おいしい非常食を望んではいけないのか?
同じく医薬基盤・健康・栄養研究所と日本栄養士会によると「冷たいものや水分の少ないものは高齢者にとって食べにくい。おにぎりや冷たいご飯は袋に入れてからお湯に入れて温めたり、汁に入れておじやのようにしたりすると食べやすくなる」という。
またまた、そうは言われても、だ。
高齢者でなくとも毎食冷たいのは嫌だろう。真冬の冷たいおにぎりは配給される側も配給する方も切ない。やはり「火」は必要だ。物置に卓上ガスコンロの準備をした。と同時に水を入れて加熱するヒートパックなるものも手に入れた。
非常時に、少しでも温かいもの、贅沢なものではなくても、おいしいと思えることは生きる(頑張る)モチベーションにもなるのではないかと思う。
現在も時折、レトルト、缶詰、パックごはん(包装米飯というらしい)と買って試している。そういえば缶詰系は、ずいぶん昔に沖縄の放出品店で買った野戦用の米軍のレーション(戦闘糧食)と呼ばれる栄養価が高いものを食べたことがあるが不味かった。さすがに缶詰は重いのとゴミ問題で80年代からは簡易包装になっている。
自衛隊の有事や災害派遣の際に食べる「戦闘糧食」のうち、3年保存の「非常用糧食」も同じ理由で最近「かんめし(缶詰めし)」から、レトルトパウチの栄養強化米ご飯と惣菜(牛肉じゃが、鶏だんご野菜あんかけ、牛角煮カレーなど21種)にリニューアルが決定されたらしい(遅くないか⁉︎)。
結局、お湯のない非常時を考えて、水があればなんとかなるアルファ米のものに行き着いた。
米のデンプンには2種類ある。一つは生の米で、水分が少ないので腐りにくいが食べても消化されにくい「βデンプン」だ。炊飯したご飯は体内で速やかに消化されるものの水分が高く腐りやすい。これが「α(アルファ)デンプン」の状態だ。
炊いたご飯をそのまま放置するとデンプンは生の米の構造(βデンプン)に戻ろうとするが、炊飯直後に熱風で急速に乾燥させることで、アルファ化の状態を保つ。これがアルファ化米(アルファ米)だ。さらに、乾燥することで水分が少なくなり腐りにくい状態になる。おいしさはそのままで、添加物もなく安全な「加工食品」なのだ。
ちなみに、カップ飯などのフリーズドライは、炊いたご飯をマイナス30〜40度で冷凍して、真空に近い釜で水分を飛ばしてつくる。そのためスポンジ化してしまうので、長持ちし水で戻しやすくはなるが、米の歯応えがなくなってしまう。
そこへいくとアルファ米は乾燥してシワシワになる感じなので、時間がかかるが戻すと、もちもち感が復活し食べ応えがある。
いくつかのアルファ米商品を試してみた。その中でも嵩張らずストックしやすく、67mlの少量のお湯以外はスプーンも不要で、15分で出来上がる、ゴミも袋だけという三角おにぎりになる商品が便利に感じた(出来上がりまでに時間がかかるが水でも作ることができる。先のヒートパックなるものを使えば温めも可能だ)。
1944年(昭和19年)から戦中戦後の日本の食糧危機をアルファ化米で助けてきた『尾西食品』がアルファ米において、防災食のパイオニアだ。安藤百福の即席ラーメンよりも古い。もう一つの『アルファー食品』もアルファ米を主とする、個人向け商品もあるが、学校給食や防災食に特化した会社だと言える。アルファ米の歴史は結構古いのだ。
明治から昭和初期の物理学者、随筆家、俳人、寺田寅彦の『天災と国防』は地震・津波・火災・噴火の論考とエッセイだ。「〜それだからこそ、二十世紀の文明という空虚な名をたのんで、安政の昔の経験を馬鹿にした東京は大正十二年の地震で焼き払われた」とある。安政の経験というのは、安政2年の江戸の激震で大火災のこと。その教訓と情報や記録が『安政見聞誌』『安政見聞録』に残されている。
記録や体験を国家が「軽視」してきたことへの警鐘なのだが、あいかわらず軽視は続いているように思う。国ばかりではない。直接的に被災をしていない自分のような者ほど、防災への意識が薄れるのは早い。風呂に水を溜めるのもとっくにやめてしまった。寺田寅彦先生に申し訳ない。日本には最古の災害文学と言われる鴨長明の『方丈記』もあるのにね。
ところで、賞味期限の管理やフードロスを予防しながら、災害時に備えることを「ローリングストック法」と言うが、備えるだけではなく、非常食を定期的に食べながら防災を「意識する」というのが良いと思う。月に一度でも家庭で非常食だけの夕食をとるのもいいかもしれない。子どもたちと避難の仕方を確認しながら「この商品なら防災リュックにマヨネーズを入れておきたいね」とか話しながら。そうなるためには非常食はおいしいに越したことはない。
「ローリングストック法」をベースにした食堂があってもいいかもしれない。
そうだ、「防災を、美味しく楽しく」というのはどうだろう?
海外でもおにぎりブームものようだ。外国の人たちにも、ご飯自体がもつ旨みを理解してもらえる時代がやってきた。そろそろ、われわれも世界を視野に入れた「おいしい非常食」として多様なアルファ化米の商品開発に着手すべきではないだろうか?・・・・
などと考えながら、生き抜けるよう、努力はしている、つもりだ。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。