2018.11.18

記憶から創作する料理

焚き火で食事をする百姓の一家

私がまだ幼かった頃、ほんの少しの間、仙台に住んでいた事があった。

仙台は母の出身地であり、母方の祖父母の家があった。
祖父は私が幼稚園の頃に大病を患い、幼稚園のお遊戯会の前日に他界した。

満州で育った祖母は底抜けに明るく限りなく優しい人だった。
そして料理がとても上手だった。

昔は家の軒先で天ぷら屋を営んでいたそうで、私が祖母の家に行くと、よく近所の人たちからは「天ぷら屋の孫」と言われた。

祖母の家は薪で湯を沸かすタイプの木桶の風で、子どもでも容赦なく鉈で薪を割らされたり、竹筒を使ってフーフーしながら炎の番をさせられ、少し大人になった気分を味わっていたものだった。

家の庭には小さな池と立派な無花果の木があった。
無花果の木に撓わに実がなる季節になると、祖母が作ってくれる一品があった。

それは無花果の実を甘露煮のように炊いたもので、決してご飯のおかずになるようなものではなく、そしてジャムでもなく、デザートといえばデザートなのだが、なんだがよく分からない料理ではあるものの、私にはとても思い出深く、記憶に残る料理だったのだ。

祖母は私が高校生の頃に急性白血病を患い他界してしまったので、その料理のレシピを知ることもなく、恐らく最後に食べたのが小学生の頃で、大人になってからもたまに思い出し、出張や旅行の際に地元のお店などで探したりするものの、同じようなものは見つからなかった。

しかし、誰でもインターネットが使える時代になり、ブログやレシピサイトなどが登場したおかげで、状況は少し変わった。

サーチエンジンで「無花果_甘露煮」と検索すると、幾つかの似たような料理が表示されたのだ。

ただ、私の記憶に残っているそれとは、どこか少し違っていた。
私の記憶が曖昧なのかもしれないが、どこか違うのだ。
そんな話を、友人の髙木シェフにしてみたところ

「おもしろいですね、作ってみますか」

という話になった。
なので、まずは私の記憶を引っ張り出すことにした。

• もちろん無花果である
• 甘露煮のような甘さ
• 色は割と濃い茶褐色
• 大きさは子どもでも一口で食べられるぐらい
• 少し酸味があった気がする
• 塩っけもあった

髙木シェフは「なるほど」と一呼吸を置き、

「まず、無花果は熟す前の小さなものかもしれません」

なるほど、と思った。

「それから、その色と時代背景を考えると、恐らく黒糖かザラメで炊いているのではないですか?」

さすがプロだ。

「そして酸味なのですが、当時レモン等を使うのは考え難いと思いますので、柑橘系だとすると柚子とか・・・」

食べてもいないのに次から次へとアイデアが湧いてくるのが恐ろしいものの、仰る通りだ。そうかもしれない。

「塩っけは醤油の可能性が高いですね」

私の口の中(正確には脳の中)には、当時の味が蘇えりつつあった。

「ここまでの感じで、こんど一度作ってみましょう。なにせそれを食べた事があるのが宮田さんだけなので、一度食べてみて、そこから発展させて近付けて行けば再現できるかもしれません」

こんなアプローチで私しか知らない曖昧な「思い出の味」が甦るのであれば、こんなに嬉しいことは無い。

さらに言えば、AIがより高度に進化して人間との曖昧な会話や記憶から味を再現するレシピを提案してくれるようになる未来はそう遠くないのだろう。そしてそれをアウトプットしてくれる調理器具もそのうち発明されるかもしれないし、研究中のフードプリンターがそうなるのかもしれない。
いつの日か、またあの無花果が食べられる日が来るのだろう。

そんな事を思い始めて一年後、OPENSAUCEの今(こん)シェフに、私が幼い頃に母がたまに作ってくれたカスタードクリームのワッフルの話をした。

それは現代の過剰に甘いものではなく、家庭で作る卵感を感じるシンプルなカスタードクリームだった。

何十年も食べていないので、味の思い出だけを頼りに彼に説明すると、「あー何となく分かります。こんど作ってみましょうか?」と言ってくれたので、「ヒマなときで良いですよ」と返事をして、しばらく忘れていた。

それから二週間ほど間が空き、ある日の午後のことだった。

今シェフから唐突に「シュークリーム食べますか?」と聞かれたので、「なんでシュークリーム?もちろん食べるけど」と言うと、シュー皮にサクサクと切れ目を入れて、そこに袋の中に入ったクリームを注入し始めた。
これはもしや?と思いながら頬張ると、口の中にはあの頃のカスタードクリームの味が蘇ってきた。シェフは仏像のような顔でニコニコしながら私を見ていた。

「これだよ、これ、確かにこんな味だった」

私は袋に残っているクリームを絞り出して一気飲みしたい衝動に駆られたのだが、カスタードクリームの奥に亡き母の「やめなさい」という顔も見え隠れしたし、いい大人なので、さすがにそれは我慢した。

味や音楽は、それをトリガーにして一瞬で記憶を引き戻す力があるように思う。
シェフが作ってくれたシュークリームを食べた瞬間に、幼い頃の思い出がどんどん蘇り、脳裏にはその頃の情景が走馬灯のように去来し、優しかった母が台所に立ち、泡立て器でボウルの中の材料をシャカシャカ混ぜている音や母の後ろ姿が見えた気がした。

幸せの記憶だ。

私も娘にそんな記憶を残してあげたいと思った。

『耕作』『料理』『食す』という素朴でありながら洗練された大切な文化は、クリエイティブで多様性があり、未来へ紡ぐリレーのようなものだ。 風土に根付いた食文化から創造的な美食まで、そこには様々なストーリーがある。北大路魯山人は著書の味覚馬鹿で「これほど深い、これほどに知らねばならない味覚の世界のあることを銘記せよ」と説いた。『食の知』は、誰もが自由に手にして行動することが出来るべきだと私達は信じている。OPENSAUCEは、命の中心にある「食」を探求し、次世代へ正しく伝承することで、より豊かな未来を創造して行きたい。