2022.02.23

チャールズ・スペンス
「おいしさの錯覚」【私の食のオススメ本】

おいしさの錯覚 表紙

  • 書名:「おいしさの錯覚」最新科学で分かった、美味の真実
  • 著者:チャールズ・スペンス 長谷川圭:訳
  • 発行所:KADOKAWA
  • 発行年:2018年初版 2021年再版発行

ガストロフィジクスとは「新しい食の科学」のことだ。の、ことだと言っても何かはチョチョイと説明できない。しかしいま、(後述するが)モダニスト・キュイジーヌのシェフたちはこのことに強い関心をもっているのは確かだ。それはシェフたちが科学調理に慣れているからこそ、次に導入しなければならない考え方として捉えているのだろう。

角川書店の料理の翻訳本を手にしたのは、『El Bulli/エル・ブジ 1998-2002 日本語版CD-ROM付』で、2002年の初版限定本を25,000円で予約して買ったのが最初だ。プリントナンバーが付いていた。10年ほど前にスペイン料理の若いオーナーに結婚祝いであげてしまった。今なら最初からファーストプリントはNFTで売られるかもしれない。中古本で3倍くらいの値がついていた。

その時はレシピが完全公開されたことがショックだった。そしてなにより、料理が膨大な調理データから生まれた科学であるということを思い知らされた。さらに料理科学と美術、アートが一体になったプレゼンテーション写真に刺激をうけまくった。とは言っても料理人ではないのでただただ驚いただけである。

2018年、角川書店は料理界に転身した元マイクロソフトのNo.2、最高技術責任者ネイサン・ミアボルドの本を取り上げた。それが前述のモダニスト・キュイジーヌの提唱本『モダニスト・キュイジーヌ アットホーム 現代料理のすべて』(KADOKAWA・1万6200円)。すでにRIFFでもこの本は紹介されている。先端の器具を駆使し、味覚を創造する料理人の動きを「調理法革命」として技術の実証に取り組み、家庭向けにまとめたものだ。

日本語版監修をした辻静雄料理教育研究所・八木尚子副所長は「詳細なデータと共に、食への愛情が伝わってくる。手間をかけた料理書の力を再認識させられた」と朝日新聞の取材に答えている。

今度は時代が進んでアプリになった。最初、ネイサン・ミアボルドがUIに不安を持って反対したらしいが、アプリ製作会社InklingのCEOマット・マキニスが「アプリのディテールについて本と同様の注意を払う」と約束。ミアボルドを説得したらしい。実際、写真も機能も美しいサイトだ。

さて、この流れを念頭においてもらって、いよいよ本題の本書『おいしさの錯覚』である。副題には「最新科学で分かった、美味の真実」とある。英語タイトルは『GASTROPHYSICS: THE NEW SCIENCE OF EATING』なのでそれほど煽ったものではない。日本語タイトルは内容とは合致しているしセールスには良いのだろうが、まるで美味しくない料理も錯覚で美味しく感じてるんだぜ的に強調された感が強いタイトルで個人的にはいい感じはしていない。

著者、チャールズ・スペンスはオクスフォード大学の心理学者、知覚研究者である。トヨタなどの多国籍企業の知覚的面から見たブランディングやデザインのコンサルも行っている。料理の研究に関して言えば「しけったポテトチップスは、ヘッドフォンさえあれば、パリッとおいしくなる」と発表してイグ・ノーベル賞を受賞している。

イグ・ノーベル賞は「人々を笑わせ考えさせた研究」に与えられる賞であるが、もう一つの側面として「脚光の当たらない分野の地道な研究に、注目を集めさせ、科学の面白さを再認識させてくれる」ということがあるので、そちら側からの選考だったと思いたい。

モダニスト・キュイジーヌのシェフたちの興味の理由は目次を読むだけで理解してもらえると思う。先に紹介した翻訳本とは違い、一般的な書籍の値段なので入手しやすいし料理関係者でなくても面白く読めるはずだ。本文の最後に目次を羅列しておくので興味ある項目がひとつでもあったら読むことをお勧めする。

この研究に関わった三つ星レストラン『ザ・ファット・ダック』シェフのヘストン・ブルメンタールは「食事は、口の中だけで行われるのではない。私たちが食べ物から得られる喜びは、想像できるよりもはるかに大きく、私たちの主観に左右される」と言う。

ヘストンは自身のキッチンで試したことを著者が自分のラボで改めて実験したことを知っている。チャールズ・スペンスのその好奇心と狭い視野にとらわれない科学的な厳密さが失われていないことを知っている。他の学者とは違うと断言する。

著者チャールズ・スペンスは「食の喜びは、心で感じる、口ではない。この考えを突き詰めると、なぜ料理が −たとえそれがどれだけ完璧なものであっても− かならずしも心に残らないのか説明がつく。何が食事を楽しく、刺激的で、そして記憶に残るものにするかを知るには、<そのほかの要素>の役割を理解しなければならない」と本書冒頭で語っている。

この本を読んでも、つまらない誤魔化しのために使わないでほしい、と願う。

目次から一部抜粋:皿から口へ−ナイフとフォークが一番便利?/それは味?それともフレーバー?/期待に応える/味以上の味がある/バニラの香りは甘い?/嗅覚ディナーパーティー/色を味わう/形を味わう/フードポルノの歴史と今後/すべてはポテトチップから始まった/自宅の食べ物はどんな音?/音響強化フードとドリンク/重さは何かの役にたつ?/手で食べる/毛皮のカトラリー?/雰囲気の未来/どうして一人で食事をする人が多いのか/ソロ・ダイニング/過去の機内食/空気圧/食の記憶のハッキング/自己優先化効果とは?/芝居がかった食事/食べ物を使ったパフォーマンスアート/食体験の未来/3Dフードプリント/拡張現実ダイニング/電気味覚/未来派料理−分子ガストロのミーは1930年代に発明されていた/共感覚体験のデザイン/より健康で、より持続可能な食の未来のために

WRITER Joji Itaya

出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。