- 書名:食べごしらえ おままごと
- 著者: 石牟礼道子
- 発行所:中央文庫
- 発行年:2012年(初出1994年ドメス出版)
(2016年の筆者メモより)熊本は天草と水俣の言葉の持つ力も大きく影響しているのだと思う。
人に薦める本があるとすればこの本だと思う。
一番の理由は日本語の文章の品であり、筆者の土着であることでのそこに生きる人間の品格が静かに沁みてくるところにある。これは筆者が詩人であり短歌研究者であることも大きい。
ぶえんずし、から薯、おしぼうちょ、かぶら汁、さなぶりの時の煮染・・・
池澤夏樹の解説の一節が伝えてくれる。
「食べるものについての随筆、と言っても何の説明にもなるまい。そんな本は世の中にたくさんある。しかしこの『食べごしらえ おままごと』と比べたらたいていの類書は薄っぺらに見えるだろう。話の広さと奥行がぜんぜん違う。なぜなら、この本の食べ物の話の背後には暮らしがあり、故郷があり、畑だけでなく海と山まで控えているから・・」
そして筆者のあとがきの一節。
−風味ということ−「ときどき東京に出ることがあって、その度に衝撃を受けるのは、野菜のおいしくなさである。(中略)ほとんど絶望しながら出来合いの弁当を買う。ねっとりもせず、ホクホクもせぬ里芋。色と形はあるが、うま味も香りもまるでない人参。大地の滋味などどこかへ行ってしまった大根や蕪。ただ水っぽいか、甘辛いだけの煮物をおそるおそる口に運びながら、うそ寒いような、ただごとではないような思いに浸される。(後略)」
これを嫌味な言葉として捉えると見失うものが大きい。これは自分の住む国への著者の憂いである。
石牟礼道子は『苦海浄土 わが水俣病』が代表作と言われるが、紹介するなら本書を忘れて欲しくないと思う。そして歌人であることも。
石牟礼道子は2018年に90才で亡くなったので、池澤夏樹個人編集の日本文学全集の現存作家はいなくなってしまった。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。