- 書名:マージナル・フーディー・ツアー MARGINAL FOODIE TOUR
- 著者:サラーム海上(うながみ)
- 発行所:阿佐ヶ谷書院
- 発行年:2023年
2023年の暮れになって、自分にとって<うらやましい本>が出た。
歳をとってたまに頂くコース料理がかなりキツくなってきた。現代のコースはポーションの量が少なめだと思うが、最後の方には胃袋との戦いになる。だから海外での食事は最大の楽しみなのだけれど、一人旅でそれを目的とすると苦行の旅となることが多い。こればかりは大人数で行ってシェアするに限る。
というわけで、食ってばかりの旅には自信がないが、本書はまさしく羨望の<食旅本>である。
羨望の一つはグルメ旅の定番であるフランス、イタリア、香港、台湾、日本はしっかり外して、ポルトガル、トルコ、ノルウエーのミシュラン店やインドネシア、フィンランド、コートジボアールの地元民のみ知る人気店が登場することだ。
もう一つの羨望というのは、著者がワールドミュージックの音楽評論家で、音楽取材の合間に、現地で料理を習ったり、人気レストランを訪ねたり、友人宅で食事に招かれたりしているということだ。
世界各国の美味いものを食べながら、好きな音楽とその国の食文化に触れ、帰国しては本にまとめるという生活。著作11冊のうち、6冊は料理の本なのである。羨ましくないはずがない。
この本が楽しいのは、著者が現地の人に聞いた土地や歴史、食べ物の話をそのまま書いているところだ。撮影効果を狙わないスナップ写真のリアルさも相まって、読んでいると一緒に同じテーブルで聞いているように錯覚する。
エーゲ海ではディルと乾燥黒スグリと松の実、玉ねぎのかやくご飯をズッキーニの花に詰めた冷たい前菜。フィンランドではトナカイのタルタル!ノルウエー・オスロのNomaの遺伝子を継ぐ、フードマイレージの少ない食材やオーガニック食材に、現代のヘルシー志向にあったグローバルな食材と調理法を合わせた料理である「新北欧料理」。
ポルトガルでは蛸雑炊、カメノテに北部の白ワイン、ヴィーニョ・ベルデを合わせた。トルコでは16世紀の「1に最良の食材。2にフルーツ。3はナッツ。4はスパイス」のオスマン宮廷料理を堪能する。
コートジボワールでは淡白で意外と飽きないティラピア三昧。インドネシアではバリ島ウブドでの皮がパリパリでジューシーな豚の丸焼きバビ・グリン。
トルコの旅はザ・ハーブズメンという、ハーブを使える男たちの料理ユニットでの現地集合7日間にわたる食い倒れ旅。メンバーは著者とカレー研究家/水野仁輔、スパイスハンター/シャンカール・ノグチ、キレド農園/栗田貴士、ベトナム料理An Di/内藤千博、そしてなぜかSoil & Pimp Sessionsのリーダーの社長。
イスタンブール旧市街のエジプシャンバザールを訪ねてスパイスを探す。単体のスパイスやハーブよりも目立つのがミックススパイス。ケバブ用、ドルマ用、サラダ用、チキン用、ポテト用、魚用、キョフテ用、スープ用、シャワルマ用。「マギーとカルダモン」というのもある。マギーブイヨンのマギーだ。時代のニーズが見えてくる。
そういえばニューヨークのチェルシーマーケットにできていた量り売りのスパイスショップで、同じようにミックススパイスの多さに驚いて何種類も購入したことがある。
そしてドネル・ケバブの王者の店。80kgの肉を薄切りにしてマリネして、串に刺して積み重ねるのだが、スパイスを使わない。なんと塩と牛乳とヨーグルト、そして白胡椒のみ。肉は牛肉、ラムの油をかぶせる。スパイスは食べるときに、プルビベール(赤唐辛子)やケキッキ(タイム)やハーブをかける。
ケバブ=スパイシーに味付けされた肉ばかりだと思っていたから目から鱗である。
うれしいことに、本書にはちょっと挑戦したくなる訪ねた地域に合わせてレシピの紹介がある。トルコ編ではバターナッツかぼちゃのオーブン焼き、ヨーグルトソース<カバック・シンコンタ>。フィンランド、ノルウエー編ではポテトパンケーキ<プラツキ・ジェムニアチャネ>。コートジボワール編ではローストトマトとヨーグルトソース。ポルトガル編では蛸雑炊<アローシュ・デ・ポルボ>などである。
この<マージナル=周辺の、フーディー=食い倒れ、ツアー=旅行>は羨ましいだけではなく、われわれ日本人がまだまだ知らない世界の日常の食というものがあることを教えてくれる。それぞれの土地で、歴史を受け継いだり進化したりしながらそこに根差した食の世界が。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。