- 書名:飯を喰らひて華と告ぐ
- 著者:足立和平
- 発行所:白泉社
- 発行年:2022年
料理漫画には料理について何の役にも立たないものがある。この漫画がそれだ。しかし、この漫画は「人のために料理をつくる」という食の原点みたいなことを教えてくれる(極々個人的な見解だが)。
ただし、主人公である料理人の大いなる誤解による「お客様のために」である。(いやその前にこの漫画を料理漫画と呼んでいいのか?)
毎回読み切りのこの漫画は、町中華のようではあるが、チャーハン、ラーメンから里芋とイカの煮物、豚キムチ、アジの姿造りまで何でもある店での、店主と客の1対1のシチュエーション・コメディーである。
そう、その超絶細密な画風からヒューマンな劇画のように見えるけれど、まったくのコメディーだ。それも「しょーもない」トホホな。
主人公は占い師の如く、入って来た客その職業と悩みを推定し、その心に寄り添い希望を与えるべく「絶妙に旨い料理」を提供する。しかしその推測はことごとくハズレている。
ある日、ちょっとしたミスや遅れも「東大卒のくせに」と怒られる、プライドの高さを内心に持つサラリーマンの青年が立ち寄る。料理人は「営業マンは笑顔命だろう?」と大きなコマ割で描かれる一球入魂のチャーハンをつくって出す。
そして、そのあまりの旨さに多幸感を覚えた青年に「いい笑顔をするじゃねえか」「その笑顔に君自身も救われる日が来る」と言う。
『美(うま)きものにて事を成す』
しかし青年は営業ではなく「経理部」。ハズレていることにまったく気づことがない主人公は「中国故事物語」に出てくるような格言を客に与えて送り出す。ここまで来るとハラスメントである。
その勘違い方は、黙って見守る『深夜食堂』の小林薫ではなく、空気を読めない時の『寅さん』なのである。この青年を含め、客たち(それぞれのテーマの)は勘違いされていることに気づきつつも料理の旨さも相まって「まあ、いいか」と心を解かされるのである。
そして終わりにご丁寧に格言『美(うま)きものにて事を成す』の解説もある。
- 美味しいご飯をたべることで本来の力を発揮すべきであるということ。
- また、美しいほどに洗練された職人の仕事は、時に人を突き動かす原動力となること。
- 空腹の状態だと人は満足に結果を出すことはできないことから、労働にまつわる、あらゆる心得の語源とされる。
- 注意)「美き」を「美味き」と書き誤らない。
- 類語)腹が減ってはいくさができぬ
読者は最後に、このそれらしき格言とセンスの良い???な解説で爆笑か、苦笑いをするのだろう。
だいたいがタイトルの『飯を喰らひて華と告ぐ』からして???。
万引きGメンにされた主婦。余命いくばくとと思われた老人。電話の様子から失恋した大家族の長女だと決めつけられたギャル。腹を壊してトイレのために入店したのに空腹と間違われた青年。寿司職人にされた29歳の地下アイドル。
しかし、重ねて言うが「人のために料理をつくる」ということを考えさせるのである、この漫画は。それが、しょーもない勘違いなお節介でも、そして、その料理人がそのことで一人、悦に入っていてもだ。
どんな飲食店でも日々「人のために料理をつくる」というところに立ち戻れない(考えていない)ならやめるべきだと思うのである。
面白いのは原作者が料理にあまり興味がないということである。そのためか難しい料理がない。誰もがわかる料理ばかりだ。その誰もが想像がつく料理を、足立和平は『ソラニン』『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』の浅野いにお氏のアシスタントで身につけた画力で完成させていく。その絵を追うことで読者は、自分の知っているチャーハンよりも絶対にこっちが旨いに違いないと思ってしまうのだ。
そのテクニックには脱帽である。こういうレシピブックもあったら面白い。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。