夜中に天丼が食べたくなって、ある店を思い出した。大阪の千日前の店だ。
1985年10月16日に阪神タイガースは初の日本一になった。この頃、週一くらいで大阪に行っていた。
道頓堀の戎橋(通称ナンパ橋、『難波金融伝・ミナミの帝王』でよく出るところ)の交番前のビルについていたブラウン管式マルチビジョンを、松下通信工業が開発中だったアストロビジョンという大型のものに替えて街頭ビジョンの事業を始めていた。渋谷にもなかったし、新宿アルタの上はまだ白黒だった(いまやNYのタイムズスクエアにもついている。あの頃の貢献度を松下は評価して欲しいものだ)。
その画面で外に向けて野球を放映していたら、戎橋にとんでもない人が集まってきた。警官がやってきて放映を中止しろと高圧的にいう。ムッとしたが画面を消した瞬間に集まっていた市民がつけろ!コールを始めた。それはそうだ優勝の寸前だったのだ。慌てた警官が「すぐつけてくれ」と言ってきた。知らないねと言いたかったが戎橋は崩落するのではないかというくらい揺れていたので少しビビってスタッフに画面をつけてもらった。
阪神の優勝決定と共にケンタッキーのカーネルおじさんは胴上げされ道頓堀川に投げ入れられ、大阪のお兄ちゃんたちが飛び込んだ、あの日である。(何台もの盗難自転車とともにカーネルおじさんが川底から発見されたのは24年後だった)
翌日、なぜか天丼を食べなさいというお告げのようなものを頭の中で聞きながらホテルで遅めに目を覚ました。阪神優勝で沸きかえる道頓堀から昼なのに夢遊病者のように千日前まで歩き、何度か行った「坂町の天丼」に辿り着いたのである。いつものように10人ほどの列ができていた。
昭和27年創業のその店は6席しかない。今は2代目そっくりの3代目が継いでいるようだが、2代目は山藤章二が描いた古今亭志ん生のようだった。いつでも片耳には耳と同化したイヤホンがあり、ネジネジしたコードがつながった胸ポケットのラジオを聞いている。注文をしても返事をするのは手伝いの人だ。2代目は黙って天ぷらを揚げるだけだ。
2代目のその口には生えているかのようにいつでも火がついた紙巻き煙草が。そして、煙草の先から常に2.5センチほどの灰がきれいに残ったままだ。葉巻のように煙草を吸うおじいちゃん。客の視線は注文を終えた後から2代目の口元に注がれる。自分の天ぷらに灰が落ちないかというスリリングなショーを味わうことができるのだ。
あっ落ちる、という寸前に灰を床に落としまた咥え、天ぷらを引き上げ油を切る。何事もなかったように丼のご飯の上に天ぷらをのせる。あっさりしているのに出汁が効いたタレをかける。天ぷら鍋の上でも灰を落とさずにいられるのは鍛錬の賜物、熟練の技である。
もしかしたら、あれは天ぷらを揚げるためのタイマーだったのではないだろうか。丼が無事手元に届いた時の安堵感というのは格別である。あの煙草のショーがあっての天丼なのだろう。
飲むように食べ終わって、いつものように丸福珈琲店まで歩いて行き煙草を吸った。大阪は好きではあるがいつまでも馴染みきれない異邦人だった。
「坂町の天丼」のメニューは天然物海老2尾と海苔だけの天丼。そしてかき揚げ丼。これは油の中で独特な手捌きでカリッサクの大きな布団を敷いたかのようなかき揚げに海老が1本寝ている。どちらも同じ値段なのでかき揚げの中身は玉ねぎだったような気がするが思い出せない。あとはオプションの赤だしだけ。私が通っていた時の値段は400円くらいだったように思うが、調べてみたら今は650円らしい。
煙草のショーは今やってたらSNSで叩かれるんだろうし、これからそういう店に行きたいとは思わないが、やっぱり時代と時代を生きてきたキャラクターが客を認めさせていたんだろう。喫茶店は喫煙所だったし寿司屋でも喫煙が当然だった。まだ昭和だったからね。人間のヒステリックさも質が違っていた。また客にも寛容さがあったのかもしれない。安いから仕方ないというのとは違っていた。安くて不味いは絶対に許されない土地である。
古い話なので誇張され、幾つもの記憶が重なっているかもしれない。もしかしたら夢の記憶かもしれない。映像的イメージはこうなのだが、もう少し対応も愛想もよかったかもしれない。たぶん、こんな世界があったことへの郷愁が捨てられないのだろう。
街場にはその時にしか生まれない空気というものがある。それが今後も必要かどうかは別にして。
出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。