2018.10.29

『包丁人味平』再考

包丁人味平

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『包丁人味平』とは

今でこそ料理漫画は、マンガの世界で一ジャンルを築いているが、その先駆となったのは『包丁人味平』というマンガであった。

これは1973年(昭和43)28号から4年間、ジャンプで連載された料理漫画である。原作は牛次郎、漫画はビッグ錠。ちなみに同年25号から『はだしのゲン』が連載開始。このマンガもジャンプ連載だったというのは、意外である。

『味平』のコペルニクス的転回

ジャンプ漫画の方針として、「友情」と「努力」と「勝利」というキーワードがある。『ワンピース』などはまさにその王道といえよう。しかし、今でこそ当たり前の料理漫画だが、当時にしてみれば「そんなの漫画になるのか」という話であった。

よしながふみの『きのう何食べた?』『花のズボラ飯』(原作・久住昌之、作画・水沢悦子)のように、淡々と日常が描かれ、その中での料理は誰でもが作れるという「日常系食マンガ」は、この『包丁人味平』のフロンティア開拓の後にしか生息しえないジャンルであった。『きのう何食べた?』の料理で普段の料理レパートリーを増やしている私としては味平をリスペクトしないわけにはいかないのである。

さて、ジャンプのキーワードは「友情」「努力」「勝利」なのである。それに連載していた『包丁人味平』も例外なくこのルールに従うことになる。料理に、強い弱いなどあるのだろうか??弱い料理とはなんだろう?そもそも勝利など存在するのであろうか??

かつて勝負とは無縁であった料理界に勝負という概念を持ち込んだ先駆がこのマンガであった。Netflixでも人気のアメリカの「The Final Table」も料理の異種格闘技戦だが、これは日本の「料理の鉄人」の焼き直しであるといわれる。しかし、「料理の鉄人」も『包丁人味平』がなかったら存在しえなかった「料理バトル」という一ジャンルの系譜に連なっており、「The Final Table」も『味平』の子孫なのである。

『味平』と驚くべき70年代

『包丁人味平』が連載されていたのは、今から約50年前の昭和43年からである。今でも『包丁人味平』は愛蔵版などで手に入るが、当時の日本がそこには生き生きと描かれている。

昭和43年というと、それはオイルショックの年にあたる。「高度経済成長」の最後の年であり、日本が赤字になったとはいえ、まだまだ日本はやれると人々が信じているようなイケイケの雰囲気がかなり濃密だった時代に、この漫画は連載されていた。当然、現代日本とは全く違う世界観なのである。

ネタバレというほどのこともないが、『包丁人味平』の話はこんな始まりである。

日本屈指の腕をもつ和食の料理人である塩見松造の息子・味平は、中学卒業と同時に料理の道、しかも父の高級和食とは真逆の大衆洋食の道に足を踏み入れようとする。するとこの時、父の松造は猛反対する。

松造には夢があるのだ。それは、「味平を大学に行かせて卒業させ、役所か会社に勤めさせること」なのである。そんなものが夢なのか、、、と現代人には俄かに信じがたいが、中卒で働きにでた人々が多かった1940年代生まれの松造世代には「学歴さえあれば」という思いが非常に根強かった。学歴さえあれば、自分がしてきた苦労を味わわないで済む、と信じていたのである。

この漫画の随所随所に「大学」や「大卒」という言葉が出てくる。味平はブルドックという大衆洋食屋に修業に入るのだが、そこの川原さんというのは大卒というキャラ設定である。料理の世界に大卒がいるというのが異色の存在として先輩に嫌味を言われたりするし、大卒のわかりやすい記号として川原さんはメガネを着用している。後に「カレー戦争」編で登場してくる大吉も、いろんな解説をいれるので「お前、大卒じゃねえか」と、言われたりする。当時の大卒、学士とはインテリであり、選ばれし者の称号であった。

かつて日本にはそういう時代があった。そして大卒者のユニフォームであるスーツを着た人々は豊かさの象徴なのであった。
 またこの漫画の「点心礼勝負」編では、弁天の熊五郎という子供が出てくるが、彼は上野の弁天堂で寝起きする孤児なのである。孤児なんてこの時代いたのだろうか。昭和43年前後には「コインロッカーベイビー」が社会問題とされていた時代である。その名の通り、コインロッカーに子供を遺棄するのだ。私の小学生時代、1980年代中頃でもコインロッカーの遺棄事件があったことを記憶している。

この当時の日本は、豊かさにのみ目がいき、弱者に対する社会的支持基盤が疎かな時代でもあったのだ。
 また面白い傾向をこの漫画の世相から読み解くことができる。味平のカレー戦争編に出てくる梨花は一流百貨店の重役の娘なのだが、親の愛とか複雑な家庭環境的なものでグレて「ブラック・シャーク」という暴走族団のトップをやっている。この暴走族団のメンバーはどうも、みんな金持ちの子供なのである。貧しさからのグレ、ではなく、富裕層からのグレ、というニュータイプの不良の出現の時代であった。

子供は大学を出して役人や会社員にさせたいという松造のような旧世代がいる一方、その期待をかけられる新世代にとっては、社会に当然のように蔓延していた大学を出て就職するというありきたりな生き方に対する疑問と諦念と葛藤がみえるのである。そこに竿をさして自らの意志でやりたいように夢を貫いて生きる味平であるからこそ、この時代の長期連載の主人公たりえたのだろう。

そしてこの当時、昭和40年代の日本には確かに人々の「身分差」が横たわっていた。無論、それは『包丁人味平』にも様々なカタチで描写されている。労働者はガサツで無知な存在として表現され、それは味がわからない人々、という記号として用いられた。労働者にはとりあえず味をショッパクすればいい、のであると作中でも他のコックが言っている。

しょっぱい味が好みなのは野蛮人、というレッテルを貼られるのは当時に始まったことではない。実は信長も同じ扱いを受けていた。信長と食にまつわる、こんな話がある。

三好という大名を倒した信長は、三好家に仕えていた坪内という料理人に料理を作らせた。坪内の料理を食べた信長は
「水くさくて、くはれざるよ(こんな水っぽい味のもの食えるか)」
と、大激怒し、坪内を殺せと命じる。しかし坪内にリベンジの機会が与えられ、次の料理に信長はいたく満足した。しかし坪内は
「最初に出したのは代々将軍家に仕えていた三好家好みの上品な料理。信長がうまいといったのは田舎料理」
と、語ったという話が『常山紀談』に出てくる。この書物が信長の時代より遥かあとの江戸時代中期の逸話集だからどこまで本当であるかはアヤシイが、料理と味覚をつかって信長は貶められているのである。信長は戦場という現場で働く究極の肉体労働者だったから塩っぱい味を好むのは仕方がない、という擁護論もあるが、話の本質はそこにはない。

「味のわからないヤツ」「大衆料理を好むヤツ」「しょっぱい味を好むヤツ」は、それらはみな同義で、全て野卑な存在なのである。
 しかし味平は、労働者にはしょっぱい味を出しとけば喜ぶ、という方向にはいかない。むしろ人間が美味しいと感じることに違いはないはずだ、と味平は真剣に考えているのである。これは当時においてかなり先進的な考えであった。

一応敵キャラであるマイク赤木でさえも「本当の料理ってのは だれがくっても うまいと感じるものでないといけないと思うがね」と、言うのである。当時『包丁人味平』が人気に厳しいジャンプで4年も連載が続いた理由のひとつは、当然のように社会に存在していた身分格差を味で架橋し、平等にしようとする情熱がこの作品にあったからかもしれない。

破綻しているがゆえに今なお面白い『味平』という漫画

ちなみに、このマンガは料理の参考になるかというと微塵もならない。新ジャンルとしての料理バトル漫画の先駆けどころか完全手探り状態のまま色々な話が進んでいく。全く関係のない曲芸的な勝負。なぜか氷で白鳥を彫る勝負をしたり、肉の切り分けスピード競争が勝負だったり、人のための料理というよりは対決のための料理が展開されていく。

おそらく主人公の味平、ちゃんと作れる料理はエビピラフとカレーだけである。他の料理は基本的にトンチと見よう見まねの勘だけで勝負している。なぜそんなことが許されるのか。「味平は天才」だからである。そう、天才だから作ったこともないラーメンをスープから麺打ちまで全部できてしまうのである。なぜなら天才だからだ。天才、スゴイ。

この時代の世相を如実に反映しているともいえるのだが、ストーリーの破綻というよりそもそもの衛生観念が破綻している。味平は汁物勝負をするのだが、味付けをしたことがない味平は塩味が相手より若干足りなかった。しかし、味平が汁物勝負に勝利するのである。理由は、味平の汗がポタポタと汁物に入って、いい感じの塩加減と複雑な味わいになったから、というもの。現代でこの描写をして無傷で済むとは到底思えない。即、twitterで炎上騒ぎだろう。

さらには「点心礼勝負」編では、味平は一応悪くないハズなのだが、味平が作った豆腐ハンバーグを食べて孤児の少年が食中毒を起こして病院に担ぎ込まれている。なんという衛生観念だろう。しかし、この孤児も誰も味平のことを責めたりはしないのである。カレー戦争編では、味平たちは厨房がないために木賃宿のような貧民街の屋外で調理していた。1970年代、それは「食中毒はまあ、あるよね」という時代なのだった。

結局、和食が最強

この『包丁人味平』を再び読み返してみて、気づいたことがある。多少ネタバレになるのだが、「和食最強」なのである。味平は新宿にあるキッチンブルドッグという洋食屋に修業に入るのだが、いろいろあってチーフコックにやってきたのが味平の公式戦初対戦相手となる仲代であった。この仲代、父親の松造の同門で弟弟子なのである。仲代は和食の料理人だったはずなのに、洋食も器用にこなしてしまうのである。そして次の無法板の練二こと鹿沼練二は牛一頭の肉捌きの速さで豪華客船の西洋料理のコックに勝利している。和食、最強。

またカレー戦争編では敵の鼻田香作が70年代にしてスパイスからカレー粉をつくるという本格インドカレーを作っているの対し、味平がとったカレーの戦略は和風カレーであった。インドカレーとの対決に対し、醤油を入れるという暴挙ともいえる戦略に出るのである。これにはカレー将軍、スパイスの魔術師とよばれた鼻田も一目置いてしまっている。事実、カレーの隠し味に醤油を入れると美味しくなるのは私も実証済みである。『包丁人味平』を読んで実際に使えそうな知識は、これと玉ねぎの剥き方ぐらいである。

それでも『包丁人味平』は面白い

味平の「荒磯料理編」という海編があるのだが、意味がわからなくて非常に楽しい。ここで味平の衝撃の欠点が判明する。料理人なのに魚が苦手で、魚を見るだけでアレルギーが出る。この魚料理勝負のほとんどの時間をアレルギーというか魚の食わず嫌い克服と小舟の操船練習に費やしたりして、全く料理らしい料理はしていない。かろうじて次のカレー戦争編でいろいろ料理をし始めている有様だ。

無理やりかもしれない。いや、無理やりである。しかし無理やりに『包丁人味平』のマトモなところを見つけて、積極的にそれっぽい評価しようとすれば、『包丁人味平』から学ぶべきものは、味平思考すなわち常にゼロベースであることだ。無論、料理人だが料理人としては駆け出しすぎて調理できる料理レパートリーがなさすぎて、ゼロからモノを考えるしかないからなのだが、味平は全く常識にとらわれない。

たとえば、どちらが制限時間内に魚を「焼けるか」という勝負をしているのに、味平は魚を一気に煮始めるのである。そう、魚を一気に煮て、あとで焼け目っぽいものを火箸でつけていくという戦略に出るのである。「焼いてない」と敵キャラから当然のクレームを受けると、ウナギは蒸し料理なのにウナギを焼くというじゃないか、と屁理屈をこねてアリにしてしまう。

日本人はルールを守るばかりで、ルールを作る側に回らないから国際競争に大きく遅れをとっているのだといわれて久しいが、この疾病が治ったという話は寡聞にして聞かない。また日本人には革新性がない、とも言われる。結局これらはみな、PDCAを回すなどという愚を発するばかりで、ゼロベースで思考するということが自らの発想にないからだろう。そして、とりあえずチャレンジしてみて考える、という経験がないからだ。

味平に至っては、未経験者の見習いの下っ端コックであるのに、実力というよりほぼ運に近いカタチでも勝負に勝ってしまった成功体験が、やってみればなんとかなる、というメンタリティを形成している。ラーメンを作ったことがないのに、急にしゃしゃり出て大会に出場する味平。しかもプロのラーメン職人よりも自分の作ったものの方が美味しいとほぼ無根拠に確信しているのである。この世に無根拠ほど強いものはない。

作ったことがないものを、経験の援用と想像力で創り、それを世に出す力。そうしたものの水平にこそ新しいものが生まれるものであるし、料理とはそうした不断の革新の中から生まれてきたのである。きっと。オソラク。

私は、だいたい数日に一食しか食べない。一ヶ月に一食のときもある。宗教上の理由でも、ストイックなポリシーでもなく、ただなんとなく食べたい時に食べるとこのサイクルになってしまう。だから私は食に対して真剣である。久々の一食を「適当」に食べてなるものか。久々の食事が卵かけ御飯だとしよう。先に白身と醤油とを御飯にしっかりまぜて、御飯をふかふかにしてから器によそって、上に黄身を落とす。このときに醤油がちょっと強いかなというぐらいの加減がちょうどいい。醤油の味わい、黄身のコク、御飯の甘さ。複雑にして鮮烈な味わいの粒子群は、腹を空かせた者の頭上に降りそそがれる神からの贈物である。自然と口から出るのは、「ありがたい」の一言。