2023.03.29

東京カフェを旅する
【私の食のオススメ本】

  • 書名:東京カフェを旅する 街と時間をめぐる57の散歩
  • 著者:川口葉子
  • 発行所:平凡社
  • 発行年:2010年

カフェはざっくりいうと、喫茶店という昭和の席貸しというイメージから、目的地化された日本的カフェへ移行し、自家焙煎・スペシャリティコーヒーといった自分の好みの味を求めるコーヒー特化型の方向も拡大しているように思う。

とはいえ、レトロ志向の喫茶店も人気を集めている。いったい喫茶店とかカフェとかってなんなのだろう、ということで歴史を遡ったり、あの時代、あの店はどうして人気店になったのだろうかと、本書を読み直してみることにした。

著者は人気だったブログ「東京カフェマニア現在はinstagram)」の川口葉子。茨城県日立市出身で南インド育ちだがカレーマニアにはならず、カフェと喫茶店を綴る文筆家になった。また、<喫茶写真撮影家>とも名乗る。2010年当時で1000軒以上のカフェを回っていたカフェのプロ?である。「古民家カフェ日和」シリーズ著書には「金沢版(2022年)」もある。

本編に入る前、巻頭で東京、表参道の裏側にあった『LAS CHICAS ラス・チカス』が数ページにわたって取り上げられている。これは象徴的な編集だと思った。何せ「東京」のカフェの旅の始まりなのだ。

1988年古い洋館の一室で小さなcafeとしてスタート。1994年に大きな洋館全体を改装して広いテラスを持つ『LAS CHICAS』が本格的にスタートした。各部屋には小さなショップ、洋書店、有線ラジオスタジオ、過激なスタイルのヘアサロンもあった。同時期に流行し始めたオープンカフェの先駆けとなり、当時はまだ珍しいオーガニックレストランも開店した。

始終アートイベントなども行われていて、スタッフも多国籍で日本語が通じなかったり頭が緑だったり。古いパリのカフェにいるようでもあり、当時のロンドンストリートの匂いもあり、カフェの過去と未来とが、詰まっているというより有機物のように2007年まで蠢きながら増殖していた。この時代の体験はある年代までのクリエーションに大きく影響を与えている。

直感的に響くものはやってみるという意思が作り出す、マーケティングからは導き出せない「新しい何か」が常にあった。

老朽化のために建て替えられ、2008年から2018年まで続いたがそのころは旧『LAS CHICAS』にあった雑多なエネルギーというものが減少し、個人的には原宿のモダンでオシャレな場所といった感じになって落ち着かなくなった。

シュッとして来はじめたのだ。世の中も店舗も。

それでも川口葉子の言ううようにそこに人が座り、笑い声があればカフェが生まれる。「カフェのコーヒーはいつでも、時代の人々が求める気分の味がする」のだ。

店舗取材記事に入る前の「東京カフェの歴史」では1960年から2010年代まで、ジャズ喫茶から2010年代のカフェまでそれぞれの年代を追って、川口洋子の分析力が秀逸なエッセイとなって書かれている。

1960年から2000年代の東京カフェヒストリーは読みごたえがある

タイトルの通り、本書には57のカフェが載っている、著者の旅の記録である。ひとつひとつをそして東京が見えてくる。「一杯のコーヒーには、そのときどきの、街の空気が溶け込んでいる」のだ。

本書に登場するのは、東京カフェ第一世代のバワリーキッチン、カフェ アプレミディ、ニド カフェなど。第二世代のディッシュ、ロータス、中目黒ラウンジ。語り継がれる喫茶店の系譜として、カフェ アンセーニュ ダングル、洋菓子舗ウエスト青山ガーデン、カフェ デ プレなど。

面白いまとめ方として「遠い街の匂いを伝える」カフェの特集がある。下北沢のカラテチョップ、吉祥寺セイジローカフェ、表参道カフェ アノ、乃木坂カフェ デイジー他が載っている。川口は「旅をした異国の記憶がカフェに結晶することがある。日常に中に開く、もうひとつの遠い街への扉。そこに吹く風が心地よよいのは、誰もが生活のなかで少しだけ<ここではない場所>を求めているからかもしれない。」と書いている。

コンクリートに木のカウンターといったクール&ウォームをナチュラルと呼ぶ時代になったが、そこには店主の記憶の配置はないように思う。

店舗紹介の間に差し込まれているカフェオーナーたちの回顧録的インタビューがひと時代先、つまり今への啓示、のようにも思えておもしろい。MAMEHIKOの井川氏の協力のもと『クルミドコーヒー』をつくり、運営してきたベンチャーキャピタリストでもある影山知明氏は次のように語る。「現代のビジネスは短期間で利益をあげることを目標にしがちだけれど、簡単に手に入るものは簡単に失われてしまう。大切なことに手間を惜しみたくない」。川口は「ここには、本当に良いものをじっくり育てようとするスピリットが満ちている」と書いた。こういうことが訪れる人には静かに伝わっていき、幾たびの再訪につながる。

TOKYO FAMILY RESTAURANTオーナー・三浦武明氏は2000年に突入する時代の空気についてこんな話を書いている。

あるカフェでスタッフが大量のグラスをのせたトレイを落として見事なまでに飛び散らせた。「店内は静まり返り、時間が止まった。次の瞬間、バーから、厨房から、全てののスタッフがその場に駆け寄り、まるでその出来事を祝うかのように、声を上げ、そして拍手をした。<いいぞ〜>誰かが叫んだ。店内のボルテージはいい気に上がり、みんなも自然に拍手をした。親密な空気とたくさんの絵顔に包まれた魔法のような夜だった。<東京を面白くしよう>そんな気分に満ち溢れていたように思う。」

この本はカフェ好きがもっと好きになってカフェの旅に出たくなる1冊だ。そしてカフェを始めたいという人にもう一度その動機を問い、後押しをしてくれる良質な1冊でもある。読み直してカフェには正解がないということがわかった。その場所の空気と時間に吸い寄せられるものだということはわかった。当たり前だが、店は店の人間とそこに立ち寄るゲストによって作られるのだ。

WRITER Joji Itaya

出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。