2024.04.09

レベッカ・L・スパング
「レストランの誕生」
【私の食のオススメ本】

  • 書名:レストランの誕生〜パリと現代グルメ文化
  • 著者:レベッカ・L・スパング
  • 訳:小林正巳
  • 発行所:青土社
  • 発行年:2001年

レストランは食べ物であった

この本は、新品の文庫本もまだ買えるのだが、中古のハードカバーで入手したのは結果正しかった。全編、段落なし文字だらけで本文380頁。資料として18世紀から19世紀のカートゥーンのような挿絵が10数点だけ掲載されている。

正しかったというのは、文庫本の小さい文字では読む気力も失せるし、この文字量は実際読むことができなかっただろうということが、本が届いてわかったから。そして、中を開いたら鉛筆で書き込みがされていて、さらに赤いボールペンで線が引かれていて(定価3400円もするのに!)、普通なら「なんだよ(; ̄ェ ̄)」となるのだが、実はその記しを辿って読んでみたら、その流れにちょっと興味が湧いてしまったからだ。

ボールペンの記しは、序章と終章あわせて全10章のうち「序章:レストランを作るとは」から続けて「万人の友」「ルソー的感性の<新料理(ヌーヴェル・キュイジーヌ)>」「公共の空間における私的な食欲」の第4章できっちり終わっている。5章以降のフランス革命など政治的背景による変遷や美食学のところには手がついていない。

この人は自分も知りたかった「そもそもレストランはどうしてできた?」を探していたのだろう。

ところで、そもそもレストランとは食べ物であった。元気を回復させるだし汁のことだったのだ。豚肉ハム、仔牛、何種類かの鳥を長時間の無水調理によって消化同然の状態にした、病人の弱った消化器官に負担をかけることなく血温を保つのに必要な肉の滋養をもたらすと考えられたエキスを「レストラン」と呼んだのだった。

レストランはフランス語のレストレ(restaurer)、(食べて)体力を回復するから来ていると言われる。

そこで出現した、レストラン以前の一般的呼称<レストラルトゥールの部屋>は体調からちゃんとした夕食を取れない人をターゲットにした、ブイヨンとも一般的なコンソメとも異なる肉と旨みが凝縮された<元気になるコンソメ>を飲ませる店だった。特にこれは都市のパリに象徴される。(18世紀にはパリに働きに来る人が増え、体調回復のために提供された。)

そして「レストラン」がその<食べる場所>を表すようになるまで数世紀かかっている。「レストラン」という癒しのブイヨンから、食べることで癒される「場所」へと変わっていったのだ。

レベッカ・L・スパングを調べてレストランを考える

著者レベッカ・L・スパングは18世紀中頃から現代にいたるフランス史を専門とし、出版時点ではユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(ロンドン大学を構成する一つ)で近代フランス史を講じる若手歴史家だった。
Xを覗いたら、カバー写真がパリのカルチェラタンのL’Assignatというビストロの入口だった。調べたら古いジュークボックスとテーブル・フットボールが置かれているノスタルジックな店だ。お気に入りの店なのだろう。少し前の記事ではメインが8€程。良心的な店だ。親近感が湧くね。

著者のX。history,money,revolutions,restaurantsとある。

著者は歴史学部教授とカレッジ学部長を務めるインディアナ大学ブルーミントン校の自身のバイオグラフィーに、この本のことをこう書いている。

私の最初の著書『(本書の原題)The Invention of the Restaurant:The Invention of Restaurant: Paris and Modern Gastronomic Culture』(ハーバード大学出版)は2つの大きな賞を受賞し、日本語、ポルトガル語、トルコ語、現代ギリシャ語に翻訳されている。

本書は、「外食(eating out)」がなぜ、そしてどのようにして余暇活動(a leisure activity )となったのかを問いかけ、幅広い資料(政治パンフレット、医学書、旅行者の記述、戯曲、映像など)を用いて、18世紀から19世紀にかけての半私的な社交性(そして半公的な感受性)の新しい形としてのレストランを探求している。新版(アダム・ゴプニックによる序文付き)は2020年初頭に出版された ─ COVID-19パンデミックが業界全体を覆す少し前に。

そう、改めて書くと、この本は2001年に出版され、19年後、奇しくもコロナが生まれ世界中へ蔓延し始めた2020年の初めに新版として出版されたのだ。コロナ禍の中で休業を余儀なくされたたくさんの料理人や食文化に関わる人間が本書を読み「レストラン」とは何かという原点に一度立ち返ったのではないか、いや立ち返っておいてもらいたいな、と思う。

さて、食を提供する事業も行ってきたわれわれはどうだろう。(われわれの)レストランは何のためにあるのだろう。レストランは誰に何を提供するのだろう。そんなことを正面から考えたことがあるだろうか?

本書を読んでいて、原点には未来の答えがあるものだなあ、と個人的に思う。癒しのコンソメから始まったのが「レストラン」というものだが、刺激だけで客を「癒す」ことを忘れたレストランは価値がない。価値がないところには対価も支払われない。自分たちの価値はどこにあるだろう。

食を複雑なエンターテイメントとしてばかり提供されても、食べる方には疲労が残ることがあるのではないだろうか?好きなだけ食べたり、シンプルに食材の持つ香りや旨みを最大限に味わったりできるのも癒しだったりするのではないだろうか。

見えないところに仕事がしてある江戸前寿司が、主役のネタの味わいを超えて前に出てきてしまっては意味がない。

本メディア=RIFFで、18世紀後半から19世紀にかけてフランス料理の発展に貢献し「シェフの帝王かつ帝王のシェフ」と言われたシェフ・パティシエアントナン・カレームの本を紹介しているが、本書では同時期のフランス革命によってレストランがどう変わっていったかも知ることができる。

この本は著者も言うように「話は非常に複雑で、しばしば無関係とされてきたテーマ ──レストラン評や政治的祝宴、改革と啓蒙主義的科学の流行、革命の熱狂と美意識の序列化、不倫の戯れと薬効の高い調合薬など── が重複し交錯している」。

そして「レストランについて本を書くとは、ほとんどすべてについて書くようなもの」とも言っている。

うん、そういうことなんだね。レストランをやるってことも。

数少ない資料画を読むのも面白い。

「ウエイター、後生だからだからトリュフをいくらか持ってきてくれ〜トリュフの雨と思うくらいに」という洗練された店であることを表す文章と「ブーツをカーテンやクロスで拭かないように」と壁に掲示されている様子が描かれている。
食事中に逮捕されるルイ16世を描いた民衆画。「王は<サント・ムヌー風>豚足を食べるのに夢中で他のことは眼中にないようだ」とある。
WRITER Joji Itaya

出版にたずさわることから社会に出て、映像も含めた電子メディア、ネットメディア、そして人が集まる店舗もそのひとつとして、さまざまなメディアに関わって来ました。しかしメディアというものは良いものも悪いものも伝達していきます。 そして「食」は最終系で人の原点のメディアだと思います。人と人の間に歴史を伝え、国境や民族を超えた部分を違いも含めて理解することができるのが「食」というメディアです。それは伝達手段であり、情報そのものです。誰かだけの利益のためにあってはいけない、誰もが正しく受け取り理解できなければならないものです。この壮大で終わることのない「食」という情報を実体験を通してどうやって伝えて行くか。新しい視点を持ったクリエーターたちを中心に丁寧にカタチにして行きたいと思います。